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怪異蒐集『猫の番』

■話者:Nさん、自営業、40代
■記述者:八坂亜樹

 Nさんが大学生のときに体験した話。

 当時、Nさんは県外の大学に進学していたが、長く病床に伏せていた祖父が亡くなり、葬儀のためにみたま市に戻ってきた。

 生前の祖父にまつわる良い思い出はあまりない。一代で会社を興し、一線を退いてからもなお会社の運営に深く関わっていた祖父は、盆や正月などの家族が顔を合わせる行事にも現れないことが多く、幼かった頃からどこか近寄りがたい印象があった。しかし、治る望みのない病気が発覚してからは生家に戻り、老後らしい静かな生活を送っていた。

 そうなってから一度だけ、祖父を見舞ったことがあった。薄い布団に横になった祖父の姿は、記憶にあった祖父よりも小さく、弱々しく見えた。

 通夜の日、実家に着くと、大勢の親類縁者が葬式の準備に走り回っていた。明日の葬式にはもっとたくさんの人が訪れるはずで、Nさんは母に指図されるまま、明日の来客を迎える準備に駆り出された。

 準備は夜半過ぎまで続いたが、それが終わっても眠れるわけではない。みたま市には「猫の番」という風習がある。通夜の夜、故人の眠る部屋に入り、線香を絶やさないように交代で番をするのだ。

 Nさんも母に言われて、番に参加することになった。部屋に入ってみると、北向きに敷かれた布団に祖父が横たえられていた。

 胸の上には鞘に収められた30センチほどの刃物が置かれている。両手はその刃物の上に置かれているが、手の平は握られていた。手の中には、菩提寺から借りてきた小さな石が入っている。そうすることが、猫の番の時の決まり事だった。

 部屋には複数の親族がいたが、Nさん以外は年配の男性ばかりで、Nさんは挨拶もそこそこに、持ってきた文庫本を取り出して目を落とした。しかし、遺体のある部屋で読書しているせいかなかなか集中できず、Nさんは視界の隅の祖父を意識しないように、何度も意識を本に向けなければならなかった。

 それでも、いつの間にか本の世界に入り込んでいたようで、ふと顔を上げると、お酒でも取りに行ったのか、先程までいた親類の姿はなく、部屋にはNさんだけが残されていた。

 線香は点いたばかりのようで、まだ変える必要は無さそうだ。目の前の布団には祖父が寝ている。古い電球の灯りに照らされた顔は赤みがかかっていて、まるで生きているように見えた。

 田舎の夜は静かで、音といえば、風が森林を撫でる音か、遠くから聞こえる猫の鳴き声くらいだった。長い移動で疲れていたNさんは、いつの間にかうとうとと船を漕いでいた。そして、祖父を見舞ったときの夢を見た。

 庭に面した和室に祖父が寝ている。部屋にいるのはNさんと祖父の2人。薬の影響で意識が混濁していたようで、既にまともな会話はできなくなっていた。たまに思い出したように独り言をぼそぼそとつぶやくだけだ。Nさんはせっかく見舞いに来たものの、居心地の悪さを感じていた。

「わしは良くないことをたくさんしてきた」

 祖父がポツリと言った。会社の成長に生涯の大半をかけてきたので、恨みを買うこともあったのだろう。死の間際になって、そのことを悔いているのかもしれない。その独白のような言葉を、Nさんは黙って聞いていた。

「だからわしは、山に連れていかれるかもしれん」

 どういう意味かわからなかったが、訪ねてもちゃんとした答えが返ってこないような気がして、Nさんは黙っていた。すると、祖父はNさんの方を見て言葉を続けた。

「だから、連れて行かれないように、ちゃんと見張っておいておくれ」

 祖父は縋るような目でNさんを見た。言葉の意味はわからなかったが、その目には切実な色が混ざっているような気がした。庭先で、猫の鳴く声がした。

 夢の中の猫の声に、体がびくりと揺れた。どれくらいの間眠っていたのかはわからないが、まだ親類が戻っていないことから、僅かな時間だったようだ。

 背後から猫の声がした。振り向くと、外廊下に面した障子が開き、廊下に座った黒猫がじっとNさんを見つめていた。猫が再び低い声で鳴く。部屋の明かりが少し、暗さを増したような気がした。

 祖父の方を見ると、いつの間にか線香が根元近くまで燃えていた。Nさんは慌てて新しい線香に火をつけた。そのとき、祖父の手が緩く開き、石がこぼれそうになっていることに気づいた。

 夢の中の「ちゃんと見張っておいておくれ」という祖父の声を思い出す。慌てて石を祖父の手の中に押し込んで振り返ると、猫はいなくなっていた。程なく、親類の一人が戻ってきて番を変わってくれた。

 それからNさんは短い眠りについたが、夜の静寂の中に微かな猫の鳴き声が聞こえてきて、なかなか寝付くことができなかった。

 翌日の葬式は多忙の中に終わった。しかし、葬儀の間ずっと、一匹の黒猫が、何をするでも無く、庭先から家の中を覗きこんでいた。

 やがて葬儀も終わり、祖父の遺体を車に収めて火葬場に向かった。そして火葬場の煙突から立ち上る煙を見上げてからようやく、Nさんは祖父との約束を果たせたような気になった。

 火葬の途中、Nさんは煙草を吸おうと建物の外に出た。すると、向かいの藪の中に一匹の黒猫がいることに気が付いた。先程の黒猫なのかわからなかったが、猫は恨めしそうにNさんを見て低く鳴くと、踵を返し、藪の中に消えていったという。


◾️メモ
・やってることは「寝ずの番」だよね。猫が多いみたま市に根付く過程で「猫の番」って呼ばれるようになった感じかな?(朱音)
・枕刀は他の地方でも見られる風習だけど、石を握らせるのはみたま市以外にはなかった。(亜樹)
・菩提寺から借りたってことはただの石じゃないよね。(水鳥)
・石が何かの役割を持ってるってことだよね。例えば魔から護るみたいな。(朱音)
・石と言って思い出すのは→床下の穴(水鳥)
・なるほど。確かに↑の話でも、何かから護るっていうか鎮めるみたいな効能は読み取れなくもない。(朱音)
・まあ、何の石かはわからんわけだけど。(水鳥)
・山に連れて行かれる、とは。(朱音)
・山=異界?(亜樹)
・みたま市は「山で異界に迷い込む」みたいな話が多いし、そういう畏れの対象となる世界が山にあるってことかな。(水鳥)
・そしてここでも黒猫が。(朱音)


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