見出し画像

変わらなきゃ、は変化を遠ざける

生きづらさを手放した先には、様々な変化が訪れます。

一つ注釈を差し挟むならば変化は、変化する事を追い求めた先にあるのでは無く、

生きづらさを手放す為に自分と真っ直ぐに向き合う事で、結果として訪れる自然な変化なのです。

生きづらいのですから、その苦しみから逃れたい、と思うあまり、今の自分を否定して、変わらなければ、という思いに支配され、

それが生きづらさからの解放を阻害するのは、よくあるパターンです。

生きづらさを手放すとは、
これまで嫌って責めた自分を、無条件に受け容れる、ということです。

今まで、無価値だ、と感じて責めに責めて生きて来たけれど無価値は、単なる思い込みに過ぎないと気がついて、自分を価値ある存在として扱う、のです。

無価値な自分の生きて来た道のりなどくだらないと決めてかかっていたけれど、生きづらさを抱えて生き抜いた道程の尊さを正しく認める、ということです。

生きづらくとも、今日まで生き抜いた自分を好きになる、ということです。

生きづらくとも、生き抜いて、今ここに在るありのままの自分を、ぜんぶ無条件に受け容れるのです。


生きづらさを手放そうとする人は皆、真剣です。

真剣であるが故に、今の自分を変えようとしてしまいます。

たとえば、かつて自分の心を傷つけた親を、許そうとします。

自分と向き合い、過去を辿り、親のズルさが嫌という程解ってしまった今の自分は、親に怒っています、親を恨んでいます。

しかし、生きづらさを抱えて生きる中で、心のこと、について学びました。

親を乗り越えなくてはならない、と学びました。

親に怒り、親を恨むことは、親への執着を断ち切れていない証しである、と学びました。

だから、親を許そうとします。


生きづらさを抱えた原因は、幼い頃に、受け容れる能力を欠いた親に、感情を否定され、親の感情を常に優先しなければならなかった事にあります。

どんなに悲しくても、親が望めば笑顔を作らねばならない親子関係が生きづらさの原因です。

生きづらさを抱えて人生を歩き、生きづらさを手放そうとする今、

親に対する怒りを、無いものにして、親を無理やり許そうとする事は、

幼い頃に、悲しい感情に蓋をして、親を優先し、笑ってみせたあの日と同じ事を繰り返しています。

幼い日に、自分の感情を殺して、親の感情を生かして、そして生きづらさを背負ったのです。

ならば、生きづらさを手放そうとする今再び、
自分の怒りを蔑ろにして、親を無理やり許してはならない、のです。

生きづらさを手放す為に自分と向き合う局面に於いての、正解、は、
「あんなに傷つけられたんだから、怒りも恨みもあるよね。」です。
「傷だらけになっても生き抜いた自分は凄い。」です。

怒りも恨みも全部そのまま受け容れます。
生き抜いた自分の尊さを、そのまま受け容れます。

それは、自分の心の中で繰り広げられるドラマです。

他者の知る所ではありません。

親から、湧き上がる感情を殺してしまうクセをつけられた人は、

湧き上がる感情をそのまますくい上げて、感じ尽くすという一連のプロセスが機能していません。

自分と向き合い、怒りや恨みなどが湧き上がったなら、そのまますくい上げ、感じ尽くす事を繰り返す事で、

心は滑らかに動き始めるのです。


生きづらさを手放す為に、自分と向き合う期間は、

自分の過去を腑に落とし、自分の尊さを思い出す為の期間であると共に、

傷ついて、動き辛くなっている心を滑らかに機能させる為のリハビリ期間です。

怒りが湧き出しているのに、物わかり良く、親を無理やり許したら、あんなに辛く、寂しく、苦しかった過去が腑に落ちる筈がありません。

怒りがあるのに、無理やり親を許す事は、またしても自分を蔑ろにして親を優先する事に他ならず、自分の尊さを思い出す事は出来ません。

怒りを無かった事にして、無理やり親を許すなら、湧き出した怒りの感情をすくい上げて、感じ尽くすというプロセスは、いつまで経っても果たされず、リハビリにはならず、心は滑らかに動く機能を取り戻す事はありません。


湧き上がる怒りをすくい上げ、感じ尽くす事は、怒りに呑み込まれて親にぶつけることではありません。

あくまでも向き合うのは、自分と、であり、親と、ではありません。

すべては他者の知る所では無い、自分の心の中で繰り広げられるドラマです。

親を無理やり許そうとする事も、

親に怒りをぶつける事も、

どちらも親にフォーカスが向いています。

親を中心に据えています。


あくまでも向き合うのは、自分と、です。
自分を中心に据えるのです。

勿論、最初から上手くはいきません。

どうしても親に執らわれ、許す許さないの狭間に揺れます。

しかし、繰り返し心の中のドラマを、自分の心の中で消化するうちに、

心は育ち、感情は絶え間なく滑らかに動く様になります。

心が本来の機能を果たす事が出来れば、生きづらさは溶けて、

その先に、様々な変化が自然に起こります。


心の変化は追い求めるものでは無く、

自分と向き合い、

自分の価値を思い出し、

歩いた道のりの尊さを認めた先に、

自然と訪れるもの、だと思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?