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第96話 ノート

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2017年9月。

奇跡の結婚式の夜・・・。

僕はひと通りの後片付けが終わり、サロンの椅子に腰を下ろした。珈琲を入れたカップを手に、流れていく車のヘッドライトを眺めながら、ぼんやりと今日の日の事を回想していた。

僕の身体には、ブライダルプロデュースの理想郷にストーンと着地をしたあの感覚がまだ生々しく残っていた。天から降りてきたあの光は何だったのだろう・・・。書写寺の観音様なのか、それともおばあちゃの阿弥陀さんなのか・・・。

まだ夢心地であった。

僕は、書棚の中から1冊のノートを取り出した。
スウィートブライドの立ち上げから書き始めたノートは、もう20冊以上になっている。

『No.1 2012~』という表紙のノートを手に取り、上段に「チームスウィートブライド」と大きな文字で書かれたページを開いた。左に職種、右にパートナー名を書いているあのページだ。

プロデューサー 中道諒
プランナー (空白)
ヘアメイク 鷲尾響子
フローリスト 本田さゆり
フォトグラファー (空白)
司会 (空白)
音響 (空白)

これが、僕がスウィートブライド立ち上げ時にノートに書いたラインナップ。

僕はその空白部分に名前を埋めていく。

フォトグラファー 大原翔・大原希美
司会 朝比奈敬子
音響 山形雅人

そして、この空白部分にも名前を埋めた。

プランナー 中道諒

ブライダル業界の中では、「ブライダルプロデューサー」というのは、結婚式の企画やプランを作り、式場の総合的な戦略を考える仕事。「ウェディングプランナー」というのは、実際の新郎新婦の結婚式を組み立てていく仕事と、明確に区分している。

当初ウェディングプランナーは椎名凛子を考えていたポジションであったが、それは叶わなかったので仕方なく僕がそのポジションも兼任する事になったというのが、スウィートブライドのはじまりだ。

オードリーウェディング時代は、まさに「ブライダルプロデューサー」というポジションでバリバリ仕事をしていたので、自分自身でも長らく「ブライダルプロデューサー」という肩書がしっくりきていた。

その後、大きな挫折がありオードリーウェディングを失った僕はスウィートブライドを作った。そしてもう一度ゼロから(いや、マイナスから)この仕事と真剣に向き合ってきたのだ。

向き合えば向き合うほど、この仕事の奥は深かった。

これまでブライダルプロデューサーとしてやってきた自信が足元から崩れ落ちるくらい、僕は多くの学びを経験する事になる。僕の企画や戦略なんてクソの役にも立たない。現場が全てであるとようやく気付いたのだ。

そして僕はウェディングプランナーになった。

いや、ウェディングプランナーと名乗れる自信がついた、と言う方が正しいのかもしれない。それは僕なりの業態転換であり、根底から僕の想う「ブライダル道」を変えていくものであった。

自分の哲学を変える事はとても勇気がいる事だ。
でも8年前の大きな挫折が僕のこの大きな変化を拒まなかった。40歳になり全てを失った僕は、40歳後半で新たな境地にたどり着いたのだ。

プランナーのところに自分の名前を書き足したそのノートを閉じた時、僕は自分の人生のひとつの章が終わったような気がした。自らの理想を目指したこの数年。ブライダル業界の人が歩かない道を僕は独りで歩いた。

きっと答えがあるはずだと信じて。

そして今日、その答えにたどり着く事ができたんだ。それは、僕の完全燃焼を意味するものであった。

これまでの色んなわだかまりや葛藤が消えていた。

清々しい気持ちの自分がいた。


第97話につづく・・・



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