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エネルギーバンパイア、テイカー、そして毒親も

近年、エネルギーバンパイア、テイカーという言葉を耳にする事が多くなりました。

エネルギーバンパイアは、スピリチュアル由来の言葉で、

テイカーは組織心理学を専門に研究する学者アダム・グラント氏によって提唱された言葉です。


エネルギーバンパイアとは、他者からエネルギーを奪って、自分のエネルギーを充足させる人です。

テイカーとは、他者に与える事をせず、一方的に受け取るポジションに立つ人です。

深堀りすれば差異はあれど、巷で認知される両者は、
どちらも自らの欠乏を埋める為に他者を利用する事に於いて、ほぼ同質である、と考えて良いと思います。

更には、すっかり世の中に根付いた言葉の、毒親、は、エネルギーバンパイアであり、テイカーです。

エネルギーバンパイアは、エネルギーを吸い上げる為の対象、が必要ですし、
テイカーは、一方的に与えるギバーの存在が必要です。

毒親、は無価値感に苛まれながら生きた人で、
やがて親になった時、対象となる存在を手に入れます。

エネルギーを吸い上げる対象、一方的に奪うことが出来る対象、それが、
我が子、です。

エネルギーを吸い上げるにも、一方的に奪うにも、対象となる存在は、自分よりも弱く、つけ込む事が容易な者でなくてはなりません。

その意味では、我が子は、標的にするには、これ以上無い程にもってこいの存在です。 

親と子供の力関係は圧倒的です。

言うまでも無く、親が強く、子供は弱いのですから、
エネルギーを吸い上げるのは容易です。

子供は圧倒的に弱者であるが故、親を慕う事で生きる仕組みになっています。

子供はその仕組み通りに、何があっても親を慕います。

何があっても慕うのですから、つけ込む事がこれ以上容易な存在は無いのです。


向き合いたく無い、認めたく無い感情は沢山有りますが、最も認めたく無い感情が、無価値感、だと思っています。

無価値感は、自分には価値が無い、と感じる事であり、
価値が無い、と感じるという事は、自分という存在に対する安心感は欠乏状態にある、という事です。

その親は無価値感から目を逸らしたくて、
自分の中の欠乏を埋めたくて、
苦しんでいる最中に、我が子というこれ以上無い、対象、を手に入れるのですから、

エネルギーを吸い上げ、一方的に奪います。


エネルギーを吸い上げる人と、吸い取られる人とは実は、無価値感という素材で出来た一枚のコインの表と裏です。

奪うテイカーと奪われるギバーは、コインの表裏なのです。

述べた様に、無価値感は人が最も目を逸らしたいネガティブな感情です。

無価値感に苛まれる人は、意志の力では抗えない程に、無価値感から逃れたいのです。

コインの表裏を分けるのは、意志や思考では無く、
エネルギーを吸い取る対象が見つかるか否か、
無抵抗なギバーと出会うかどうか、です。

つまり、奪う立ち場に立つか、奪われる役に回るか、は、環境要因が最も大きいと思っています。

巷で毒親と形容される様な親は、我が子という無抵抗な対象を見つけたから、奪う側に回り、毒親と呼ばれる状態になる事で心の崩壊から逃れた、と言えます。

もしも、我が子と出会わなかったなら、その親は、無価値感から目を逸らす事が出来ず、心が無価値感に押し潰されていたかも知れませんし、

自分よりも強い他者によって、コインの裏にされ、エネルギーを吸い取られ、奪われ、苦しみの沼に堕ちたかも知れません。

逆に言うなら、子供がその身を投げ出して親を崩壊から救った、と言う事が出来ます。

本来は親が守り、子が慕う事で親子関係は健康的に保たれますが、生きづらさを作り出す親子関係では、その役割は、歪みを帯びながら逆転し、

親は子に絡みつき、子が身を投げ出して親を守る、と言う事なのです。

本来ならば、無条件に受け容れてもらうべき季節に、その子は親を無条件に受け入れ、守られて然るべき存在なのに、身を挺して親を守る立場に立たされます。

その環境は、子供にとって過酷です。


毒親に育てられた人は、ほぼ間違い無く生きづらさを抱える事になります。

その生きづらい人は、幼い頃、その身を投げ打って、親を救った人です。
人生の最初に、最大の親孝行を既に済ませた人です。

その親孝行をしたことで今、生きづらさを背負ってしまったのです。

幼くして、親を救ったその事を過小評価しないで欲しいのです。

尊い行ないを誇って良いのです。

今、生きづらい人は、自分が生き抜いた道のりを過小評価しています。

自分を価値が無い、と決めつけています。

価値が無い筈がありません。

歩んだ道のりの尊さを思い出して欲しく思います。

思い出して、自分と自分の生きた道のりを正当に評価したならば、

無価値感の呪縛は溶けます。

呪縛が溶けて、自由になったなら、

もう奪われる立ち場に立たなくて良いのです。

最大の親孝行はとっくに済んでいるのですから、

今度は、誰のものでもない自分の人生を、軽やかに歩んで欲しく思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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