第6話 三歩進んで二歩下がる
スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
2009年12月29日。
前会社との法的手続きが全て終わり、ようやく再スタートをきれるところまで辿り着いた。僕にとっては長くて苦しくて辛い日々だったが、これからは前向きに進むだけであった。
僕は気持ちも新たにプチウェディングの始動準備に取り掛かる。
そのはずだった・・・。
2009年12月30日。
僕は神戸のジャズカフェ「BLUE」にいた。
これまでの報告と再スタートの決意を、年内中にどうしてもこの人には話しておきたかったのだ。
彼の名は海原元彌。
僕を可愛がってくれ色々と助けてくれてた人物で大手企業のトップ。いや、元トップと言った方が正しい。70歳を過ぎた今では会社の経営には直接関わっていない。ただその人望や立ち居振る舞いからいまだに発言力を持つ人物だ。
前会社オードリーウェディングの飛躍を陰ながら支えてくれた人で、僕にとってはあらゆる面でお世話になった大切な人。
今回の一連の手続きが終わった直後、僕は真っ先に彼に電話をいれた。
「この4ヶ月、ご迷惑をお掛けしました。今日で全ての手続きが終わりました。明日、お会いできませんか?」
約束の時間にはまだ少し早い14時30分、僕はジャズカフェ「BLUE」の大きなJBLのスピーカーが置いてある一番奥の席に座った。
JBLのスピーカーからは聴き馴染みのあるビルエヴァンスのピアノが流れていた。カウンターに目をやると、深いグリーンが印象的なシェリーズマンホールのLPジャケットが立てかけてある。このカフェでは今店内で流しているアルバムがわかるようになっているのだ。
「stella by starlight」が終わり、次の曲は「all the things you are」。「あなたがすべて」という邦題がつけられたこの曲は、二十数年前にワイフが僕に向けてピアノ演奏してくれた曲。だからとても思い入れが深くて大好きな曲だ。
そんな「あなたがすべて」を聴いてると、ワイフへの想いがこみあげてきて胸が熱くなる。気がつくと僕の心はワイフに迷惑ばかりかけている罪悪感に支配されていた。
15時。カランカラン。
僕は瞬時に背筋が伸びる。「遅くなってすまない。」そう言って、海原さんが僕の前に座った。
「なんだ、案外元気そうじゃないか。」
僕の顔をのぞきこんでニヤリと笑みを浮かべる。
僕はこれまでのお礼と今回のお詫び、そしてこれからも応援をいただきたという想いから、新たなプロデュース会社を立ち上げて再スタートをする報告をした。
海原さんはJBLのスピーカーの横にある窓の方に目をやり、しばらく黙っていた。そして、ふぅとひと息つき、僕の方を向いて話し始めた。しかし彼の口から出た言葉は意外なものだった。
「サポートしてやりたいけど、これまでのようにはいかないかな。まぁ、ほとぼりがさめるまではあんまり、こう・・・」
海原さんには珍しく奥歯にもののはさまったような言い方だった。
僕はすぐに察した。
今回のトラブルで多くの人が僕の元を去っていったが、去り際の空気と言うか匂いと言うか、不思議なくらい皆同じだった。僕はそれを嫌というほど味わってきた。だから海原さんが言葉を発したその瞬間、色んな事を理解できたのかもしれない。
海原さんはそんな僕の顔をもう一度のぞきこんで、こう続けた。
「姫路ではブライダル業界の最前線にはでない方がいい。ほとぼりがさめるまでは。」
目の前でバーンと牢屋の檻が閉められた気がした。
神谷さんのおかげで見えたかすかな光。再スタートというその光は一瞬にして暗闇の中に消えていった。苦しみながらもがきながら、それでも強く強く握りしめていた希望というロープが僕の手からするすると逃げていくように感じた。
JBLのスピーカーからは哀感漂うジャッキーマクリーンのアルトサックスが流れていた。
2009年12月31日。
28日にすべてをリセットし再スタートの決意を固め、一昨日の29日は誕生日会で家族から勇気をもらい強く生きようと決意し、でも昨日の30日でまた奈落の底に・・・。
そんな年の瀬、僕は神谷さんのところにいた。
「神谷さんには本当に言いにくいんだけど・・・、」
そう切り出した僕は、海原さんから言われた事、そして僕にとって海原さんはお世話になった大切な人で、彼の言う事は絶対なんだという事を伝えた。
「中道さんの想いはよくわかります。僕としてはバリバリ最前線でやっていただけないのは残念だけど、プチウェディングが軌道にのるまでは、後方からでいいのでサポートしてください。中道さんの力は必要なので。」
もう年が明けようかという大晦日の夜、僕は再び神谷さんの笑顔に救われる事になった。
こうして混乱の2009年が終わった。
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