#3 不登校だっていい
今朝の新聞に絵本作家のヨシタケシンスケさんの記事が載っていました。タイトルは「自分の居場所を探しに行こう」。
逃げていい
本当に生きるということは、自分の居場所探しそのものだと思います。
中学校時代に不登校になった息子は、学校に「行けなかった」けれども、本能で「行かないこと」を選択できたのだなと思います。
今になって思えば、よくぞ逃げてくれたと思います。
逃げることも出来ず、もしあのまま潰れてしまっていたら。
もしも、死を選ぶようなことがあったら。
そう。親は学校に行って欲しいのではなくって、ただただ、子どもに幸せになってほしいだけ。
ただただ、生きてさえいてくれれば、人生なんとかなる。
それにしても、こんなにも、学校へ行かないことを選ぶことが難しい社会とは、なんなのでしょう。
学校だけが居場所じゃない
息子は中3になり、いよいよ進路について考えるようになりました。
支援教室の先輩達が様々な通信制の高校や不登校でも行ける学校へ進学する様子を見られたのは、とてもいい刺激になったようです。
通信制だろうが公立だろうが私立だろうが、「学校」には変わりないかもしれません。学校だけが居場所ではないのなら、アルバイトをしてもいいし、就職してもいいわけです。
中学卒業後進路について色々と調べながら、義務教育が終わると、なんと色々な道が選択できるのだろうと思います。
通信制高校なら、学校によって、通学型でもいいし、オンリーワンコースのように、クラスに属さず、時々登校して先生と過ごすというようなこともできます。
ほぼオンラインで卒業できるものまで、今はたくさんの選択肢があります。
なのに、なぜ小中学校は、ほぼ通学型の普通学校一択なのでしょう。
障害があるかないかで、一緒に学びたくても分けられてしまったり、障害がないからと、集団生活がどうしても苦手な子も、学校しか選べません。
今の公教育は、多様性、多様性と言いながら、全くそういったニーズにあった居場所を提供できていないなあと思います。
学校は行かなくてもいいと伝えてあげよう
自分が公立の小学校で働きながら、あまり大きな声では言えませんが、子どもがどうしても辛かったら、学校は行かなくていいと伝えてあげてほしいです。
親も教師も子どもの幸せを願うなら、まずは、その気持ちを受け止めてあげてほしいと思います。
受け止めて受け止めて、一歩どこかへ踏み出すエネルギーが出てきたら、一緒に居場所を探せばいいのです。
ただ、問題は、その受け皿が今の日本では、本当に少ないです。共働きをしていたら、家で見てあげることも難しいですよね。
フリースクールはお金がかかり、公的な支援教室なども圧倒的に少なかったり、1人では通えなかったり。
学校が居場所になるために
学校が、本当にどの子も居やすい、安心して過ごせる場所になれれば、それに越したことはありません。
でも、残念ながら、40人近くが1つの教室で時間割にのっとって過ごすというスタイルは、もうそれだけで、ストレスフルな空間と言えます。
それで楽しめる子はいいですが、
座っているのが苦手な子、
教師の愛情を独り占めしたい子、
ずっと読書をしていたい子、
刺激が多いと友達に手が出てしまう子、
そういった様々な集団生活が合わなかったり慣れが必要だったりする子どもたちのニーズに合っているとは、とても思えません。
発達障害などの診断が出れば個別級へ入級し、少人数クラスへ行くこともありますが、そこには少なからずの抵抗を感じる保護者も多いです。
公立学校でも、集団クラス、少人数クラス、個別クラス、オンラインクラスなどが普通に選べ、誰がどれを選んでも対応できるシステムを、ぜひ構築していく必要があるのではないでしょうか。
といっても、公教育のシステムを抜本的に変えていくのは、本当に難しいだろうと、中にいる人間なら実感できます。
教育には本当にお金を使わないですね。教育は儲からないからですね。
先生としてできること
息子の不登校は、子どもたちの多様性にあった学校の必要性を改めて実感させてくれました。
今、私が、現役の教師としてできることは、とにかく子どもたちが安心できるクラス、雰囲気作りをしていくこと、辛い時は逃げてもいいということ、いろんな子がいていいということ、少しでも子どもたちが笑顔になるような授業を考え、学ぶことが楽しくなるような学び合いや問を深める授業をしていくこと、失敗や上手くいかないことはあって当たり前、人は助けうことができて、人の役に立つと気持ちがいいということ、未来は決して暗くないし、世界には見たこともない素晴らしい世界がたくさんあるということーを伝えていく
私にできることを、一歩一歩やっていこうと思います。
私自身も逃げてもいいーと思いながら。
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