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第19話 下り坂の美学

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2011年1月。

「パパの夢って何?」

6歳の長男からそう言われて、僕は少し困惑した。

少し前までは僕は数えきれないほどの夢を持っていた。でも挫折を境にして僕の中で夢というものは消滅してしまい、今はスッと出てこない。

今は、僕の周囲にいる人たちが少しでも幸せになってくれれば、それが一番いいと、ただそれだけを思うようになっている。

ワイフ、息子、親、親戚、仕事のパートナー・・・。

それが夢と言えるかどうかはわからないけど、少なくとも今僕が感じている幸せというものは壊したくなくて。お金持ちにはならなくてもいいから、今のこの小さな幸せを守っていきたい。

ワイフの笑顔、息子の笑顔、親の笑顔がいつまでも続くように。

それが今の僕の夢のかたちなのかもしれない。
永遠なんて無いことはよくわかっている。いつも笑顔でいられなくて、辛いことが多いこともわかっている。そして未来、いや1年先のことですらどうなるかなんてわからない。

だから今この時が大切なんだと思う。
今を充実して大切に過ごせれば、きっと未来はそこにつながっていくはずだから。

「そうだなぁ・・・、ママやお前たちが幸せになる事かな」

2011年2月。

ホテルの深夜バイトが無い日は、徹夜でデザインの仕事をする事が多い。身体はもうすでに疲弊しているはずなのに、生活のリズムというのは恐ろしいもので、ついつい夜中は目がさえて仕事をしてしまう。

東側の出窓のカーテンを開けると強烈な朝陽が差し込んできた。僕は椅子の背もたれに背中を預け、大きく伸びをする。部屋にはリーモーガンの爽やかなトランペットが心地よくながれていた。

気分いいな。
このまま時間がとまってしまえばいいのに。

今デザインワークをしているのは姫路のエステサロンのホームページ。施術風景を撮影した透き通るようなモデル女性の画像の背景にとびっきりのブルーを入れてみる。

何かSHISEIDOの夏のCMのようなデザインになっちゃったかな・・・

トップイメージ画像の下に細かなグラデーションを入れたり、ラインを引いたり、地道な作業を繰り返しながら、自分の思うイメージに創り上げていく。
女性向けのキレイなデザインは作っていて気持ちがいいから好きだ。

昨年暮れあたりからブライダルの仕事は影を潜めウェブデザイナーが本職のようになってきている。

ウェブデザイナーという仕事は、これまで僕の生活を支えてくれた大切な仕事だ。この仕事がなかったら、おそらく僕は何度も路頭に迷ってただろう。

ただ、僕にとってのウェブデザイナーという仕事は苦しみの連続でもある。

常に白紙のキャンパスに形を創り色をつけていく。でもアーティスト(芸術家)ではないから自分の想いではなく、クライアント様の想いをデザインとして表現できなくてはいけない。

たった一本のラインをひくまでに僕はいつも白紙のキャンパスと長時間にわたりにらめっこをする。

クライアント様の意向をどう反映さえればいいのか。
そのサイトを閲覧する顧客にどう魅せればいいのか。

いつも葛藤と苦しみの中でもがいている。

デザインは感性だという人もいるけど、僕はそうは思わない。あくまでも理論に裏付けされた方程式がデザインにはあって、そこにそれぞれのクライアント様の個性を注入していく。

しかしそれが難しい。
ただアートなものを作る方が実は簡単なのかもしれないと思う時もある。

ホームページはビジネスのために存在するもので、そのクライアント様が繁盛しなければ僕たちウェブデザイナーの存在意義はない。

だからこそ、そこに学びがある。

これまでにあらゆる業種のデザインをさせていただいた経験と知識は、僕の中に方程式として蓄積されているはずだ。

しかし蓄積したとしても知識と経験だけで太刀打ちできないのがウェブの世界でもある。恐るべきスピードで進化している脅威の世界だ。僕が進化を拒めば、そこで全てはストップしてしまう。

ブライダルプロデューサーはチームワークが大切だけど、ウェブデザイナーはとことんまで孤独な戦いだ。この相反する二つの事業の上をバランスをとりながら歩いているのが、今の僕の状況である。

飽き性の僕には、かっこうの状況といえるのかもしれないけれど。

そんな辛く苦しいデザイン仕事も唯一楽しいと思える瞬間がある。それは、デザインが出来あがった時。一枚の絵画が完成するのと同じような達成感と喜びがあるものだ。

それがあるからやめられないというのがこの仕事かもしれない。

2011年3月11日。

宮城北部地震の報道番組をただ茫然と見ている。

まったく仕事に身が入らない。
今、午後7時45分。姫路の方にも津波がくると言われている時間。神戸の大震災の時も、後から事態の大きさがあらわになった。今回も速報が入るたびに死者の数が増えている。

少しでも被害が少なく終焉してほしいと思う。

2011年3月13日。

今日も朝から震災の報道を見ながら心が痛む。まだこれからマグニチュード7規模の地震の可能性があるという。

何とかとめられないものなのか・・・。
人間なんてこうも無力なものなのか・・・。

そんな中、昨日はプチウェディングプロデュースの結婚式があった。
日本がこんなに大変な時なんだけど僕の仕事は幸せを創る事だから、お2人にとって素晴らしい一日にしてあげようと必死で務めた。

人の願いはただひとつ。

幸せになることだ。

2011年3月17日。

「お散歩に行こうよ」
4歳の次男がせがんできた。

6歳の長男は幼稚園、ワイフは別の用事で出かけている。僕は家でいつものようにウェブデザインの仕事をしている。

4歳の次男が一人、おひまな訳だ。

僕も忙しいんだけど、仕方なく仕事の手をとめ散歩に行くことにした。次男の言う「お散歩」とは自転車の二人乗りをしてイオンに行く事。

僕の自転車は子供が乗るためのシートをつけてないので、落ちないように僕の腰をつかんで必死にしがみついている。
途中結構な段差があり、「大丈夫か?」って聞くと「全然平気やで!!」と元気な声が背後からかえってくる。余程楽しいのか、常に大きな声で歌を歌いながらしがみついている。

家を出て10分ほどでイオンに到着。
着くやいなやゲームセンターに一直線。ゲームを楽しんだ後はフードコートで休憩。節約中だから家から持参してきたジュースとコアラのマーチで。

「パパ、きちゃない格好やな。恥ずかしいで。」

家着のままで出てきた僕にそんな事を言う。子供は正直だ。
1時間くらいイオンにいて、また自転車で帰宅。「すんごい楽しかった!」と言って、こたつにもぐってすぐにDSを始める次男。まぁ何とも変わり身が早いものである。

僕もすぐにデザインの仕事にとりかかる。

世の中はまだ東日本大震災で重苦しい空気の中、我が家は日常の時間が流れているようだ。

2011年3月25日。

今日は長男の幼稚園の卒園式だ。
会場内には花道があったり可愛いアーチがあったり、初めての体験だから見るものひとつひとつがとても新鮮。

AKB48の曲が流れ園児たち48人が入場してきた。もうすでに会場内は涙腺が崩壊寸前の空気感だ。

いよいよ授与がはじまる。
園児たちは一人一人名前を呼ばれ、園長先生から赤い大きな修了証書をいただく。修了証書をもらった園児は花道を歩いていく。その先には花のアーチがあり、そこに自分のママが待っているんだ。

ママの前まで進んできた園児は「毎日お弁当作ってくれてありがとう!」とか、「毎朝起こしてくれてありがとう!」と言って、ママに修了証書を渡す。

これで泣かないママはいない。

幼稚園はママにとって送り迎えの毎日だから、ママ自身も2年間幼稚園に通ってきたようなもの。だからこれはママの卒園式でもある訳で、色んな感情が去来していることだろう。

僕たちパパ軍団も皆ビデオを握りしめながら泣いている。この日ばかりは、話したことがないパパたちとも友達のような一体感が生まれるものだ。

約1時間、会場は涙に包まれていた。とても素敵な時間だった。

2011年4月。

今日もいつもと変わらない日常の中にいる。
ホテルの深夜バイトから帰宅した僕は、いつものように晩ご飯のような朝ご飯を食べ、2階の仕事部屋でウェブデザインの仕事の態勢に入る。

このごろよく考えるのは、「仕事」について。

まだこの先どうしていけばいいのか迷いながら生きているというのが正直なところだ。
僕は今、ビジネスの最前線で息を切らして走っていた頃と違い、ゆったりとしたルーティン的なライフスタイルの中で仕事をしている。

そこで見えてきたものがある。
それは、常に謙虚な気持ちを持ち続ける事。

これは常に緊張感を維持するという事であり、何かを自分自身に課すことが重要だ。僕にとって「仕事」というもののがまさにそういう事であり、「仕事」が自分自身を律する唯一の存在だと考えている。

生きる目的が「仕事」ではないけれど、「仕事」が自分の信念や自分の想いを投影するものであるという事だ。

僕にとって「仕事」は、常に前進し向上していくための大切なツール。でも前進していくと辛さや苦しみが襲ってくる。だからと言って、その辛さや苦しみから逃れるように向上するのをやめた時、そこに緊張感はなくなり、人は慢心に陥るのだと思う。

人生に謙虚でありたいと願うからこそ、僕は「仕事」に対して妥協をしたくないと思うんだ。
これから先、僕はどんな仕事をしていくのかはわからい。ただ自分の信じる道を歩いていく事ができたなら、それは最高に幸せな事ではないかと思うのである。

2011年4月8日。

先日卒園式をしたばかりの長男。今日は小学校の入学式だ。

1年4組出席番号11番。
教室に入ると、中央の一番前の席。先生の目の前だ。

「奏楽(そら)、11番ってキングカズの背番号やな!」

「パパ、キングカズって?」

「この前東日本大震災の黄色いユニフォーム着て、点いれて踊ってた人」

「あぁ!!あのパパが応援してた人か!!」

「そうそう。あのカズの背番号が11番。だから特別な番号なんだよ」

「そうか!ぼくの出席番号はカズなんやな!」

そんなやりとりをしながら、教室から体育館へ移動する。

そして大きな体育館で厳かな入学式。
つい先日までの可愛らしい幼稚園とは大違いで、大人な感じだ。

これからは子供達だけの世界が広がっていくんだろうな。僕は息子の背中を見ながら、エールを送った。

毎日を楽しく奏でられますように。
たくさんの夢が叶いますように。

そして強い子になりますように。

2011年5月17日。

ホテルの深夜バイトから帰宅した僕は、長男と二人で約束していたサイクリングに出かけた。

まだ補助輪がとれたばかりの息子に交通ルールを教えながら、ゆっくりゆっくりと。僕は後ろから、時に横にと、息子をガードしながら走る。

走りながら二人でいろんな会話をする。
昨日小学校で初めての席替えがあった事、そして友達が斜め後ろの席だった事、来週の剣道の出稽古の事、そして来週のそろばんの検定試験の事・・・。

家から南に向かうと、すぐ海にでる。
汐の香りを肌で感じながら、もう夏がそこまで来ていることを知る。息子も僕と同じで海が大好きなんだ。

道中、ちょっとしたベンチがあると二人で座って休憩する。アクエリアスが入った水筒を二人で回し飲み。

「パパ、今日はいっぱいいっぱい走ったね」と、得意顔の息子。浜辺でゆっくりした後、家へと向かう頃にはすでに陽がおちかけていた。

「パパ、すごくキレイな夕陽だね」

6歳の子がそんな情緒のあることを言うから、変におかしい。でもそんな息子と二人で見る夕陽はそれはそれは特別なもので・・・。

2011年6月。

春が過ぎ、夏が来ようとしていた。
僕はまだまだ、つまずきながら歩んでいる。

そのつまずきの一つ一つが僕に知識と経験を与え、そしてそれは血となり肉となり体内に又、脳内に吸収されていっているようだ。

自分自身で経験して得ていくものは、少しの自信へとつながっていく。

この自信は決して自己啓発本や有識者の意見から得られるものではない。自分で考え自分で解決するという事からのみ得られるものだ。
子育てにしてもそう、恋愛にしてもそう。何かの受け売りだけでは、本質を見失う。

僕は男親として息子に何が残せるか・・・。

そう考えた時、それは自分自身が歯を食いしばってつかんだものを自分の言葉で教えていくしかないんだと。

もちろん自己啓発本が悪い訳ではない。

しかし、何かに頼れば全てが他の誰かの言うとおりにしかできなくなる。常に模範解答をあおぎながらでないと生きていけなくなってしまうのは、悲しいと思うんだ。

だからやっぱり自ら冒険し、自ら苦しみを受け入れ、自分らしい答えを探していかなければいけないんだと思う。

それが人生勉強であり、人生勉強の必要性なのだろう。

『人生は下り坂に美学がある。』

あるテレビ番組で火野正平さんが言っていた。

僕はこの言葉にとても共感した。人生は、上り坂もあれば下り坂もある。その高低差は人によって大小の違いこそあれ、必ず上りがあれば下りがあるものだ。

そして下り坂の時に、僕たちは弱気になり人に感謝の念を持つようになる。ひょっとしたら本当の愛の形もそういう時にこそ見えるものなのかもしれない。

人は失敗をすることで、学び、成長する。
そしてそれを糧に、再び上り坂へと歩を進めていく訳だ。そう思うと、下り坂こそ人生で最も清らかな時期なのかもしれない。そして、最も人を尊び、学ぶ心を持つ時なのかもしれない。

僕が今回学んだもの。
それは、下り坂は愛を再確認するところだという事。

ワイフとの愛、子供との愛、そして親との愛・・・。

次に僕が始める仕事はそういう愛に包まれたものでありたいと、この頃強く思うようになっていた。


第20話につづく・・・

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