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感情に沿って自分で決める

人間は、自分で決めたい、生き物だと思うんです。

日常の些細な事から、人生の岐路とも言える大きな事まで、

自分で選択したい、という根源的な想いが有る、と思っています。

自分で選び取るには、心の中に、確かな【自分】という意識、が育っている必要があります。

確かな【自分】という意識、は、幼い頃に、養育者から肯定的に扱われる事で育まれます。

つまり親から、無条件に受け容れられる事で、その子は、自分は存在するだけで価値が有る、という感覚を得ます。

自分という存在に対する安心感、です。

その安心感に包まれて、確かな【自分】という意識、は芽吹き育ちます。

確かな【自分】という意識は、湧き上がる感情をすくい上げ感じ取る、主体、です。
言わば、感情の動物である人間の核とも言うべき、人生の主役、です。

肯定的な親から無条件に受け容れられる幼児期を過ごしたその子は、

やがて幼稚園、小学校と進み、その子の世界は、親子だけの世界から、他の子供達と関わり合う世界へと変化します。

そして、他の子供達と関わり合う中で、経験を重ね、

幼稚園にあるおもちゃは、みんなで使わなくてはならない、とか、

腹が立っても、友達を叩いてはいけない、とか、

色んなきまりや、ルール、更には人間関係の何たるかを、段階的に学び、経験を積み重ねます。


ところが、否定的な親の下に生まれ、充分に受け容れられる経験が無いままに育つ子も居ます。

常に否定的に扱われる親子関係に晒され、その子は、自分の存在に対する安心感を得る事が出来ません。

安心感が無いところに、確かな【自分】という意識、は育ちません。

その子は、自分には価値が無い、という思い込みを心にべったりと貼り付けてしまいます。

心に【自分】が育っていないその子は、幼稚園に行っても、小学校に上がっても、心は未発達な幼児のままです。

【自分】が育っていないから、経験が積み上がらず、人間関係を学ぶ事が出来ません。

先ずは、心に【自分】が芽吹き、育って初めて、経験や学びは積み上がります。

きまりや、ルールや、人間関係の学びの前に、【自分】を育てる事が必要なのです。


否定的な親は、心が未成熟です。

見た目は立派な大人でも、心は未成熟な幼児のままです。

その親自身が、心に、確かな【自分】という意識、が育っていません。

親自身が【自分】が育っていないのですから、子供の心の成長には理解も興味も関心も有りません。

そもそも、心は育つもの、という感覚を持ち合わせていません。

幼い心は、待つ事、がとても苦手です。

子供の心の成長に理解も興味も関心も無いその親は、

心が未成熟で待つ事が出来ないので、心に【自分】が育っていない子供に、きまりや、ルールや、果ては道徳やら倫理まで無理やり押し付けます。

その子は【自分】が育っていないままに、押し付けられた、ルールやら道徳やら、を自分の中の規範意識として心に組み込みます。

すると、その子は、
「〜してはならない」という規範意識に縛られ、
「〜しなくてはいけない」という規範意識に追い立てられる人になります。


肯定的な親の下で育ち、【自分】が有って、経験が積み上がった人の、物事の判断基準と、

否定的な親子関係に晒さて育ち、【自分】が無いままに、規範意識を押し付けられた人の判断基準は、全く違います。

【自分】が有る人のそれは、自己発生的です。

確かな【自分】という意識の上に積み上がった経験に裏打ちされた判断基準は、

自分なりの判断基準、であり、その判断基準に沿って選び取る人生は、まさしく自分で決めた、自分の人生、と言えます。


【自分】が無い人の判断基準は、押し付けられた規範意識であり、それは、押し付けた親由来の基準です。

その親由来の基準に沿った選択は、親の選択であり、その人の人生は親の人生に組み込まれた人生、なのです。


規範意識に縛られ、追い立てられる人の人生は、どうしても重々しい感覚がつきまといます。

冒頭で触れた様に、人間は自分で選び取り、自分で決めたい生き物だから、です。

その根源的な想いに蓋をしたまま生きるのですから、

心は重く塞ぎます。


しかし、【自分】が無く、規範意識に縛られ、追い立てられて生きる人は、

常に心が重いという事の他には、自覚が有りません。

自分は【自分】があるし、自分の判断基準に沿って、自分で選択し、自分で決めて、自分の人生を歩んでいる、と思っています。

自分の判断基準が親が押し付けた規範意識であろうなどとは、夢々思いません。

先ずは、其処に気が付く事が、重々しい感覚から脱する一歩目であると思います。


自分で選び取り、自分の人生を歩んでいる人は、自分なりの判断基準を持っている人、です。

心地よいか、よくないか、
好きか、嫌いか、
許せるか、許せないか、
譲るか、否か、

自分はどう感じているのかが、自分なりの判断基準です。


親から押し付けられた規範意識に沿って生きている人は、

普通そうだ、
それが常識だ、

といった、自分の感情とは関係の無いところに判断の根拠があります。

感情を度外視して判断しますから、好き嫌いよりも、得か損か、で物事を決める事にもなります。

「〜してはならない」に縛られ、
「〜しなくてはいけない」に追い立てられてはいないか、

判断の根拠は、感情なのか、規範意識なのか、

判断基準は内にあるか、外にあるか、

自分の判断基準を色んな角度から眺めてみる事は、

とても大切だと思っています。



読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム











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