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第26話 大きな忘れ物

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

よし、もう一度ブライダルをやってみよう。

青空の下そう決意した僕は、その夜ピアホテルにいた。あれから結局、僕は家に戻らずにそのまま姫路で時間を調整しピアホテルに入った。

そして休憩時間の深夜2時、僕は仮眠室のベッドに寝転がり天井を眺めていた。

「ブライダルをやってみよう」と決意はしたけれど、本当にそれでいいんだろうか・・・。

一度は吹っ切ったブライダルの夢。
悩みだすとキリが無くてこの日の休憩時間は仮眠すらできなかった。

翌朝帰宅した僕はワイフに今の想いをぶつけた。

「もうブライダルの夢は捨ててデザイン会社を作ろうと思ってたんやけど、水木支配人や色んな人がこんな僕に声をかけてくれる。ありがたいなぁと思って、じゃもう一度ブライダルをやろう!と思ったけど、やっぱり何か悩んじゃって・・・」

「私は、神戸ならまだしも、一度しくじったこの狭い狭い姫路の街で、もう一度同じブライダルの仕事をするっていうのは並大抵じゃないと思う。」

「確かに・・・。余程僕の性根が座ってないと、くじけるやろな」

「でも貴方の人生なんだから、自分が後悔しないように考えてね。私は言いたい事はひとつだけかな。10年前の百貨店時代に突然ブライダルプロデュースの勉強がしたい!と貴方が言いだして、私がそのスクールのお金を工面したでしょ?あの時に私がお金を出した事を貴方が今も気にしてて、ブライダルの志を貫かなきゃ私に申し訳ないとかそんな風にだけは思わないでね。私の事は気にせず、あくまで今の自分がどうしたいかで決めて。私はどれになっても貴方が決めた道についていくから」

「ありがとう。もう一度ゼロから考えてみるわ」

僕はそう言って2階の仕事部屋に入った。

ブライダルとデザイン。
この2つの職種を僕なりに分析してみた。

デザインの仕事は100%BtoB(企業対企業)。
百貨店勤めの頃に僕は法人専門の外商として商売を学んだから、営業や商談は基本的にBtoBのスタイルが慣れているし、向いている。

デザインは孤独な仕事で、パソコンとにらめっこしながら常に自分自身と向き合って闘う感じ。そしてアートや感性の渦の中に身を投じる事で得られる快楽が最高の魅力だ。何より仕上がった時の喜びがたまらない。

仕事の広がり方は、新規のクライアントが増えていき、横に横に広がっていくイメージ。

ブライダルの仕事は100%BtoC(企業対お客様)。
さらに僕の場合は式場経営ではなくプロデュース会社になるから使用させていただく会場とのBtoBの関係性もある訳で、BtoBとBtoCが共存するとても複雑で難しいスタイル。

でもブライダルは幸せを象徴するビジネスだから、達成感や満足度はデザイン会社の比ではない。ただ、その達成感に至るまでの重圧は半端ではなく、一生に一回の大切な日を預かるというのは簡単に背負いきれるものではない。

仕事の広がり方は、僕自身の理念が根をはやし、それがやがて1本の大きな木に成長していき花を咲かすという縦へ縦へと伸びるイメージ。

こう考えると、ブライダルとデザインは全く違う種類のものだと言っていい。ただ、ブライダルを主にしながらデザインはできるが、デザインを主にしてブライダルはできないだろうと思う。

どちらが好きかと聞かれれば、デザイン。
どちらが得意かと聞かれれば、ブライダル。

今、僕の目の前に「日本最高峰のデザイナー」がいるとする。僕はおそらく緊張して恐れ多くて何も言えないだろう。「なるほど!」って相槌をうってるに違いない。

では僕の目の前に「日本最高峰のブライダルプロデューサー」がいるとする。僕はブライダルの思想論・哲学論で負ける気がしない。それは何の根拠もない自信なんだけど、その自信というものがブライダルにはあるんだ。その自信が僕がブライダルを得意という理由である。

暗闇の中で生きてきた2年の内で、全てを失って何も無いこの僕に、ブライダルプロデューサーとして手を差し伸べてくれる人たちがいた。まだ僕をブライダルの世界で必要と思ってくれる人がいる事は僕に生きる勇気を与えてくれていたように思う。

そう思うと、僕がもう一度人生を賭けて勝負するのは、得意で需要があるブライダルという事になるのだろうか・・・。

「もっと楽しんで生きたらいいんじゃない?」

ワイフの言葉が頭をよぎる。
また僕はワイフのその提言に逆らう結論を出そうとしているのかもしれないな。敵の多いいばらの道へ・・・。

20時。
今夜もピアホテルのアルバイト。僕は少しの決意を抱きながら、東へ自転車を走らせる。2月の冷たい風が体を刺すように突き抜けていった。

ピアホテルのアルバイトには、気の合う仲間がいる。
年齢はバラバラ。まぁ僕が一番上ではあるんだけど。自営にはない組織特有のやわらかな空気がいつも僕をニュートラルなところに運んでくれる。

ホテル業界あるあるのクレームには閉口するけれど、今の僕が落ち着いた心でいられるのはこのホテルの人たちのおかげだなぁと思うのである。

翌朝、僕は再び自転車に乗り家路に向かう。

昨日一人で色々考えていた事が夜のアルバイトの間にうまい具合にリセットされていて、自転車をこぎながら昨日とはまた違う観点でどうあるべきかを考えていた。

イヤホンからはsuperflyのプレシャスタイム。
この2年、自転車での走り出しはいつもこの曲だ。アルバイト通勤のテーマ曲みたいな感じになっている。

福沢町の交差点を左に折れイオンタウンが見えてきたあたりで、オードリーウェディング時代のお客様の顔や靖姫神社の結婚式を立ち上げた頃の想い出やらが浮かんできた。いつの間にか、もう耳をふさがなくても目を覆わなくても、その時代の想い出を回想できるまでに僕は回復してきていた。

あの頃に僕がやりたかったこと・・・

オードリーウェディングは僕の様々な想いを叶えてくれた。僕は経営者になりたかったから、株式会社オードリーとして法人化できた時は嬉しかったなぁ。社長が座る椅子はこんな椅子だろうって豪勢な革の椅子を買っては、座ってくるくる回ってみたり。

ビジネスマンとして夢だった事をひとつひとつ叶えてくれた。

でもそんなオードリーウェディングでも叶えてくれなかったものもある。それは、ブライダルプロデュースの理想郷。

僕の目指すプロデュースの理想郷には残念ながらたどり着く事はできなかった。

結局のところ、気持ちが経営者になってしまうと、自分個人の夢というよりは組織の在り方ばかりを考えてしまうようになる。

だからひと組の新郎新婦様に対するウェディングプランナーとしてのこだわり感は薄れていくものだ。そしてどんどん現場から離れていってしまう。

2009年、去る事になる数か月前のこと・・・。
僕は今のままではダメになると思い、もう一度立ち上げた頃の初心に戻って自分が理想とするプロデュースの形を見直す作業に入っていた。

その当時メインであった靖姫神社のやり方含めた細かな内容全てを見直そうと、誰にも相談せずに一人で考えていた。その時のノートも残っている。

そのノートの表紙には、「ブライダルプロデュースの理想郷」と書いてある。

会社としての売上は十分に上がっていて経営的には何の問題もなかったんだけど、僕は何かしら不安を感じていて、このままではオードリーウェディングの10年後は無いんじゃないかと思うようになっていた。

そのノートの1ページ目の最初の言葉は、
「経営者である前にプランナーであれ!」

絶好調の裏側で僕は悶々とした日々を過ごしていたのかもしれない。

結局僕は、そのノートに書いた事を誰に伝えるでも実行するでもなくオードリーウェディングを去る事になったんだ。

あっ!

その時僕は大きな忘れ物をしていた事に気付いた。

セブンイレブンを左に折れ、次のT字路を右に行くと家が見えてくる。ひたすらオードリーウェディングの頃の事を回想していると、あっという間に気が付いたら家に到着していた。

僕は自転車をとめ、バタバタと家にはいった。

「鈴江さん!俺ブライダルやるわ!
 やり残した事が見つかったんや!」

僕は家に入るやいなや、満面の笑顔でワイフにそう言った。

僕はオードリーウェディング時代に叶えられなかった「ブライダルプロデュースの理想郷」をもう一度追い求めようと思った。

もう何の迷いもなかった。

よし、ブライダルやろう!


第27話につづく・・・

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