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*小説《魂の織りなす旅路》 洞窟

少年は己の時間を止めた。目覚めた胎児が生まれ出づる。不毛の地に現れた僕は何者なのか?

【洞窟】

 陽が傾いてきたせいか、あんなにも痛かった陽射しは弱まり、急激に寒くなってきた。薄い布を一枚纏っているだけの僕は、ブルッと身震いする。

 「寒いかや? そらそうやねぇ。寒いに決まっとるやねぇ。でもほれ、あすこの山。あの崖下に着いたらあったかいやね。」

 歩き始めたときは小さな点でしかなかった岩が、今は巨大な山として目の前に聳えていた。緑に覆われた山頂は平らかに広がり、ここから見える山の側面はどれも垂直な絶壁だ。山が立つ平地は乾いた赤土で、これまでと変わらぬ不毛の地そのものに見える。
 山壁にたどり着いたとき、ひとりの少女が2本のおさげ髪を左右に振りながら近づいてきた。

 「ほうほう。お出迎えやね。ありがたい、ありがたい。」

 孫といってもよいほどの幼い少女に、男は丁寧に頭を下げる。少女はにっこり微笑むと、山壁沿いを歩き始めた。男と僕はそのあとに続く。
 壁で風が遮られているのだろうか。気づくと体の震えは止まっていた。歩くほどに、体の芯からぽかぽかと温かくなってくる。

 しばらく山壁沿いに歩いていると、大きな杉の木がすっぽり収まりそうなほど、天井の高い洞窟が現れた。洞窟の中央には川が流れている。少女はその川に沿って、後ろを振り向くこともなく、ひたすらにぐんぐんと洞窟の奥の方へと進んでいく。
 洞窟は、どんなに歩いてもちっとも暗くならなかった。どこかに蝋燭や松明があるに違いないと、あたりを見回しながら歩いてきたが、その反面、この明るさが蝋燭や松明のそれとは異なることにも、僕は気がついていた。

 「ここは境目さぁね。暗いも明るいもないやね。」

 僕の疑問を察した男が、穏やかな口調で言う。ここが、見えるものと見えないものの境目。境目からやって来た僕を知っている男が、境目に僕を連れてきた。何故だ。僕は、この男とどんな関係がある? 僕とこの境目に、どんな繋がりがあるんだ?

 「そうさねぇ。あんたをここに連れてくるのが、俺の役割やったさね。もうすぐお役ごめんやねぇ。」

 「役割だって?」

 「そうさね。だからあんたを見つけてぇ、あんたをここに連れてきたんさね。」

 境目の誰かに頼まれて、あそこまで僕を探しにきたということだろうか。僕が問いを口にする前に、男は答える。

 「探してなんかいないさね。あの辺をちょいと見回してぇ、すぐに見つけたやね。あすこにいるのはわかっていたさね。」

 「誰に・・・」

 「誰に頼まれたわけでもないやね。誰かがここで、あんたを待っているわけでもないさね。あんたが俺を必要としていただけやね。」

 僕がこの男を呼んだとでもいうのだろうか? いつ? どうやって? 僕は一体誰なんだろう。なんだって、あんなところで寝ていたんだろう。

 「そりゃぁあんた、教えたとおりさね。生まれたてのほやほやだったんさね。」

 「始まりの者から?」

 「そうそう。」

 結局は、創造主様のお話に戻るのか。この男の言うことは、なにもかも僕にはさっぱりだ。

 「あんな辺鄙なところに生み落とすなんてな。」

 僕が吐き捨てるように言うと、男はひゃひゃひゃっと肩を震わせながら笑った。
 僕には、この男の言うことが信じられない。しかしこの男は僕の心を読む。洞窟内は外のように明るい。あんなに震えていた僕の体は、火にあたったわけでもないのに芯からぬくもっている。奇妙で不可解なことが起きているのは確かだ。
 僕は、目の前を歩く少女の後ろ姿を見た。体の震えが止まったのは、この少女に出会ったときだった。あのときは、風が山壁に遮られて寒さが軽減したのだろうと思ったが、体の芯からくるこの温もりは軽減どころの話じゃない。
 男に心を読む能力があるように、この少女にも何らかの能力があるのだろうか?

 《温かくなったのは体ですか?》

 不意に、言葉のイメージが脳裏に降ってきた。僕は後ろを振り向いた。誰もいない。少女と男は、変わらず僕の前を黙々と歩いている。声ではなかった。しかし、僕の思考でもない。気のせいだろうか。
 ああ、ほら、また。今度は言葉のイメージとは違う。誰かがくすくすと笑っている。笑い声が聞こえるわけではないし、笑っている顔が脳裏に浮かぶわけでもない。けれど、誰かがくすくすと、楽しげに笑っているのがわかる。

 《目を閉じて》

 誰かが僕の思考に呼びかける。

 《目を閉じて》

 ふいに少女と男が立ち止まり、後ろを振り向いた。2人の微笑んだ顔が僕に向けられる。2人はゆっくりと頷く。僕は静かに目を閉じた。

次章【胎児・胎内】につづく↓

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