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知的障害者の弟が生まれた時の話

これから書くのは、俺の人生に永遠に影を落とし続ける地獄の話だ。

俺には10以上歳の離れた弟がいる。確か中学2、3年の時に生まれたのだ。人が高校受験控えてる時に両親はナニをよろしくやってんだって感じだよな。産むか産まないかはかなりモメた。
父親は反対したが、母親は涙ながらに堕したくないと訴えた。「この子がどんな子に育つかはわからないんだから」と。子供の俺達兄妹には反対する権利など無かったし、「好きにすれば」と半ば冷めた態度だった。

母親のお腹が大きくなるほどに、自分の中の不安も大きくなるようだった。これからどうなるんだろうと。

異変を感じたのは、パートやメンタルの不調で動けない母親の代わりに保育園へ弟の迎えにいった時だった。
弟と同い年の保育園の他の子供達は俺が迎えに行くと「あの子のお兄ちゃんだ!」と弟の手を引っ張って連れて来てくれるのだ。しかし当の弟本人は全く俺や他の園児のことを認識している様子がない。それどころか2歳か3歳になる頃でも、「パパ」とも「ママ」とも言葉を発することも無かった。

自閉症と診断された。専門的な言葉を使うとアスペルガー的な性格と地続きになっているスペクトラムっていう傾向があるらしいが、弟はかなり重度で、高校卒業する年齢を越えた今でも、「ウー」とか「アー」とか唸り声を上げてる。健常者と同じようなコミニュケーションは望めそうになかった。発達障害とか学習障害とか生易しいもんじゃない、生粋の「知的障害者」だった。

よく自閉症の子供がドラマに登場したりすることがあるけど、本物を知っている身としては、知的障害者はあんな利発そうな顔はしていねえよと野次を飛ばしたくなる。
知的障害者なんて、ハナクソは食うし、トイレでウンコしたって手も洗わないケツも拭かない。思春期を迎えればズボンの股間をゴソゴソまさぐってる。知性に障害を持った人と暮らすっていうのは、そういう不衛生感との戦いだ。
保育園の年中さんくらいの年齢になっても、トイレトレーニングなんてのも素人の養育者にはほとんど不可能で、少し目を離していると畳の上に人糞が転がっていることもある有様だった。
ベランダの窓を開けて換気しても、広くはない団地のワンフロアからは異臭はなかなか消えなかった。
家で食事をするのが嫌だった。すごく汚ない所にある、汚ないものを食べているような気がした。

障害を持った弟が生まれて、唯一にして一番良かったことは、昔から死ぬ程仲が悪かった父親と母親がやっと離婚してくれたことだった。
昔から家の中の雑多に散らかったモノを投げつけあうようなケンカは日常茶飯事だったのに、3人も4人も子供を生産してるんだから、ホモ・サピエンスの生殖行動って不可解だよな。
中古で一戸建てを買って、あの団地の暮らしから脱出させてくれた父親には感謝しても仕切れない。

弟は母親が引き取ることになった。施設で暮らして、盆や正月に帰省する。その度に母親は生活保護の資金の中からやりくりして、レゴブロックやクルマとか電車とか、幼稚園にあるような「のりもの」の絵本を買うのだ。弟は高校を卒業する歳になってもそういうオモチャで夢中で遊んでいる。
自閉症の拘りの強さなのだろう。それらのオモチャが無いと、50過ぎの老年の母親に、170センチ70キロ超のガタイの弟が「遊び相手になれ!」と幼児のようにのしかかってくるのだそうだ。想像するだに恐ろしい、この世の地獄である。

インターネットで大人気の「生活保護の無駄遣いをするな」系の意見を目にする度に、「テメエ俺と決闘でもするかコラァ!」という気分になるのである。生活保護という行政の力によって、俺や妹は、母親と弟という地獄の存在から距離を取ることができているのである。

障害者を差別するなという意見を持つのは立派だとは思うけど、俺はほとんど健常人のコミニュケーションを解さない弟の存在が気味が悪かったし、その気味が悪い弟と同じ血が俺の中には流れていて、健常者から見たら気味が悪い振る舞いを無意識にしているのだろう。
俺は小さい頃から変わった人間だと思われることが多かった。それはきっと、自分の中には他の奴等とは違う、特別な何かが眠っているからだという、少年漫画の主人公みたいな妄想を無邪気に信じていた。その答え合わせが、弟の存在だった。

もし狂った殺人鬼に弟が殺されたとしたら、俺は「人生の肩の荷が下りた」という感情を1ミリグラムも心の水面に浮かび上がらせないでいられる自信は無い。それが正しいことか間違っていることかは本当にわからない。

もちろん、どれだけ物理的に距離を取って、行政が母親と弟の面倒を見てくれたとしても、俺に弟と同じ血が流れていることに変わりは無い。
自閉症スペクトラムの傾向は、遺伝的な要因が強いことが指摘されている。俺が努力の果てにパートナーを経て、子孫を残せたとしても、弟のようになってしまう可能性は消えない。誰とも繋がれない、どん詰まりの命。自分の遺伝子にはバクダンが入っているのだ。

人類は皆平等という考え方は素敵だと思うけど、やっぱり他者と繋がる力、『社会的知性』って、一つのスキルだし、才能だ。
自分の子供として産まれるなら、小学校に上がる歳になっても会話も出来ず、糞尿垂れ流しの障害児と、共感的にコミニュケーションが取れる賢い子供と、どちらがいいと聞かれて前者を選ぶ人間はまずいないだろう。
産まれる子供は選べなかったとしても、職場で一緒に働く人間として採用するなら?結婚相手として選択するなら?

この世界は「どうか私を選んで下さい」という願いで出来ている。
どうか私が作った商品を買って下さい、どうか私を貴方の会社で働かせて下さい、どうか私を愛して下さい・・・。

今年、妹が結婚した。彼氏を親父に紹介して、そこから母親や弟の障害のことも話したらしいけど、関係に亀裂は入らなかったようだ。理解のある彼君でよかったと思う。
もし俺の身にウルトラスーパーマジカルミラクルな奇跡が起きて結婚のチャンスが舞い込んできたとしても、家族のことを紹介したら一体どうなるのだろうか。少なくとも母親は死んだことにして、弟の存在は墓の穴まで持っていく秘密にする覚悟を決める必要があるのだろうか。
「ありのままの自分を愛して欲しい」っていうのが甘えだってのなら、問題のある身内の存在を隠し通すってのも、選ばれるための立派な努力だろう。


なんだか湿っぽくなりすぎたから、明るい近況報告もしようか。
紆余曲折を経てアラサーから就職して、もう3年以上になる。職場でも変わったヤツで通ってて、限りなくオープン就労に近いクローズド就労って感じだ。俺がいないと自分の部署が回らないようになったなんて書くと大袈裟だけど、上司がインフルエンザで寝込んだ時は、代打を務めさせて頂くこともあるし、(信じてもらえないかも知れないが)職場の女の子からはそこそこ人気がある方になった。「俺が絶対お前のこと幸せにすっから!!」とか漢らしいアプローチは色んな意味で出来ないんだけどさ。

ここまでやれてる要因の1つがドーピングだろう。磨り潰すと覚醒剤になる感じのヤバいカプセル(ちゃんと医療機関で処方してもらった)を毎朝エナジードリンクで流し込んでいるお陰で、ギフテッドでもない自分が優秀な健常者達と同等に渡りあえているのである。チョッパーとか、キャプテンアメリカとか、投薬でスーパーパワーを得るタイプのヒーローの気分に浸れるオマケ付きだ。
犠牲にしたものも一応ある。健康。まさか30代で血圧を医者に注意されるとは思わなかったし、フリーターの頃には知らなかった”肩こり”という感覚に悩まされるのも予想外だった。夜勤も多くて、夜にグッスリ熟睡したい時には入眠剤はどうしても欲しい。労働という変換装置によって寿命をカネに変えているという事象を薄っすらと実感している。そのことに文句を言うつもりは無い。健常者と障害者のハザマにいる自分が社会の中で一定の「役割」を得るには、命を賭けるしかないってのはその通りだし、一人暮らししながら、二輪免許取ってバイクも買って、つみたてNISAまで始められるだけの額は貰っている。結婚して子供を作ろうとしたら、若干物足りない給与フローだが、そこはもう少し多めに寿命をベットすればなんとかなるだろう。

だがコレを自分より年下の男の子達に薦められるかと言われれば話は別だ。

困難な境遇にいる若者がこの文章を読んでいたとしても「君も命賭けて頑張れば俺のようになれるぜ」なんてナルシスティックな誘いを強制するつもりは毛頭無い。っていうか、覚醒剤まがいの薬品で能力をブーストして、健康や寿命を犠牲にして、ギリギリ結婚して子供が1人育てられるかも知れないくらいの暮らしができる社会ってなんだよ。戦時中なの?発展途上国なの?

俺個人という人間がそれほどポンコツであることが原因には違いないし、何度でも書くが俺は命賭けて今の仕事を頑張ることに誇りさえ持っている。でもみんながその強度で頑張らなきゃいけない社会って何処かおかしくない?

母親と弟について、俺は後見人制度というものを利用したいと考えている。真剣に将来的に結婚して家庭を持つことを考えたら、母親と弟の存在はどうしても障害になる。だから生活上でも法律上でも、なるべく離れておきたいのだけれど、そのためにはもしかしたら俺より安い給料で働いているかもしれない、福祉関係の方々に母と弟の生活を預けなくてはいけなくなるだろう。何処かに矛盾を感じている。

近頃この国では、困っている人に手を差し伸べることの価値が剥奪されてしまったのだろうか。使命感を頼みにして頑張っている介護士さん、保育士さん、学校の先生達。彼ら彼女らがいなければ、社会は大変なことになってしまうのに・・・。SNSを覗けば、運良くビジネスに成功した小金持ちやインフルエンサーが、未来に希望を持つことができないでいる人々のことをバカにしているような光景が日常茶飯事といわんばかりにそこかかしこに散見される。

本当に何度でも書くが、俺はこれからも仕事に命を燃やしていくだろう。だがそうできるのは俺が幸運だったからだ。心療内科の先生や、大学の先生、職場に拾ってくれた上司や社長・・・。数え切れない程の人生の師に巡り合ってきた。
もし俺に息子が生まれたら、俺と同じようなASD気質を持った、とても不器用な人間になってしまう可能性は低くない。俺の今までの人生の中で踏んだ地雷や落とし穴を避ける生き方を教えることもできるが、俺と同じような幸運に恵まれるとは限らない。だから社会が、もっと優しいものになって欲しいと願っているし、そのためには俺は何ができるのだろうかと最近よく考えている。

物語は続く。

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