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自分は自分、他人は他人

他人の心はコントロール出来ない、という事が腹落ちすれば、それだけで人生は随分楽になります。

心理学者アルフレッド・アドラーの言葉を借りるまでも無く人の悩みの殆どは、人間関係、なのは間違い無いところです。

人間関係は悩みの種である一方で、喜びを生み出すものでもあります。

だからこそ、人は人間関係によって上がったり、下がったり、波立ち、凪いで、揺さぶられる訳です。

人生を考える時、人間関係を抜きには考える事は出来ない様に思います。

たとえ、他者との関わりを意図的に絶ったとして、それで人間関係が完全に無くなるか、と言えば、そうではありません。

現実的ではありませんが、人間関係を断つ為に無人島に渡ったとしても、

人間関係を絶ったその人の心境は、煩わしさから逃れた解放感かも知れませんし、
或いは、他者との関わりを持てない孤独感かも知れませんが、

その人の胸に去来するものが、解放感であれ、孤独感であれ、いずれにしても、人間関係を基軸にした心境に辿り着く訳ですから、

どこまで行っても、人として生まれたならば、人間関係からは逃れる事は出来ません。


逃れられない人間関係ならば、軽やかに人と関わり合いたいものですが、人間関係を重々しくしてしまうのが、

自分は自分、他人は他人、という切り分けが出来ない事、だと思うのです。

つまり、コントロール出来るのは、自分の心だけであって、
他者の心も、外に起きる出来事も自分にはコントロール出来ない、ということが腹落ちしていれば、必要以上に心を乱される事は無くなります。

どうしてあの人は解ってくれないんだ、
どうしてあの人はあんな事を言うんだ、
どうしてあの人は助けてくれないんだ、

それは、自分は自分、他人は他人だから、です。

コントロール出来るのは自分の心だけで、他人の心はコントロール出来ないから、です。

それが腑に落ちるだけで、他者に対する不満はかなり少なくなります。


自分は自分、他人は他人、と切り分ける事が出来ない理由は主に二つです。

一つは、自分と他人の感情を分ける、心理的境界線、が曖昧な事、

二つ目は、心に、確かな【自分】という意識、が育っていない事、です。

二つと言いましたが、心理的境界線が明確に引かれる事と、【自分】が育つ事は、同時に起こります。

つまり、心理的境界線が明確ならば心に【自分】は育っていますし、
心理的境界線が曖昧なのに【自分】が育っている状態はあり得ないのです。

何故ならば、心にある【自分】の外郭線が心理的境界線なのです。

【自分】が玉子の中身で、心理的境界線が玉子の殻、といったイメージです。


心理的境界線が曖昧だと、どうしても自分の気持ちを察してくれない他人の事が不満です。

境界線が曖昧だから、自分が思った様に相手も思うべき、だと無意識に感じているのです。

だから、他人に過剰な期待を寄せては裏切られた気持ちになります。

相手からしてみたら、勝手に気分を害しているその人は、とても押し付けがましく扱い辛い人に思えてしまいます。

完全に独り相撲なのです。


玉子の殻と中身ですから、境界線が曖昧な人は、同時に【自分】がありません。

自分を信じる、などと言いますが、信じる【自分】が無いのですから、信じ様がありません。

言ってみれば、信じる自分が無いから、過剰に他人に期待します。

時に他人に期待するその姿は、傍目には、どうしてくれるんだ、と責任を他者になすりつけている様にすら見えてしまいます。

周囲の他人からは距離を置かれる事になります。


自分は自分、他人は他人、という切り分けが出来ない人は、

大半の場合、自他の区別が出来ない親の下に生まれ育っています。

自他の区別の無い環境に順応して育ったその人は、生まれてからずっとその環境しか知らないので、

自分が心理的に自他の区別がついていない、という自覚がありません。

ただ、周りの他人が薄情で、無礼で、腹立たしい人ばかりに見えています。

世の中が、冷たい世界に感じられます。

その結果、先に述べた様に、周囲の自他の切り分けが出来ている人からは距離を置かれ、
自他の区別がつかない人ばかりと関わり合う様になります。

育った環境がそうで、外に出ても人間関係がそうなら、その人は益々、自分が自他の切り分けが出来ないという事に、気がつく事が無く、

他人に過剰な期待を寄せては裏切られ、他人を無意識にコントロールしようとして、距離を置かれ、

世の中を、冷たく感じ、恨みがましさを抱えて生きる事になります。


生き方に、善悪、正誤、優劣は無く、どう生きるかは、その人の自由ですが、

世の中がとても生きづらく、

その生きづらさを手放したい、と思うならば、

自分の他者に対する期待は正当な範疇なのか、という事を見つめ直しても良いかも知れません。

気がついたなら、

【自分】を育て直す事は、

いつからでも出来るのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム










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