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マーケティングを軸にキャリアを構築 平賀敦巳

  稼ぐフリーランスは、
 「おもろいからやる」「楽しいからやる」マインドセット。
 エネルギーがワクワクだから、自然にお金も寄ってくる。
 お金って、ワクワクエネルギーが好きだからね。
 阪本啓一note より抜粋

2003年から2008年くらいまで鮒谷周史さんの「平成進化論」はじめ、多くのメルマガで「地球探検隊」中村隊長として紹介されていた。2003年から2004年まで1年半、メルマガ発行人、1,000人を集めた日本一熱い異業種交流会、「東京非凡塾」代表幹事をやっていたからだ。その頃、平賀敦巳さんは複数のメルマガで俺の名前だけは知っていたらしい。同じ頃、今、DAF(ドランクアカデミーフェス)を主催するニッシー(西澤一浩さん)とも出会っている。確か友人、栢野克己さんのセミナーをニッシーが主催したからだと記憶している。2019年に15年ぶりに俺のトークライブで再会したご縁で、俺はDAF17DAF18にチャレンジした。ステージでMCニッシーから、「本は誰でも書ける!講師は誰でもなれる!」そんな時代を創った先駆者と紹介された時は嬉しかった。そのDAF18の会場で平賀さんと初めてリアルで会うことになる。観客だった平賀さんが今度はDAF28登壇者として2回連続ステージに立つ。人の縁とは不思議なものだ。

voicyラジオ対談した中で、こんなふうにnoteで紹介してくれたのは平賀さんが初めてかもしれない。

平賀敦巳さんは、6社26年、ほぼ外資系の会社でキャリアを積んできた。マーケターを生業として21年、化粧品や生活雑貨のカテゴリーで豊富な経験と実績がある。 彼が転職というより転社を繰り返したのは、「どう思われるかより、どうありたいか」を優先したからだと思う。彼を一言で表現するなら「勇敢な人」。「ビジネスでも人生でも、マーケティングの原理原則を学ぶことが極めて有用、いや不可欠だ」。 そんな信条の下、マーケティングの基本を学ぶセミナーを主宰。Udemyではマーケティング講座の中で「ベストセラー」入りを果たしている。そんな平賀さんとのvoicyラジオ対談、1回10分、6回の放送、フォローして聴いてほしい。

今年50歳になる平賀さんは、東京足立区の出身。「金八先生」が流行った時代。「周りは腐ったミカンだらけ!」という環境で育った。親が中古車屋さんだったため、「夢は何?」と聞かれると「親の職業を継ぐ」と答えていたらしい。小・中学生時代は、校内暴力の嵐が吹き荒れ、荒川の土手で喧嘩が当たり前、真面目だった平賀さんは「ココで生きていけるのか?荒れる足立区から離れたい」と願っていた。高校は念願叶って足立区を離れ、大学の付属校に入学、そのままエスカレーター式に大学に進学した。その後、大学4年生をやらずに飛び級で大学院へ行った。この頃から「誰もやらないことをやる!」と決めていた。ところが文系で大学院に進学する者は少ない。就活は厳しい状況だったが、3社から内定をもらった。

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外資系の会社に就職するも、社長の交代劇に巻き込まれ組織再編の中、たまたま「おまえはマーケティングへ行け!」と任命された。それ以来21年、平賀さんはマーケティング一筋の人生を歩んでいく。マーケティングをやる前は、法律関係の仕事をしていた。そこで彼は気づく。法律は過去、マーケティングは未来志向だと。平賀さんは過去を振り返ることより未来を想像・創造することに惹かれていく。

外資系でマーケティングを学ぶも、「ここにいてもマーケティング力はアップしないのでは!?」と、疑問に思う。なぜなら、お客さんがすでに囲い込まれていて、何を販売しても売れる世界だったからだ。8年で退職した。

2社目も外資系の会社で6年務めた。マスマーケティングを学べてたが、「人生をマネージメントすることを学びたい!」と、ゆくゆくは経営者になりたかった彼は、「この会社ではマネージメントができない」と、6年で退職。

3社目で本部長を経て執行役員となり経営陣の仲間入りを果たし、念願叶ってマーケティングとマネジメントの両方を学ぶことになったが4年で退職した。

4社目、外資系の会社を渡り歩いてきた平賀さんは、初めて日本の会社に入社した。会長から「全てを任せる(委せる)」と言われて意気揚々と務めるが、日本の会社と外資系の会社の違いを知ることになる。創業者ワンマンの会社に「日本の会社に自分は向いてない!」と、日本の会社に勤めるのは最初で最後となった。ボタンの掛け違いを感じたのは、「全てを任せる(委せる)」という言葉の概念。リスペクトしている友人の福島正伸さんは、「任せる(委せる)」を、こう定義している。

 委せるとは
 相手に思うままにやらせて、
 その責任は自分がとること
 福島正伸

平賀さんも、コレに近い感覚だったと思うが、会長から、「アレができてない、コレができていない」と、指摘されてしまったのだ。経営者や全社員の言葉の定義が一致していないと必ずトラブる。社員と言葉を共有できてないと人は育たないのだ。3年で退社した。

5社目、ティッシュペーパーやトイレットペーパーを扱う巨大なオーナーカンパニーに入社。フランス、アメリカと渡り歩いてきた彼が選んだのがインドネシアの華僑の会社。全てはトップダウンで「赤字を出しても数を売れ!」から「いつまで赤字を出しているんだ!」とガラッと方針が変わる。チームでマーケティングをやりたかった彼に「一人でマーケティングを担当しろ!」と言われ、2年半で退職。

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6社目、様々な商品、チャネル(売り場)を持つ、化粧品や生活雑貨を扱う会社に入社。5社目から6社目に移るタイミングで「このままサラリーマンをやっていて自分は大丈夫なのか?」自問自答し、3年前、前述の「平成進化論」鮒谷周史さんにインスパイアされて「やりたいことをやっていこう!」と決意。今までのキャリアを活かしてマーケティング全般を教える講座をつくり副業をスタートさせた。彼のつくった6ヵ月の講座は、9500件あるUdemyのマーケティング講座の中で「ベストセラー」入りを果たした。4月半ばから、さらに進化させて6ヵ月の講座を予習してもらい、一方的に教えるのではなく、インタラクティブにやっていく方針に変えた。Udemyでマーケティングを学ぶなら、クリック!

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今年3月、ニッシーが主催するDAF27のオーディション4回目に、ようやく合格をもらって出演をした。そして、2022年6月12日(日)12:30開演のDAF28にも出演が決まっている。俺はDAFに2回出演しているから、10分で話す難しさを肌で知っている。全ては「おもしろそうだからやってみる!」という発想で未来を拓いている平賀さん。ワクワクのエネルギーが彼の原動力だ。「DAF沼」にハマっている、平賀さんのnote「丁度10分で伝えたいことを伝えきる」。是非、DAF28に参加して会場の熱気を体感してほしい。きっと、独特の世界観にあなたもハマる。興味を持ったら、クリック!

俺は常々思っている。
役に立つ良いもの、有用なもの、価値あるものは、世に広め次の世代に伝えるべきだと。自分の持っていないものを持っている人との対談は楽しくてたまらない。常に全力で生きている人、チャレンジャーが好きだ。そんな好きな人たちの人生を出版というカタチで変えていきたい。チャレンジャーな平賀さんと、いつか一緒に本をつくれたら嬉しいな。平賀さんが毎日noteを更新しているのは書くことが好きな証拠。出版をサポートする相棒の中山マコトさんはビジネス書を50冊出版している。マーケティングはマコトさんの得意とする分野だ。化学反応がスパークして、今までどこにもない本がつくれる予感。平賀さんのキャリアなら、平賀さんにしか書けない価値ある本ができると思う。書くことが好きでも10万文字以上書くというのは大変だ。でも、そこには書き上げた人にしかわからない感動がある。己の限界に挑戦したくなったら、いつでも声をかけてください。きっと、一冊書き上げたら自分を誇りに思えるはず。

「起きたことは、すべて良いこと!」そう感じられた対談だった。

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 ブランドになるために
 「できることは、丁寧に、着々と、飽きず、続ける。」
 を実行しているだろうか。
 阪本啓一 note より抜粋 


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