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【極私的読解】『或社会主義者(芥川龍之介作)』をこう読む ~その1~

先日、記念すべき作品番号001番『或社会主義者(芥川龍之介作)』を声に出して読みました。

…まぁ、たくさん課題が浮き彫りになったわけです…そらそや。

今日は、その課題はひとまず棚上げして、この題材をどのように解釈したか。どのように読んだかをメモしていきたいと思います。

 

ここで、ひとつ前置き。

この場において、著者の意図を正しく解釈することが必ずしも重要とは思っていなくてですね、あくまでも私自身が「こういうことちゃうのん」と思た事を優先してます。

私が勉強した演劇集団円という劇団では、どんなにぶっ飛び解釈でも役者のやろうとすることを否定せず、実現する為に何が必要かを後押しする前向きな風土がありました。愛しすぎる。

「こうでなくてはいけない」という様式美のようなものも時には必要なのですが、今の私はそれを強いられる状況でもないし、こらもうむしろ、一丁、自由自在に私を解き放つしかない状況なのです!
…やってさ。言い切っちゃった。彼、マジよ。

純文学研究者の皆様、万一この記事をご覧になることがありましたら、何卒寛大な御心(みこころ)で御見守り戴き、その振り上げた拳は沸かした湯船の熱さを推し量るなど別の用途にお使いください。

 

 

本日の題材は「青空文庫」より拝借しております。ご興味ありましたら、ぜひご覧ください。

【青空文庫】

※題材はパブリックドメインのものを使用しております。

 

・・・

 

感慨深い。

そもそもこの題材選んだのが「情熱の所在」がテーマとなっており、私自身がこの10年、表現者としての情熱を失った(厳密には燻りながらも行動するに至らない)状態であった故、どこか共感を感じた為である。



さて。

では、私が実際に使用した原稿を基に「ここは重要やなぁ」とか「これはようわからん」という箇所を記録していきます。では、どんといってみよ!

 

 

【1】そもそも社会主義とはなんぞ?

びっくりした?…ここからなのよ(^^ゞ

ただ、この作品には社会主義思想の深層までは作品に関わってないので、サラッとだけメモしておく。

ー「資本主義」と「社会主義」ー

○資本主義
イギリスの産業革命以降に確立されたと言われる。資本家個人(民間企業)が、工場・土地・機械など生産手段を所有できて、各資本家(企業)が自由に競争することで、経済活動が活性化し、利潤が創出されていくという考え方。自身で生産手段を持たないものは労働力を提供して賃金を貰う。需要と供給から自然と市場価格や生産量が決まってゆき、基本的に政府が介入しない。(市場経済)
まぁ読んでの通り、現在ほとんどの国がこれ。問題点は「貧富の差の拡大」…はい、感じてますよ…。ここから脱却する為に提唱され始めたのが「社会主義」。

○社会主義
より平等で公正な社会を目指す思想。生産手段の私有によって、資本家階級…特にうまく儲けた人(企業)ばかり利益が集中するのであれば、競争と利潤の追求をやめ、国や自治体が生産手段を持ち(公有)、資本家と労働者の関係も無くし、国民みな労働者として平等に頑張っていこうぜ!っていう、まぁざっくりこういう考え方やねんて。市場は政府計画のもと生産・流通・販売が管理され、財はみんなでわけわけしようねって約束。
う〜む…資本経済に生きる者としてホントにそんなことが可能なんかと思っちゃうが…問題点は「じゃあ頑張って働かなくてよくねえ?」ってね…「お給金変わんないんだったらダラダラさせてーッ!」という人間の業。そらそや。経済活動も技術革新も停滞する。
ということで、社会主義を目指したソ連は崩壊し、社会主義国家は断然少数派です。

ー時代背景ー

この作品は1926年(大正15年/昭和元年)の作品。
主人公に実際のモデルがいるのかは分かりませんでした。語りが芥川自身とすると、作品後半の壮年主人公が1926年当時の姿として、前半の青年時代は20世紀初頭といったところか。

この頃の日本での社会主義活動についてちょっと調べてみる。
1895年日清戦争終結後、急速な産業化のひずみで劣悪な労働条件を訴える労働者階級の声が高まり、各地で労働組合が結成され、その指導理想として社会主義思想も同時に芽生えていった。(ちなみに足尾銅山鉱毒事件もこの頃)
1898年に開催された社会主義研究会の7名によって、1900年に「社会主義協会」が結成。さらにその翌年、協会の6名で1901年に日本最初の社会主義政党である「社会民主党」(現在の社民党とは異なる)が結党されるも、僅か2日後に当局より結党禁止処分。理想要綱は軍備全廃・階級の廃止・土地と資本の公有化などだった。直後、要綱を変更し「社会平民党」を結党するも即日禁止処分。
これらのメンバーだった幸徳秋水と堺利彦が中心となって非戦論を中核とした社会主義結社「平民社」(形態は新聞社)が1903年に結成。結成約一ヶ月後に「平民新聞」という社会主義新聞創刊。
私がこの「或社会主義者」を読むにあたって、「或団体(彼等)」=平民社、「『リイプクネヒトを憶う』を発表したパンフレット」=平民新聞、をイメージしてます。架空の団体のつもりですが。

1904年-1905年 日露戦争。
戦争終結後、日露戦争非戦の主張が基となり「平民社」解散。

1906年には日本で最初の合法社会主義政党「日本社会党」結党。(昭和ー平成期の党とは異なる)機関誌は「光」「平民新聞」など。しかし治安警察法の適用により解散。
1908年第2次桂内閣が成立すると一層社会主義への風当たりは強く、そんな中、宮下太吉首謀による「眼科事件」発生。

宮下太吉は幸徳秋水の「平民新聞」を読み社会主義に感化され、その後アナキズムに傾倒する中、1910年に同志3名と天皇暗殺を企てた。この「眼科事件」を口実に、政府でっち上げで幸徳秋水をはじめとする多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、証拠不十分なまま1911年に幸徳を含む12名が死刑、14名を懲役刑とした。大逆事件だが、現在は政治的弾圧事件の側面も一般的に語られているようだ。(幸徳事件)

多くの同志を失った日本の社会主義活動は急激に衰退し、これを境に「冬の時代」と呼ばれ、以後数年にわたって時代の影に潜めることになる。
(ちなみに第一次世界大戦の勃発や、ロシア革命による世界初の社会主義国家「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」の成立などの影響もあり、日本では1920年に「日本社会主義同盟」結成。活動期間は短かかったものの社会主義者が再び表舞台現れた出来事だった。)

ー主人公の年代についてー

作中で時間経過が漠然とながら記載されているところが2か所ある。
・会合へ顔を出さなくなった頃
 (数年以前の彼=熱心に活動していた頃)
・或会社で重役の信用を得るようになった頃

これを基に考えると。

学生→或雑誌社→ <数年> →家庭人→ <何年か> →或会社→壮年(1926年)

という流れを、上述の時代背景に当てはめてイメージしてます。壮年は、言うて40歳くらいのつもり。

以上。

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・・・

どこが「サラッとだけメモ」やねん!

思てた以上に記録してしまった。。。

もう今日は、ここでおしまい!

次回は、台本内の読解について書いていきますね😉

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藤江なるし
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