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「頑張る」とは疲弊して追い込むことではない

易者の高橋南北です。


今日は、人生哲学に関する記事を書いてみました。過去のお客様との会話から得た洞察をもとに、新たな視点を探ります。「頑張り」に対する私たちの一般的な考え方に挑戦し、その定義を見直すことを試みます。


頑張るとはしんどいことだと思っている


「頑張り」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?私は、汗だくになって走るランナーや、眠気をこらえて勉強する学生や、仕事に追われるサラリーマンなどを思い浮かべます。


でも、これらは本当に「頑張り」なのでしょうか?もしかしたら、私たちは思い込みのせいで「頑張り」の概念を誤解しているかもしれません。物事を深く理解し、心の奥底に受け入れることと関連付けて考えてみましょう。

まず、私たちは「ラクな感覚で何かをする」という経験が不足していることに気付きます。

私のお客さんの中にも「150%の全力で頑張る」という経験しかしてこなくて、物事に対しての頑張りを感じられないと行動している気になれない。とおっしゃる方がいました。


この方は、自分が何かをするたびに、「もっと頑張らなきゃ」と自分を追い込んでいました。その結果、疲労感やストレスが溜まり、自分のやりたいことや楽しめることが見つからなくなってしまったそうです。

行動するために頑張り続けてきたというのは、私たちの生活における一般的な傾向かもしれません。しかし、中立な感覚や「参考体験」がないことが、私たちの成長や理解を制約している可能性があります。

潜在意識に『頑張り続けないとダメだ』と刷り込まれていると、頑張っていない状態が許せなくなります。


日常では頑張らずに行動していることばかり


例えば、タクシーによる移動を挙げます。タクシーを使って目的地に移動したとき、私たちは「頑張り」を感じないかもしれませんが、実際には何かをしているのです。


このように、私たちは「行動」と「頑張り」を切り離す必要があるかもしれません。

「フロー状態」にいると、私たちは「何もしていない」かのように感じるかもしれませんが、実際には何かをしています。したがって、私たちが持っている「定義」が、我々の視野を狭めている可能性があります。

生活の中には、「全く頑張らない」行動の例がたくさんあるはずなのに、それに気付いていないのかもしれません。

私たちは「頑張り」を再評価し、「頑張り」の新しい視点を模索することが重要であることを学ぶ必要があります。

また、自己認識や自由についても考える機会を得ます。私たちの行動や動機に新たな光を当て、より豊かな人生哲学を築くための一歩を踏み出すことができるかもしれません。

『頑張り』を再評価する


では、どうやって「頑張り」の新しい視点を見つけるのでしょうか?私は、以下のような方法をおすすめします。

  • 自分が「頑張っている」と感じるときと、「頑張っていない」と感じるときの違いを振り返る

  • 自分が「頑張り」に対して持っているイメージや感情を書き出す

  • 自分が「頑張り」に対して抱く期待や恐れを認める

  • 自分が「頑張り」に対して抱く信念や価値観を見直す

  • 自分が「頑張り」に対して感じる圧力や責任を緩和する

  • 自分が「頑張り」に対して感じる喜びや充実感を増やす


自分が「頑張っている」と感じるときと、「頑張っていない」と感じるときの違い


私は、自分が「頑張り」に対して持っているイメージや感情、期待や恐れ、信念や価値観、圧力や責任、喜びや充実感などを振り返ってみました。その結果、自分が「頑張り」に対してどういう姿勢を取っているのか、どういう効果があるのか、どういう改善策があるのかが見えてきました。


それでは、一つずつ見ていきましょう。

「頑張り」に対して持っているイメージや感情


私は「頑張り」を「自分の能力や価値を証明するために必要な行動」と捉えていました。そのため、「頑張り」に対しては「誇り」と「不安」の両方を感じていました。

誇り」は、

「自分は何でもできる」
「自分は優秀だ」
「自分は認められる」

という自信や満足感から来るものです。

不安」は、

「自分は何でもできなければならない」
「自分は完璧でなければならない」
「自分は失敗してはならない」

というプレッシャーや恐怖感から来るものです。

このように、「頑張り」に対してはポジティブな感情とネガティブな感情が入り混じっていました。

自分が「頑張り」に対して抱く期待や恐れ


私は「頑張り」を「成功や幸せを得るために必要な条件」と考えていました。そのため、「頑張り」に対しては「期待」と「恐れ」の両方を抱いていました。

期待」は、

「頑張れば成果が出る」
「頑張れば評価される」
「頑張れば幸せになれる」

という希望や夢から来るものです。

恐れ」は、

「頑張らなければ成果が出ない」
「頑張らなければ評価されない」
「頑張らなければ幸せになれない」

という不安や危機感から来るものです。

このように、「頑張り」に対しては高い期待と深刻な恐れがセットになっていました。

「頑張り」に対して抱く信念や価値観


私は「頑張り」を「自分の人生の目的や意義」と結びつけていました。そのため、「頑張り」に対しては「信念」と「価値観」の両方を持っていました。

信念」は、

「頑張ることが正しいことだ」
「頑張ることが尊敬されることだ」
「頑張ることが楽しいことだ」

という思い込みや決意から来るものです。


価値観」は、

「頑張る人が尊重されるべきだ」
「頑張らない人が軽視されるべきだ」
「頑張らせることが愛情だ」

という判断や評価から来るものです。

このように、「頑張り」に対しては強い信念と厳しい価値観が根付いていました。

「頑張り」に対して感じる圧力や責任


私は「頑張り」を「自分や他人から課せられた義務や責任」と感じていました。そのため、「頑張り」に対しては「圧力」と「責任」の両方を感じていました。

圧力」は、

「自分はもっと頑張らなければならない」
「他人は私にもっと頑張ってほしい」


という要求や期待から来るものです。


責任」は、

「自分は自分の選択や行動に責任を持たなければならない」
「他人は私の選択や行動に影響を受ける」

という覚悟や配慮から来るものです。

このように、「頑張り」に対しては重い圧力と大きな責任がかかっていました。


「頑張り」に対して感じる喜びや充実感


私は「頑張り」を「自分の成長や貢献の証」と感じていました。そのため、「頑張り」に対しては「喜び」と「充実感」の両方を感じていました。


喜び」は、

「自分は何かを成し遂げた」
「自分は何かを学んだ」
「自分は何かを与えた」

という達成感や成長感から来るものです。


充実感」は、

「自分は何かに挑戦した」
「自分は何かに熱中した」
「自分は何かに意味を見出した」


という挑戦感や熱中感から来るものです。このように、「頑張り」に対しては素直な喜びと深い充実感が生まれていました。


「頑張る」の理解を分解する重要性


以上が、私が「頑張っている」と感じるときと、「頑張っていない」と感じるときの違いを振り返った結果です。私は、この振り返りを通して、自分が「頑張り」に対してどういう姿勢を取っているのか、どういう効果があるのか、どういう改善策があるのかを考えることができました。

この記事を書くことも「頑張り」の一つだと思います。でも、私はこの記事を書くことに苦痛や不安を感じませんでした。むしろ、楽しみながら書きました。


この記事があなたの人生哲学に役立つことを願っています。

それでは、今日はこの辺で失礼します。次回もお楽しみに!


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