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甘え方がわからない人 それでも覚悟をもって生きる

現在、24時間介護が必要になり、施設に暮らす母は生涯を通じて精神的に極めて不安定で、

浮き沈みはあるものの、人生の集大成とも言える現在までに、安定と呼べる時期は少なかった様に思います。

昔の話しにはなりますが、私を身籠った母はナーバスな精神状態に陥ったと聞いています。

両親が暮らすアパートから一番近い小さな産院で出産するのですが、見るからに衛生状態は芳しくなさそうだったそうです。

弱り目に祟り目とは言いますが、普通分娩が困難で、急遽、帝王切開に切り替わった母のお腹は傷口が化膿し、私はと言えば、産み落とされて直ぐに、頭が二倍程に腫れ上がったそうです。

今で言う院内感染なのでしょうが、時代が時代なので、病院側から呼び出された父は原因不明だが母子共に危険とだけ告げられたそうです。

後に、「見舞金」と言う名目で病院側からまとまった現金が支払われ、「内密に」と告げられたとの事なので、病院に何らかの落ち度があった事は間違いなさそうです。

しかし、半月程で母のお腹も、私の頭も回復に向かったそうです。

されど、母の精神状態は安定せず、私を一目見る事も無く、母は離島にある実家に帰りました。

精神的に不安定な母に、巨大な頭の赤ん坊は見せない方が良いとの判断だったそうです。

私が母と初めて対面したのは、1歳半を過ぎてからとの事です。

記憶にはありません。

一年半前、新生児だった私はその時既に自分の足で走っていたそうです。

父は会社勤めで、新生児につきっきりになれる訳も無く、1年半余りを私は産院からの「見舞金」をそっくり渡す事で雇った、赤の他人に育てられます。

その「雇われの両親」は夫婦揃って朝から夕方まではパチンコに興じる人達で、平日昼間は小学校3年生の娘が、私の面倒を見ていたと言います。

しかし、小学校3年生が新生児の世話を充分に見る事が出来るのかは甚だ疑問です。

後々、親類からは色々な話しを聞きましたが、とてもまともな生育環境では無く、「雇われの両親」がパチンコから戻ってから、昼間足りていないミルクをいっぺんに与える話しや、外でホースからの水道水で私の身体を日常的に洗っていた話し、いつも身体にアザがあった話し、

人伝に聞いた話しで、私は勿論、記憶にはありませんが、

後に私が、日常生活のあらゆる場面で、言いようの無い恐怖感を持っていたのは、この頃の体験が原因と思える事が多いのです。

たとえば、お聞き苦しい話しですが、私は幼い頃、排泄をギリギリ限界まで我慢するクセがありました。

排泄することがとても怖かったのです。

あまり聞いた事が無いクセです。

様々な人伝の話し、状況から推測すると、そのクセは身体のアザと結びつくのですが、あくまでも推測に留まるので控えます。

そんな育児放棄した母と、おかしな恐怖感を抱えた子は、一年半の空白の後、一つ屋根の下に納まるのですが、

その母と子の間には、スキンシップはありません。

私は抱きしめられたことも、頭を撫でられことも、母の膝に乗ったことすらありません。

母は
「お前は冷たい子で、膝に乗る事も無かった。親はどれだけ寂しい思いをしたかわかるか!」
と言います。

果たして、そうなのでしょうか?

私は責められる様な事はしていない、と今では思ってますが、

幼い時は、そう言われて罪悪感がありました。

母の精神状態は安定せず、子供に愛を与えるとか、そういった次元では、到底無く、常識では括れない叱り方、怒り方を繰り返します。

そこには、規則性や法則性は無く、突発的です。

どこに起爆スイッチがあるかわかりません。

膝には、とても乗れないのです。

母の不安定は、ずっとではあるのですが、私が思うに、ピークは、私が幼稚園の年長から小学校の中学年だった様に思います。

そうした幼少期を過ごし、私は「甘えられない子」になりました。

そして、「甘え方がわからない子」になったのです。

この「甘えられない」「甘え方がわからない」ことにより、私はいつも自己完結を目指す事になり、

それは、私の人生に深い影を落とします。

世の中には、ズルい人と同じくらいの優しい人が居ます。

私の人生にも、時に優しい人も現れます。

甘えていいという構えの優しい人も現れるのです。

しかし、甘え方がわからない私は、そんな時、どうしたらいいのかさっぱり判らなくなってしまうのです。

私は現れた優しい人を警戒し、時としてポカンとしてしまいます。

どんなに優しい人でも、警戒する者に無理やり優しさを与える事はしません。

かくして、私は心の奥では、渇望して止まない「甘えるチャンス」をことごとく失います。

満たされぬ「甘えの願望」は、やがて極端な「自己完結」に姿を変えます。

人の手を借りる事が苦手になり、なんでもかんでも一人でやり遂げたがりますが、

人ひとりが出来る事など、たかが知れている訳です。

一人で抱え込み、やがて放りだします。

一人で抱え込み、パンクします。

社会人になり、そんな事を繰り返したら、不安定極まりない人生になります。

私は苦しい人生を歩みました。

今だに、人に甘える事は苦手ですし、下手くそです。

そして何より、この足枷が、人を愛し、愛されることを阻んでいると認識しています。

この足枷から解き放たれるのか、そうはならないのかは、わかりませんが、

私は解き放たれる事を望みます。

そう望み、自分と向き合うことで、足枷の締め付けは、だいぶ緩くなっている事を感じています。

思うところまで緩まなければ、それは私の個性として受け入れる覚悟は決まっています。

目指す方向が決まり、覚悟が決まったなら、恐れる事は、あまり無い様に思います。

他人に寄りかかるのではなく、「正当な甘え」を表せる人になれたなら、

より生き易く、より豊かなのではないか、と思います。

叶わなければ、私は私の個性を受け入れます。

望む人生に対しては、貪欲でいいと思います。

なぜなら、私達は幸せになるために生まれ、

豊かになるために生きるからです。


そう信じます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム










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