生きづらさは武器になる!
生きづらさとはなんだろうか?
わたしが思う生きづらさとは発達障害、HSP、精神疾患などこころの不調からくる辛さだ。
そういった辛さはなかなか他人からは理解されず、「甘え」とか「
心が弱い」と言った罵倒を受けることがあるだろう。
そんな誹謗中傷を言われればますます気持ちが萎縮して「自分が甘ったれているんだ」「自分の心が弱いからいけないんだ」と自分を責めてしまいさらに追い打ちをかけて辛くなる。
わたしも自身の統合失調症やパニック障害、HSP、発達障害グレーゾーン、思考の癖などによって10年以上散々苦しんできた。
何度もあまりの辛さに泣き崩れ、「この世から消えてしまいたい」と思ってしまうことなど多々あった。
しかし、どうしたらこの辛さを解決できるか?、どうしたら生きやすく生きれるか?その方法を考え、行動を繰り返すうち、だんだんと生きづらさが解消されたきた。
今では5つの仕事をこなしつつ、多くの趣味を楽しみ、今こうして「生きづらさ」を抱える人の助けになるよう情報発信をしている。
正直、生きづらさを抱え始めた10年前の自分には想像していなかった生活を送れていて自分でもびっくりだ。
とはいえ、まだわたしも生きづらさに悩まされることはある。
でも、昔のように自分を責めたり、傷つけたりすることは無くなった。
なぜか?それは「生きづらさ」を受け入れ、その「生きづらさ」と上手に付き合えるようになったからだ。
実を言うと生きづらさはその人の個性が社会や人間関係の中でうまく適応していないから感じるものなのだ。
そう、生きづらさのある一面は辛さに繋がるが、別の一面として「個性」であり、「才能」であり、「得意なこと」にもなりうる。
例えば、生きづらさの例として統合失調症を例にあげよう。
統合失調症はつらい病気だ。
わたしも統合失調症を15歳の頃に発症した。
それ以来散々苦しい目にあってきた。
でも、今では「統合失調症になってよかった面もある」と思う。
わたしの場合、一番苦しめられた統合失調症の症状は「認知機能障害」だ。
要は集中力や記憶力、注意力といった脳の機能が著しく低下する障害。
特に一つの物事に集中できないことにわたしは生きづらさを感じた。
でも、見方を変えると集中力がないのなら、反対の能力は意外と使えるのではないかと思う。
集中の反対は散漫だ。
だから一つのことに集中するのではなく、いくつもの物事を切り替えながら考える能力が得意なのではないかと考えた。
そこで散漫さを活かしてみようと思いいたる。
わたしは仕事の一つに農業の手伝いをしている。
農業は一つの作業に没頭する仕事ように思えるかもしれない。
でも、そうではない。
収穫作業を行うときに作業員全員が集中して収穫ばかりしてはいけない。
例えば芋掘りの場合、芋掘って収穫するだけが仕事ではない。
収穫した芋をコンテナに入れて満タンになったら回収し、空のコンテナを設置する作業や、どこで休憩を入れるか判断したりとサポートする人員も必要なのだ。
そういう全体を見て、どう行動したら芋を掘っている人たちがスムーズに作業できるか決断していく人は集中力が高すぎてはいけない。
逆に気を散らして「あっちはどうだ」「こっちはどうだ」と臨機応変に対応する必要がある。
サポート業務の人は散漫な人でないと務まらない。
よって統合失調症のわたしはサポート業務に向いている面がある。
このように生きづらさを活かせる例は他にもたくさんあるはずだ。
生きづらさの数ほど活躍できる場も同じくらいあるのだろう。
要は自分の活躍できる場所を見つけてそこで自分の特性を活かせば生きづらさは生きづらさでなくなる。
むしろ、武器になるのだ。
もし、これを読んでいる方が「生きづらい」と感じているならば、ぜひ自分の生きづらさを観察し、「何か使い道がないか」と模索することをオススメする。
バカとハサミは使いよう、あなたの生きづらさを活かしてみてはいかがでしょうか?