伝えたいのは「こっちの都合」。エゴを超えて、想いを相手に届けるためには?
私のnoteの読者さんは、スマホの画面の向こう側にいる誰かに届けたい言葉や伝えたいことがある人も多い。
発信という行為だけじゃなく、日常の他者とのコミュニケーションにも言えることなのだけれど、誰かに何かを「伝える」ということは、本当に難しいことだなと思う。
私自身も伝えたいことを「伝える」ためにこれまで150記事以上noteを書いてきたけれど、書けば書くほど、言葉を並べるだけじゃ「伝える」を完遂することはできないなと思うようになってきた。
今日はそのことについて書いていこうと思う。
伝えたいのは「こっちの都合」
発信者である私たちは、画面越しの相手に自分の言葉を受け取ってほしいと思うのが通常だ。
あわよくば、自分の言葉を受け取ってくれた人とキャッチボールをしたい。ビジネスで発信活動をしているのであればなおさら、その先に求めるものがあったりする。
基本的に「伝えたい」という願いは、すべてエゴイズムなのだ。
私はこのエゴイズムを否定しない。誰かのエゴイズムなしに、私たちの心を豊かにさせてくれるコンテンツが生まれることはないからだ。
ただ、私たちの「伝えたい」は私たちの都合でしかないことを念頭におくならば、相手が「その言葉を受け取る準備」をできていないかもしれないこともきちんと想定しておかなければならない。
「受け取ってほしい」と思うのなら、ボールを投げる先の相手の様子を見る
私たちの「伝えたい」は、私たちの都合でしかない。
しかし、何の準備もできていない相手にいきなり硬球を投げつけて「キャッチボールしようぜ」と言わんばかりの文章をよく見る。
こちらはピカピカのユニフォームを見につけて、準備体操も終えて、グローブを構えて硬球を投げられる状態だ。自分のたくさんの経験の中から、伝えたいことも言いたいこともたくさん溢れ出てくる。
だけど、ボールを投げる先の相手の様子はどうだろうか。寝不足かもしれないし、膝を痛めているかもしれないし、グローブを忘れているかもしれない。
そんな状態で、いきなり硬球をドストレートで投げつけられたら、めちゃくちゃ痛い。ケガをしてしまう。そんな相手は、こちらのことをどう見るだろうか。もう、あなたとは関わりたくないと思うかもしれない。
もし、読者に「受け取ってほしい」と思うのなら、ボールを投げる先の相手の様子を見てほしいのだ。
ユニフォームは着ているか、準備体操は終わっているのか、グローブは忘れていないか、体調は大丈夫か。相手には、自分の球を受け取れる力があるか。
私の旦那さんは、県の決勝で負けてあと一歩のところで甲子園に行けなかったくらいのゴリゴリの元高校球児なのだけれど、野球なんぞやったことがない万年文化部だった私は、彼が投げる本気の球を受け取れるはずはない。
彼が自分の本気の球を「投げる先」は彼と同じ野球経験者になるだろうし、もし私にボールを投げるならば、私が受け取れる速さ・強さ・距離で投げてくれないと、私は彼とのキャッチボールには参加できない。
発信を通じて読者とキャッチボール、つまりコミュニケーションをしたいなら、「受け取ってほしい側」としてのふるまいも必要だ。
ボールを投げる先の相手の様子を確認するのは、こちらが「伝える」のエゴを超えていくためのお作法なのかもしれない。
優しい人が優しい人のまま発信をするために
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