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無職道場入門前夜

noteを始めるときに「無職とかGLAYとかの話をする」と言っておきながらGLAYの話ばかり続いてしまっていたので、この辺りで無職の話を数回挟んでおこうと思う。

これからお読みいただくのは2ヶ月ほど前、勢い込んで…という表現が適切かはわからないが「よし、無職になるぞー!!」と、それがたとえ「無職」だろうと何だろうと猪突猛進過集中モードで鼻息荒くなっているのに「自分は今ようやく冷静な判断ができている」などと勘違いした状態で書いたいわば『無職'sハイ』な文章である。
そうでもしていなければ自分が保てなかったのかもしれない。
2ヶ月経ってすでに思うところが変化してきているのだが、完全に風化しないうちに残しておくことにする。

それはただ、これから無職になろうとしている、あるひとりの人間のお話。


9月某日

「今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが…」
泉谷しげるの曲のワンフレーズがイヤーワームとして頭の中で反復している。

明日、いや、零時をまわったので正確には今日、転職を予定していた会社に断りの面談を申し込んである。
社会人になって以来はじめて、期限を決めずにほぼ無職になろうとしている。

「ほぼ」というのは、退職した会社から「ほかに頼むところがない」という理由で月5,000円程度の仕事を依頼されているから。
それと、手作りのものをネットで販売したり、いろんな所にちょっとお手伝いに行ってお金をいただくこともあったりするから。


ある縁から転職の話が降って湧いたのはおよそ半年前の、春先のことだった。

前の職場は給料も抜群に良かったし、仕事自体が嫌いなわけではなかった。
でも、働き始めてしばらくするとなんだかどうにも居心地が悪くなって転職を繰り返す傾向にあるワタシは、このたびも例に漏れずそろそろ酸欠を起こした池の鯉のように息苦しく水面でぱくぱく喘いでいるところだった。
数ヶ月タイミングを見て、退職を申し出た。

アルバイトも含めたこれまでの幾度の退職は、表面上は無理やり寝技で円満退社に持ち込んだものもあれば、尻尾を切って逃げるような形になったものもあり、すべてにおいて決して綺麗なものではなかった。
それに比べると今回はきちんとタイミングを見て自分の意思を表示して、話し合いをして辞めることができた。
成長した、と思う。

問題はここからだ。
いざ「明日初出勤だ!」という先週の日曜日のこと。

盛大にぎっくり腰をかました。

癖になっていてもう慣れっことはいえ、さすがにやってしまった翌日はまともに動けない。
なんとか夕食をとり終えると、今度はみぞおちに嫌な感じがしてきた。
状態はどんどん悪くなり、紛れもない胃炎となった。

出社する予定だった転職先に状況を連絡すると、無理はしないでと言っていただいたので、お言葉に甘えてお休みすることにした。

そして気づいた。

これは、身体からの悲鳴…「出社拒否のストライキ」だ。
ストレス性腰痛&胃炎だと。

詳しくは書かないが、この半年間に諸々不測の事態が発生したことにより転職先では社内の雰囲気が良くないという事前情報を得ていた。
その上、これまでの面談の中で「これはちょっとムリかも…」と思う所がいくつもあったにもかかわらず「とにかく転職したいのだ!気に入ってもらいたい!役に立ちたいのだ!」という今思えばいわゆる躁状態だったために、すべて見ないフリをしていた。
これも考え方の癖が出たと言える部分で、つまりは「自分に嘘をついていた」ということになる。
それに気づいたか、それとももう2〜3日前だったか、それくらいからいわゆるうつ状態に入った感じはしていて、長時間横になっていたことが体調不良の直接の原因といえばそれはそうなのだが。

精神科の主治医は私の気分変調症の原因はASD(自閉スペクトラム症)にあるとしているので、双極性障害という診断はしていない。
ただ、自分では到底乗りこなせないジェットコースターのような気分の波があるということは、主治医も私も共通して認識している。
乗りこなせていないので「自分が今どんな状態にあるか」はその時点では気づいておらず、たいていのことはだいぶ後になってから『独り大反省会』を開くことになる。

今までのパターンで行けば「いや、この段になって今さらやっぱり辞めるなんてとんでもない!」と心に鞭打って就業継続するところである。

でも、今回は違った。

「このまま出社しはじめても、結局続かなくて迷惑かけることになるだろう。それならいっそ出社してしまう前にもう一度考え直そう。」と考えることができた。

というのも、来年いよいよ小学校に上がろうという子どもの存在が大きかった。
そもそも母である私が情緒不安定なので、子どもには普段から穏やかに接することがなかなかできないでいる。
それが、いざ脳みそが「仕事モード」になると、一層よろしくない方向へ行ってしまうことに気づいた。
さてそろそろ来週から出勤だよ〜という頃になって、イライラして子どもへの言葉かけがすべて怒鳴り口調になっていることに気づき、自己嫌悪に陥っていたのだ。

マルチタスクが苦手という特性はよく挙げられるが、過剰適応のせいでパンパンに無理すれば日常の作業や仕事でのマルチタスクはこなせる。
ただ、「仕事」と「育児」という大容量の課題がまるっとバランス良く収まるほどのリソースが、私の脳みそには無いらしい。
あちらを立てればこちらが立たぬ。
であれば、今は育児に集中するべきタイミングなのではないのか。

何事もなければ、この先1年程度は生活が成り立たないほど経済的に困窮することはない状況にはある。
独身時代を含む福祉につながる以前は、前年の収入による税金や保険料を払わなければならないし、病院代を稼ぐためにも働かなくてはという本末転倒な状況で、とにかく切れ目なく就業し続けた。

「自分の時間と身体を犠牲にしてでもその仕事・会社に尽くすこと」に美徳とやりがいを感じる社畜体質でもあった。
結婚後から妊娠中に無職だった一時期は、マリッジブルーやマタニティブルーズもあったのかもわからないがとにかく鬱々としていて、こんな「呼吸してるだけで金がかかる人間」が存在していていいのだろうか?私が生きている意味とは?といったようなことばかり考えていた。
だから「私には主婦は無理なんだ、仕事という形で社会とつながっていなくては生きて行けないタイプなんだ」と思っていた。
つい数日前までは。

今はどうだろう。
仕事脳に支配されて笑顔が消え、イライラして夫や子どもに当たり散らし、その笑顔も奪うとしたら。
そうまでしてするほど就業継続する必要はあるのだろうか。

子どもに関しては、今はまだ保育園で丁寧に対応してもらっているから目立った問題はないが、すでに家庭内での大荒れにはずっと頭を悩ませているし、小学校に上がれば丁寧なケアは期待できないので今以上に本人の感情が置いてけぼりになることも格段に増えるだろう。
適切な環境調整や支援を受けるために、様々な手続きが必要だ。
支援を受けた上でも、学校生活においては今よりなお丁寧な寄り添いが必要になるだろう。
日々の様子を観察記録し、通院もしなければならない。

こうした事務手続きを含む思考労働は、多くの日本の家庭と同様に母親である私のワンオペである。

白黒思考の私が、これらの全部と自分の仕事とをバランス良くこなせるとは思えない。
脳みその容量100%に収まらないなら、200でも300でも使って行け行けー進めー!!…とやって、心身を壊すのがお決まりのパターン。
だから、確かにいつもなら引き返せないこの段までは来たものの、今回ばかりはブレーキを踏もうとしている。
むしろこの段階で気づけた。
そして逃げずにきちんと対話して謝ろうとしている。
明日(今日)ちゃんと綺麗にほぼ無職になれたのなら、そこで改めて成長した、と思うことにしよう。

こうして長い長い考え事をしているうちに、もう夜明けが近いほど夜が更けるのも悪い癖だ。
もう頭が冴えてしまって自力では眠れそうにないので、お薬の力を借りたいと思う。
今夜も入眠時パニック発作が起きませんように。


翌日へつづく。


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