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【短編小説】 命の灯火よ、永遠に 【百合】

※この短編は、別名義で別サイトに上げていたものを、こちらへ移動したものです※


遠い昔の記憶。幼かったわたしは、身体が弱く、いつもベッドの上で過ごしていた。家政婦が、身体を冷やしたら大変だからと、小さなわたしの上に何枚も何枚も重ねた布団の、レースのつくりを見つめる、ひどく退屈な日々だった。それでも、ベッドの横の大きな窓から見える夜空だけは、大好きだった。わたしの瞳が、星でいっぱいになるあの感覚が、何よりも、大好きだった。

あの日もいつも通り、夜空を眺めていた。でも、「いつも」と違うことが起きた。家政婦がきちんと鍵を締めたはずの窓が、静かに開き、風に揺らされたカーテンの奥から、「二階のわたしの部屋」に、きれいな女の人が夜空のような長い髪を靡かせて入って来たのだ。その女の人は、あまりのことに声が出ないわたしを、じぃ…っと覗き込み、どこか優しい微笑みを向けながら、ハッキリとこう言ったのだった。

「私は、貴女をずっと見ているわ」

***

「やあ!はじめまして!入部希望かな?」

入学式が終わって数日。私は、この学園に入った目的である、文芸部の部室たる図書室の前に立っていた。ノックをしようと手を前に出した瞬間、突然背後から声をかけられ、驚いた私は振り返った。そこには、「トンデモ人間」と名高い、あの人がいた。
…あまつか、あかり。「天使の灯火」と書いて、天使灯。
名前の通り、天使のように儚げでかわいらしい見た目でありながら、性格は豪放磊落、その行いは傍若無人。「灯火」どころではなく、「烈火」の如きオーラを放ち、さらにはこの学園の学園長の孫娘であるこの人を、この学園で知らない者はいない。
「え、ええ、はじめまして、私、亜久津麻子と申しますわ。」
「なに、そんなに畏まることはない!マコ…と言ったな、わたしはこの文芸部の部長、天使灯だよ。灯、でいい。で、入部希望かな?」
「はい、灯お姉さま。お姉さまのおっしゃる通り、私、この文芸部に入りたくてご挨拶に、とやって参りましたの」
「おお、おお!そうか、そうか!うれしいなあ、何故かだぁれも入ってくれなくてな、文芸部はずっとこのわたし一人なんだ!わたしにも遂に後輩が出来るんだなあ〜!いやはや感慨深い!よろしくな!」
「ええ、よろしくお願いいたしますわ、お姉さま…」
お菓子を買ってもらった子供のようにはしゃぐ灯お姉さまの笑顔を昨日のことのように覚えている。これが、私と、天使灯の「はじめて」の出会い。…天使灯にとっては、の話だが。
…私は、この少し古臭い話し方をする「少女」を誰よりも知っている。何故なら、私は、ずっと見ていたから。この溢れんばかりの美しさを持つ、天使灯がこの世に産まれ落ちたその日から、ずっと……。

***

あれから、数ヶ月。授業が終わると、図書室に来ては、お姉さまと他愛もない話をしながら、たまにお互い貸し合った本の書評をしたりする生活を送っている。数ヶ月の間、お姉さまは自分についてある程度のことを語ってくれた。何故か友達がいないこと、学園で話すのは私だけということ、好きな食べ物は家でたまに出るあったかいビーフシチューであることなど…さまざまなことを、全て知っている私に教えてくれた。何かを語っている時の、お姉さまは、大きな瞳をぱちぱちと輝かせて、生き生きとしてとても楽しそうだ。
「でな!この話のどこがすごいかと言うと…えっ?聞いてる?おーい、マコ?マコちゃんやーい」
「ああ、すみません、もちろん、聞いてますわ。」
「ふーん、ならいいけど〜。マコ〜、わたしは、退屈なんだよ!わたしの話を聞かない人間はいないんだけど、みんな聞くだけなんだ。適当に相槌をして、みんな逃げて行っちゃうんだよ、なんでだろうな〜?」
お姉さまは、腕を組み、本気で悩んでいる。みんな、気付いていないのだ。「学園長の孫娘」という肩書きだけを見て、この人がこんなにも分かりやすくて、人間臭くて、かわいらしい人だということを。
「でも、マコがこの学園に来てくれて、本当に毎日楽しいんだ!それまではこの図書室で一人、本を読んでは日々を過ごしていたからな!マコ、ありがとな〜、大好きだよ!」
「…私も…ですわ、お姉さま…」
この人は、恥ずかしげもなく「好き」を口に出来る人。普段、誰も映さず、ただ真っ直ぐ好きなものを見つめるために在る瞳が…今は、私を…私だけを、映している。それが、どうしようもなく嬉しくて、お姉さまの瞳一杯に映る私は、しあわせそうに笑っていた。

***

「悪魔」は、いつも魂を探している。自分が、「欲しい」と思える魂を。毎日産まれる人間の写真が、必ず毎日リストになって、人間界で言うところの新聞のような形で届けられる。大抵の悪魔は、それに目を通すのが朝の日課だ。
人間はいつか死ぬ。リストには、その赤子の寿命も書かれている。寿命は、産まれた時から決まっている。悪魔は、別に、魂を奪う訳でもないし、喰らう訳でもない。ただ、自分が欲しい魂が、死を迎えるその時まで、その魂を見守り続けるのだ。自分が選んだ愛しい魂が、どういう人生を送って、自分のコレクションになるのか、それを観察するのが多くの悪魔たちの趣味みたいなものなのだ。故に悪魔たちは、その楽しみを少しでも増やすために、多くの人間を同時に選ぶのが常だ。悪魔にとっては、どんな人間たちの生き様も、愚かである。人間たちの悩みなど些事である。だが、愚かなもの程、かわいらしい。不完全なもの程、かわいいのだ。そういう思考を持つものが「悪魔」になると言ってもいい。元来、「天使」と「悪魔」は同じものなのだ。魂をどう愛するか、その違いがあるだけだ。
だが、私は、悪魔なのに、人間の儚さの中に完璧を求めた。それに、他の悪魔のように、多くの人間の生き様を見たい、集めたいとは思わなかった。私は、とっておきの、素晴らしい魂を一つだけ選んで愛でたかったのだ。自分だけのとっておきの魂を探し続け、いつしか途方もない時間だけが過ぎていた。そんな私は、落ちこぼれの烙印を押されたが、それでもめげずに、私だけの魂を見つけるために、毎日リストを眺めていた。
ある日、届けられたリストの写真の中の一つに、目を奪われた。一際、寿命が短い赤子がいたのだ。だが、写真越しでもその赤子の儚いはずの命の灯火が、ゆらゆらと熱く燃えたぎっているのがひしひしと伝わってきて、その美しさに気付けば涙を流していた。やっと出会えたのだ!私の!私だけの魂!
悪魔は、コレだ!と思った魂を見つけたら、写真に自分の血液を垂らす。それで、その魂は、その悪魔のものになり、いつでもどこでもその魂を「上」から観察することが出来るようになる。そして、その魂が、人間で言うところの六歳となった時、初めて会うことが出来る。私は、初めて、何かを待ち遠しいと思った。
それから、私は毎日毎日、彼女を眺めて過ごした。赤子の名は天使灯と言った。金色のきれいな髪と少し青みのある瞳、薔薇色のほっぺた。灯は、寿命が短いからか、人より身体が弱く出来ているようだった。一日のほとんどをベッドの上で過ごしていて、寿命よりも前に私のもとへ来てしまうのではないかと思う程であった。だが、それでも、彼女の瞳は前を見ていた。希望を映していた。初めて写真で見た時と変わらず、命はめらめらと燃えていた。しっかりと、着実に成長していた。
そして、六年経ち、彼女と会える日が来た。どうせ会うなら彼女の好きな夜空と共に、と考え、夜を選び、私は、彼女の前に姿を現した。いつも通り、ベッドの上で何重もの布団に包まれた彼女は、ひどく驚いていたが、その瞳を私から決して逸らす事は無かった。私は、きっと彼女はこの日のことを忘れてしまうだろうと思ったが、それでも、少しでも彼女に私のことを覚えていて欲しくて、思わず声をかけた。

「私は、貴女をずっと見ているわ」

***

気付けば、季節は冬になっていた。相も変わらず、図書室へ来てはお姉さまとおしゃべりする日々を過ごしている。今日は、お姉さまから貸して貰った歌集の感想をお姉さまに伝えるつもりだった。いつも通り、ノックをする。お姉さまは、だいたい先に来て、紅茶を淹れて待ってくれている。学園長が、愛する孫たるお姉さまが使うからと、色々と設置しているのだ。図書室は特別、あったかい。ドアを開けて、紅茶の香りが漂う部屋で静かに待つ、お姉さまが私に笑顔を向けるその瞬間が、何よりも大好きだ。
「失礼します。…お姉さま、私ですわ」
なのに、今日は、図書室はひんやりとしていて、紅茶ではなく古い本の匂いがした。いつも待ってくれているお姉さまも、いなかった。
ぼんやり立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。お姉さまの声とは違っていた。振り返ると、そこには学園長がいた。お姉さまの祖母に当たる方。
「亜久津麻子さん、ですね。」
「はい」
「灯と仲良くしてくれてありがとう。あの子ったら、家ではいつも貴女の話ばかりよ」
「こちらこそですわ、私の方がお姉さま…灯さまにいつもお世話になっています。…灯さまは?」
「…あの子、ああ見えて、昔から身体が弱いの。最近は貴女のおかげか…元気だったんだけれど…今日は自宅で休んでいるわ。…良かったら、お見舞いに行ってくれるかしら」
「…もちろん、私で良ければ」
「ありがとう。灯も喜ぶわ。私は、まだ仕事があるから、帰れなくてね…。じゃあ、運転手に送らせますから、少しここで、待っていて」
「はい、学園長…」
しばらくして、皺一つないスーツをきちんと着こなした運転手が迎えに来て、私をお姉さまの家まで送ってくれた。昔、一度だけ来た、お姉さまの家。広くて、きれいな、お姉さまのお城。門をくぐると、待っていた家政婦がお姉さまの部屋へと案内してくれた。ドアの前に立ち、いつも図書室のドアをノックするように、お姉さまの部屋のドアをノックして、声をかけた。
「お姉さま?私ですわ、マコです。お見舞いに来ました、入ってもよろしいですか?」
すると、部屋から、存外元気なお姉さまの声が聞こえて来た。
「ん!?マコか!?いいよ、入って」
ドアを開け、部屋へと足を踏み入れる。思えば、きちんとこの部屋に入ったのは初めてだ。部屋の中も、あの時から変わらない。真ん中に大きな天蓋付きベッドが鎮座し、壁一面に本が並び、床にもたくさんの本が積み上げられた広い広い部屋。変わったことと言えば、床に積み上げられた本がより増えていることくらい。
お姉さまは、初めて会った時と同じように、やわらかな布団に包まれてこちらを見ていた。
「…お姉さま、お加減は…?」
「やあ、参ったよ、風邪かなあ。久しぶりに熱が出てね。みんな大袈裟なんだ。こんなに布団をかけられてしまったよ。まるで子供時代みたいだ。」
「…よかった…」
けらけらと、笑っているお姉さまの頬を思わず触った。お姉さまの頬は、温かくて、お姉さまは確かに生きていると感じられてほっとした。お姉さまは、驚いていたけれど、やはり目を逸らしはしない。
「なんだよ…マコ…くすぐったいじゃないか…ふふ」
「ごめんなさい、お姉さま、でも、私…」
「…ごめんね、マコ。今日は、あそこに行けなくて。あの歌集のマコの感想を聞くのを楽しみにしていたのに。連絡…しようとは思ったんだけど、そういえば、わたしたちはお互いの連絡先なんて知らないことに気付いてね。…それでも…わたしたちは…」
「ええ、ええ。そうですわ、私たちは、ちゃんと、気持ちを通じ合わせることが出来ていたと…思いますわ」
「ふふ…そうだね。…わたしは、マコのことが大好きだよ、マコが部室の前に立ってたあの時から、ずっと」
「…お姉さま、私も、私も…」
「…ふふ、ありがとう…あのね、マコを見ると思い出すんだ、子供の頃、今みたいに何枚も布団を重ねられて、一人で寝ていた時、マコみたいにきれいな人が窓から入って来て…ふふ、信じられないだろうけど、わたしはしっかり覚えてるんだ、それだけは。あの人は、わたしをずっと見ているとだけ言って、どこかへ言ってしまった。正直どんな顔をしていたかまでは覚えていないが、確かに、あの人はきれいだった」
お姉さまは、私を覚えていてくれた。その事実が嬉しくて、ぼろぼろと涙が溢れる。うれしい。かわいい灯、私だけの灯…。
「…もう少し、わたしの話をしてもいいかな?」
そう言って、お姉さまは、小さな手で、私の手を握り、俯く私の顔を覗き込んだ。
「…はい、はい、お姉さま、いくらでも…」
「ありがとう!…マコ、実はわたしはね、自分の命が短いであろうことをなんとなく知っているんだ。」
「…そう、なんですか」
「うん。なんとなくね。誰に言われた訳でもないし、ただ人より身体が弱いとだけ、みんなは言うけど…なんとなく、わたしは、いつかそのうち、椿のようにぽとりとあっけなく命を落とすんだろうと、心のどこかで気付いてるんだ、ずっと。」
「…お姉さま…」
「でもね、それで、いいんだ!人間はみんなそうだろう?それが早いか遅いかの違いだけで、人は皆、死ぬ。だから、わたしは、死ぬことは怖くない。むしろ、この命の炎が何かに燃やし尽くされる前に、わたしが自ら燃やし尽くしてやろうと思った。だから、やりたいことは全部やってきた。部活も立ち上げた。たとえ、誰も入らず、一人だろうがそれでよかった。でも、マコが入ってくれたし、わたしは大満足!…それに、もし死んでも、あの夜、わたしに会いに来てくれたあの人が、待ってくれている気がするんだよ、ふふ、なんでだろ、こんなのおかしいよね、ふふふ…」
そう語って笑うお姉さまは、やっぱり誰よりもきれいで輝いていた。私には、微笑みかけて手を握り返すことしか、出来なかった。お姉さまは、私の微笑みを見て安心したのか語り終えると急に目を閉じて眠ってしまった。
…灯、大好きな私だけの灯。そうだよ。私は、ずっと見ているよ。そして、知っている。貴女が誰よりも命を燃やしているのを。そして、貴女の命が、燃え尽きそうになっていることも。だから、悪魔の私は…人間のフリをして、学園に入り込んで、後輩として、二人だけの日々を過ごした。貴女に名前を呼んで欲しかったから。貴女の魂ではなく、貴女自身と、笑い合いたかったから。貴女と、思い出を作りたかったから。

「…私、やっぱり、落ちこぼれだわ。貴女の魂じゃなくて、貴女を愛してしまったんだもの」

すうすうと寝息をたてる灯に、そっとキスをした。
彼女の命の灯火が永遠に続きますように、と悪魔らしくない願いを込めて。

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