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冬がすき

冬がすきだよ。
冬の匂いは澄んでいて、冬の少し淀んだ青の空を、思い切り吸い込んだ瞬間、自分までもが想像の中だけの甘美な粉雪に染まって美しくなったような錯覚に陥る。

雪国に生まれ育ち、今も雪に魅せられてとどまることを知らない私の冬愛。小学校4年生から高校3年生の9年間、陸上競技部に所属していた。小学校では入学時から友人たちと朝休み、中休み、昼休み、放課後、飽きるほど走り回っていた。かくれんぼ、缶蹴り、秘密基地、砂鉄集め、鉄棒、たまにお絵かき、将棋。でもダントツで好きだったのは鬼ごっこ。その影響もあったのかわからないけれど、漠然と運動部にはいる気だった私に「体力づくりでいいんじゃない?」という親の一言も相まって陸上競技の世界に足を踏み入れた。

全然、エースじゃなかった。地元ではめちゃくちゃ速い、とかでもなかった。でも、負けず嫌いで、いつか同胞に勝てる日を、いつか表彰台に乗れる日を夢見て、私は走り続けていた。陸上競技への熱い気持ちなんて持っている意識はなかったけれど、それなくして9年間も、特別速い選手でもないのに、モチベーションを保って同じ競技を続けられるかい?私には無理だっただろうよ。

高校で、私にとっての陸上競技が大きく変わった。
初めて本気で陸上競技と向き合った3年間だった。入ったときは、あ、まずいぞ。そう思った。来る場所を間違えた、と。内心冷や汗。でも、後戻りできなかった。地域ではそこそこ駅伝の競合校であり、かつ長距離以外の競技も概ね地域でトップ。強い先輩揃いの高校だったのだ。無知を恥じる余裕もなく、とにかく必死だった。必死で食らいついた。まるで「最初から本気で陸上競技やりたくてここに来ましたよ」とすまし顔を保とうとしているかのような感情の押し殺し方を身につけ、必死で毎日走って、トレーニングして、マッサージやアイシングなどのケアも頑張って、食事も節制してお菓子も食べなかった。毎日欠かさず日誌をつけ、翌朝に監督に提出してコメントを貰った。練習記録だけでなく、一日の生活、食事など全ての情報を書いていた。実家の自室の押し入れに山のように積み重なっているそれらである。お菓子への興味は自然となくなっていった。走るため、そして生きるために十分なエネルギー源となる栄養素をバランスよく摂取し、9時には寝て4時には起き、水分補給してバナナを食べて、競輪選手である父親が使用しているパワーMAXやワットバイクでトレーニングをして、シャワーを浴びたら母親が作った朝食を食べて、急いで登校して、グラウンドで朝練をして、着替えてホームルームに間に合わせた。放課後は授業が終わると急いで部室へ駈け込んで着替えて、競技場へ自転車を飛ばした。先輩がいた1,2年の時は特に気を遣っていたが、それも関係なく、良い練習をするためには食事の時間から練習前のケアや準備までも良いものにしなきゃいけない、という意識が常にあった。厳しくも優しくて素敵な先輩方や監督のおかげでそれらが身に沁み込んでいた。あっという間の3年間弱、だった。

ちっぽけで弱くて遅くて怪我をしてばかりで迷惑をかけまくった私でも、駅伝で都大路を走るという目標を本気で叶えに向かう舞台に立てるとこまで走った。幸運なことに、よき先輩、仲間、監督、家族に恵まれていたからだ。あと数校だった。本当にあとちょっとのところで、都大路は永遠の夢になって溶けて消えた。もっと走れたら、もっと怪我をせずに練習を継続できるセンスがあったら、栄養学の知識があったら、女性医学の知識があったら。後悔は尽きない。けれど、後悔する自分を責めることはしない。後悔は自由だ。後悔しても前を向く原動力、あるいはノスタルジーに浸る材料になるだけでも、私は私を許す。自分に甘い、と怒られるだろうか?それでも私は私を生きているから気にしない。

なぜ、陸上競技部時代の話になってしまったのか。思い出した、冬の話をして、雪の話をしたからだ。
雪国の陸上競技部は、冬の吹雪の中も外を走る。ご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?もちろん、走れるだけの身軽さと防寒対策を折衷してなんとか生きて走れる?装備を準備して、だが。ちなみに前提として、陸上競技の大会や練習は、どんな大雨でも中止になることはない。雷が鳴って初めて中止になる。しかし、雷で一時待機になった経験が一度高校であるだけで、それっきり、跡にも先にも中止になった経験はない。これってすごいことだと思う。
吹雪の中、ほっぺたを真っ赤にしながら、10kmとかを走る。ペース走、インターバル、jog…何でもござれ、だ。坂道も走った。死ぬかと思ったけど死ななかった。死にそうになったのは、真夏の合宿中のお昼休みに、クーラーという概念の存在しない合宿所の寝室のベッドの上でちょっと横になって寝入りかけてしまったときだ。目覚めたとき、脱水症なのか…熱中症になっていたのかわからないが、とにかく、やばい、ということだけはわかった。必死でスポーツドリンクを求め、がぶ飲みして(良い子は真似しちゃいけない。がぶ飲みでいきなり浸透圧が変るのはよくないです)、他の部員を見つけ出した時、けれど、私は平静を装っていた。言動がおかしかったかもしれないが、気付かないふりをしてくれたのかもしれない。今でもよく思いだせない。ただ、その後午後練習で1000m×10本のインターバルをやって、そこそこ設定タイムを守って走れた記憶だけは微かに残っている。若かったし、体も強くて、健康な生活を送っていた強靭(狂人?)な肉体を持つ女子高校生はタフなものである(良い子は真似しちゃいけない)。

ちなみに、雨雪問わず毎日走り続けた高校3年間で、どんなに濡れても寒くても、体調を崩したことはない。それは、絶対に体調を崩さない準備と後処理(素早い着替えや飲み物、食べ物、睡眠など)を徹底していたからだろう。今の自分よりずっと偉い生活をしていたらしい( ノД`)シクシク…
今のほうが自分は好きだけどね。自分に優しくなった。甘くなった。人生、楽しい方を選んでいいよ、という気持ちを獲得した浪人時代~大学2年の怒涛の3年間は一生の財産といってもいい。まぁ、過去は全て今の私を形作っている貴重な財産だけどね。

またいつか続きを書きたい。
noteで過去の自分の話は実はあまりしたことがなかったけれど、吐き出すとすっきりするものだ。

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