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建築の外で来年、スプリングコートを着る

せっかく購入したスプリングコートを着ていく機会がなくなった、そもそもマスクをして着るのもと思ってしまう、そんなことを言っている場合ではないのに。

意外と平気、ずっと家に篭っていても外へ行きたいとは思わないし、おかげではかどる、目先の仕事も、その先の道筋をつけることも。

家の中にいて、どう感じるのだろうか。ずっと見ている壁が今は自分が行動できる範囲、それが今の自分が身体で感じることができる世界の全て、すなわち、建築=自分の世界。これは今だけだろう、この状況が終わった時、壁の外に解き放たれて、無限に自分の世界を、以前のように広げていくことができるはず。

ただ、以前と同じではない、自分にとって建築の意味合いが変わるだろう。一度でも建築によって自分の世界が制限されたならば、制限される前と同じようにはできない。改めて、建築が自身の身を守ってくれることに、シェルターとして、ありがたいと思うと同時に、建築はシェルターではない、身を守るのは当たり前であり、その先の部分を、建築として実現できる日常を、それによってどのような感情を人に抱かせるかを、シェルターに代わる言葉を見つけて、その日常や感情を直に提示することが求められる。

そして、きっと今とは違う気分で来年スプリングコートを着ていることだろう。

#当社は東京・世田谷の工務店です

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