*小説《魂の織りなす旅路》 失明
【失明】
見えるはずの機能を持ったこの目は、僕に何も見せてはくれない。
最初は見えにくく感じる程度で、年のせいだろうと思っていた。ところが、ほんの1、2ヶ月で目に映るものが加速度的に霞んでいく。さすがにこれはおかしいと病院へ行くことにした。
複数の病院に診てもらったが、異常は見つからなかった。どの医師も首を捻るばかりだ。それでも視力は診てもらうたびに落ちていく。
視界のぼやけがひどくなり生活に支障を感じ始めた頃、失明する可能性もあるのではないかと思うようになった。医師は失明するともしないとも言わない。僕の目がこの先どうなるのか、医師にもわからないのだ。
このまま病院に通うだけで何もせずにいたら、完全に見えなくなったときに困るのは僕だ。とうとう僕は腹をくくった。
一度腹をくくってしまうと、気が楽になるものだ。どう足掻いたところで、見えないのだから仕方がない。ちょうど年金生活が始まったばかりで、有り余る時間をどうして過ごしたものかと悩んでいたところだ。やる事ができたのだと前向きに思うことにする。
まずは、目が完全に見えなくなってもスムーズに家の中を行き来できるよう訓練を始めた。
目を閉じて歩いていると、思わぬところで物が落ちたり、足や腕をぶつけたりする。そういった歩行の邪魔になるものを片付けていたら、家中がすっきりとして、思いもよらずいい断捨離になった。
見えるうちにやっておけることは山ほどある。家具の配置を変え、蹴飛ばしてしまいそうなものは排除し、知り合いの業者に頼んで手すりをつける。
また、医師が勧めてくれた視覚障害者のための生活支援センターにも通うようになった。訓練すべきことが想像以上に多いことを知り、年金生活で有り余っていたはずの時間は、訓練に没頭することですべて埋められた。
そんなある朝、ガチャガチャと玄関の鍵を回す音が聞こえてきた。身構えて耳をそばだてると、ガラガラガラッと重たそうな荷物を運ぶカートの音、よっこいしょという掛け声、居間の襖を引く音がして、「ただいまー」と娘が入ってきた。
以来、娘と一緒に暮らしている。娘の世話になるのは気が引けたが、娘が勧めるようにそれはお互いにとって良いことのような気もしたし、なによりもやはり心強かった。
「マンションってね、窓が1つしかないの。ベランダに通じる窓だけ。ほかの3面は分厚いコンクリートに覆われていて、仕事をしていると息が詰まっちゃう。独立したときに帰ってくればよかった。」
独り身の娘は数年前に独立開業し、在宅の仕事をしている。社会人になってからというもの、この家に帰ってくるのは盆と正月だけで、それは独立開業後も変わらなかった。
娘が30歳になったときお見合いを勧めたが、「結婚は考えていない。これから先も結婚するつもりはないから、もうこういう話はしないでほしい。」と言われた。仕事に専念したいのだろうと、それ以来結婚について話題にしたことはない。しかし、彼氏くらいはいるだろうし、娘の人生の足枷にはなりたくない。娘がいなくても自立した生活ができるよう、僕は訓練に励んだ。
娘は急速に視力が低下していく僕を目の当たりにしても、まったく動揺を見せなかった。それよりも僕が失明したときのための工夫に夢中なようで、僕が気づかない細部にまでこだわり、あれやこれやと準備してくれた。
おかげで訓練により身が入るようになった。さまざまな生活音に耳を澄まし、指先の感覚を研ぎ澄ます。今まで無意識に聞いていた音を意識的に聞きとり、指先の腹に神経を集中させる。そこには目が見えなくなっていくにもかかわらず、世界が開けていくような不思議な感覚があった。
今、僕の目は僕に何も見せてはくれない。それでも不自由なく過ごせているのは、この訓練があったからだ。買い物は外出支援を受けているが、日課にしている散歩はいつも一人で行く。
相変わらず独り身の娘は、いつも2階で仕事をしている。僕に手が掛からなくなったので、仕事を増やしたらしい。体を壊さないか心配になるが、本人は楽しくてたまらないようだ。娘にはやりたいと思うことを存分にやってもらいたいと、僕は僕の時間を大切にしている。
縁側の籐椅子にゆったりと腰を掛け、水鉢の音を聴く。その水の音が妻と出会った大学図書館の湧水の音と重なり、僕は自分がどこにいるのかわからなくなる。きっと、思い出は過去ではないのだろう。こうして思い返すたびに、今が反映されるのだから。
妻との思い出は、僕にとっては今この瞬間の出来事なのだ。そんなことを考えながら、僕はたゆたう時間の波に揺られる妻を想った。
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