「何かがおかしい」と思った時が、気づきのチャンス
誰もが他人からは、好かれたいんだと思います。
嫌われた方が心地よい、という人はなかなかいない訳です。
しかし、
心の中に、確固たる【自分】を持っている人は、
【自分】を無闇矢鱈に曲げてまで他人の好意を得ようとはしません。
先ずは、大切な【自分】が在って、その【自分】に向けられる好意を喜びます。
【自分】を曲げたり、隠したり、偽って他人から好意を持たれたら、
その相手からの好意を維持するには、ずっと偽った自分でいる必要性があります。
それはとても、窮屈な状態です。
勿論、たとえば会社に勤めていて、得意先では得意先用の言葉遣い、態度、所作になるでしょう。
気のおけない友人といる時と、仕事の得意先での立ち居振る舞いが同じである訳がありません。
仕事の時はスーツを身に着ける様に、
心の中の【自分】もスーツに着替えている訳です。
心に【自分】が在る人も、TPOに合わせてカジュアルからフォーマルまで、着替えます。
着替えますが、着替えるのは衣装であって、着るのは確固たる【自分】です。
親友といる時、心のコスチュームは、
スウェット上下です。
知り合いといる時、
ノーネクタイです。
得意先にいる時、
スーツに革靴です。
心に【自分】が在る人は、
相手の心と、自分の心の距離を測って、適切なコスチュームを選択します。
でも、中身は確固たる【自分】です。
言葉遣い、態度、所作は、心の距離とコスチュームに応じて変わりますが、【自分】が在るため、
この人はこんな人、という一貫性が有ります。
【自分】が在って、一貫性が有ることは、自分にとっても、接する他者から見ても、安心感が有ります。
心の中に【自分】が無い人は、その人自体に一貫性がありません。
TPOで心のコスチュームを着替えるどころか、
コスチュームを着る【自分】が無いのですから、
その場、その時、その相手によって、カメレオンの様に、相手が好むと思われる色に変わります。
着替えるのでは無く、体色自体を相手に合わせて変えるのです。
本人も自分が、本当は何色なのか分かっていません。
ただ、目の前の人に合わせて色を変えます。
本人は【自分】が無いので、上手に色を変えても、虚しさに巻かれます。
相手からしても、一貫性の無い樣は、安心感が無く、信頼出来ない印象を持たれることが少なくありません。
長年使い込んだ道具は、どんな扱いをしたら一番使い易いのかが分かります。
心の中の【自分】も、その場、その時、その相手によって選ぶコスチュームは違っても、中身は変わらぬ【自分】です。
ずっと使い込んでいる訳です。
だから、
【自分】の扱いに熟練します。
自分が【自分】のことを、よく分かった上で人生を歩めます。
自ずと、地に足のついた人になって行くでしょう。
心に【自分】が無い場合は、その場、その時、その相手によって、衣装では無く、自分の形や色まで変わってしまいます。
使い込んだ道具は手に入りません。
いつも初めて手にする道具を使います。
使い方を探り探り、おっかなびっくりで人生を歩みます。
浮き足立っています。
使い込んだ道具には愛着が湧きます。
これは自分の道具だ、と思えます。
いつも初めて手にする道具を、取っ替え引っ替え使っていては、愛着は湧いて来ません。
つまり、
心の中に【自分】が無い人は、自分の人生に愛着が無く、
人生がまるで、他人事の様に感じられるのです。
【自分】を使い込むことが出来ないので、自分の扱い方が分かりません。
そのため、
人間関係が調子っぱずれになりがちです。
ここまでお話ししたことは、【自分】が無い人には自覚がありません。
自覚は無いのですが、
何かがおかしい、という思いが過る瞬間は必ず有ります。
どうしてこんなに虚しいんだろう。
どうしてこんなに苦しいんだろう。
どうしてこんなに寂しいんだろう。
相手に合わせて、自分を捨てて、
好かれようとして、嫌われる。
他人に好かれようとする程に、
どんどん自分が嫌いになる。
どんなことでも構いません。
何かがおかしい、と思った時が、
気づきのチャンスです。
手繰り寄せて欲しく思います。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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