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代表の姿を見ていると…

勝ち続けてきた人(たち)だけが金メダルを獲れるオリンピック。

どの種目でも、一挙手一投足 強さと鋭さに満ち溢れている姿が印象に残るものです。

しかし、その舞台に出場し 金メダルをかけて争うためには、代表という名の権利を勝ち取る"強さ"が必要で、
その権利を得られなかった人たちは全て 弱い人と呼ばれる世界でもあります。

過去に何度も金メダルを獲ってきた選手でさえ、
負けてしまった瞬間に弱い人とみなされてしまう 情け容赦ない世界だとも言えます。


政治の世界も 同じことが言えます。

選挙という名の競争が設けられて、
勝った人(たち)だけが 代表として活動できる権利を得る、
というルールになっています。

代表が背負うもの


人は皆、弱い心身でこの世に生まれます。

代表を勝ち取った人も皆、
様々な学び・実践・反省を経て 強くなったんです。


しかしながら、
いつの時代も、代表として活動できる人は 少数派です。

つまり、どんな時でも 代表というのは、
弱い人たちに代わって表現する役割が求められるわけです。



そういう論理も、今や理想にすぎないんだと 肝に銘じておくべきかもしれません。


この数か月、自治体の首長やプロスポーツ選手などによる不適切な言動があって 処分が課せられた件が次々と出てきて、

代表としての姿勢を 常に保てている人ばかりではない現実を思い知らされました。


高校野球などで「負けた人たちの思いを背負って…」と口にする場面をよく見ますが、

その言葉の意味をちゃんと理解しているのか 疑ってしまうほどの薄っぺらさに、強くなれない僕の無力さも相まって 嫌な感情に覆われてしまいました。



代表に頼りっきりでいいのかな?


誰かの尊厳を傷つける言動は、どんな人でも非難されるべきだし、

その癖が直らないのであれば、
代表が自ら 弱い自分を自覚してもらわなければならないように思います。


こうやって、弱い立場の人(たち)の思いを軽視・無視した振る舞いに対して非難の声をあげるのが 我々弱い人の務め。

ではありますが、

どんなジャンルでも、勝ち続けている人や物に対しては、
できなくてもしょうがないことですら やり遂げてくれるはずだ という
過度な期待を寄せてしまう傾向がある
ように思います。

と同時に、その期待を裏切る結果になった途端に
怒りや悲しみといった感情を即座にぶつけたがる傾向
も分かってきました。


国民的アイドルグループのセンターや総監督は特に、
こういう側面と常に接しながら 代表としての役割を務めているんだと思うと、非難の声をいたずらにぶつけ続けるのは良くないな という心境に変化していきました。


どんな性格の代表でも、皆 弱い心身で生まれてきた人間であることを 忘れてはいけないと つくづく実感させられます。



一国の代表に対しても、そういう思いになる場面ばかりです。

わけの分からない現象に対しても、誰に対しても被害が押し寄せてこないような 完璧な処理をしてくれるはずだと どんな時代でも期待してしまう典型だと感じます。

代表の権利を持っていなければ動かせないものごとは もちろんあるんだろうけども、

新型ウイルスの件での国民とのコミュニケーションを見ていて、
何でもかんでも代表に頼るのは良くない というのがはっきりしました。


内閣やその部下たちを総動員しても止められない天変地異や災害に関しては、
国民それぞれで身を守る行動をとってもらうよう お願いするのは理にかなっているし、

誰が代表になっても、最善を尽くしても、
うまくいかない状況は起き得るものだから、
国民一人一人に判断を任せるしかない時があっても 仕方ないように思うんです。


最善を尽くしていればいいのは官房長官までで、
強くて分かりやすいパフォーマンスが首相に必要だ と言われてしまえばそれまでかもしれないけど、

弱気な言動があったから政権交代 という流れのままでは、
国民の政治不信に歯止めがかからないと思います。



恋愛で築いた関係だったり 家族関係だってそうだと思います。

常に完璧を望む相手の返答を聞いて 嫌な気持ちになり続けるのであれば、
自分自身で下手なりに最善を尽くし その様子を見せた方が 気持ちはすっきりするはずです。

その行動のメリット・デメリットを自ら理解して覚悟さえすれば、
多少失敗したってどうってことなくて、誰かに責任転嫁する行動もしなくなります。



「余裕がない(生活で良い)んだ」と、
何でもかんでも代表にすがってばかりで後悔していませんか?


国民一人一人がそれぞれで判断できることが増えていけば、
無駄に政治に頼ってがっかりすることが少なくなっていくわけで、 

民主主義の理想形に近づく、というのは皮肉にしかならないか…。



とにかく今は、

人と会う時はマスクをする。

抗体が無くて怖いのであれば、
人に会わない方法を選び続ける。

"その場のノリ"とか、"おもしろい・おもしろくない"といった 感情的な表現を排除し、冷静で論理的な意見を取り入れるように常に心がける。

こういう覚悟を持っているから、僕はずっと健康で居られるんだとつくづく感じます。



「じゃあ お前が代表になればいいじゃないか」と言ってくるけど…

後ろ向きな思いや弱さを 正直に認めないことには強くなれない、とお伝えした記事があるように、

僕は、皆さんが本能的に求めているような代表の振る舞いはできません。


ましてや僕は、

争いごとに対して 苦手意識ばかり受け取ってきた経験から、

代表を勝ち取るための戦いにも、なるべく関わらないように心がけないといけないと思ってしまっています。


正直者が馬鹿を見る雰囲気に居たくないし、
そういう光景を見続けたくもないし、

そういう雰囲気を打破するような対決姿勢をとれる心身を持ち合わせていないと、早々と正直に認めてしまいたいくらいです。


法律上 理にかなっている相続の話し合いとかには 参加しないといけないと思うだけで、

何でもかんでも競争すればいい という考え方には、
どんな時代がやって来ようとも 反旗をひるがえしたくなる僕の気持ちを
分かってくれる人はいないでしょうか?



そんな演説をする人が総理大臣に選ばれた時には、
この国の感情は どうなってしまうんでしょうかね…。

オーノ

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