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【旅の記憶】無言のゲストルーム(Melbourne 3)

インフォメーションセンターの前はちょっとした広場になっていて、そこには場違いに沢山のレーシングカーが停められていた。
私が滞在していた期間は、実は世界的に有名なF1レースが行われる期間だったのだ。だからおそらくいつもにも増して、観光客が押し寄せているのだろう。
私はその広場に面したカフェでクリームのたっぷり入ったアイスコーヒーを飲むと、再びランチを食べたフードコートに引き返して夕食代わりの一本二ドルの巻き寿司を買い、トラムに乗って宿へと戻ることにした。
旅の高揚感で疲労はあまり感じていなかったが、昨日はろくに寝られなかったし、疲れていないはずがなかった。今日は早めに引き上げようと思ったのだ。

景色をずっと目で追っていたので、上手い具合にベストの位置でトラムを降り、角の雑貨店で大きなボトルのジュースを、果物屋でバナナを買って宿に戻る。
荷物を置くと巻き寿司の入ったビニール袋だけ提げ、持っていた鍵でゲストルームのドアを開けた。
私は鍵を三つ渡されていた。夜遅くなると閉まる玄関の鍵、自分の部屋の鍵、そしてこのゲストルームの入口の鍵だ。
そこを通り抜けないとキッチンに行けないという変な造りになっていた。

ゲストルームには数名の宿泊客がいたが、誰も喋らず、黙ってテレビで映画を見ているか、パソコンでインターネットをしているかだった。
部屋は相変わらず薄暗かった。私はそこで、どこからキッチンに行ったらいいものやらわからなくなりうろうろしていると、パソコンをやっていた男性客があっちだよ、と教えてくれた。
決して暗い感じではなかったが、部屋全体が奇妙な空気を作り出しているからか、あまり話したいとは思えなかった。
まだ夕方だというのに部屋に閉じこもって時間を費やしているこの人達は一体何なんだ。長い間旅を続けている人達なのだろうか?
それにしても覇気というものがなかった。宿泊客同士コミュニケーションを取るでもなく、同じ部屋にいながらあくまで個人は個人だった。

私は、窓に面して幾分明るいキッチンのテーブルで、落ち着かない気持ちで一人の夕食をとった。
AATキングスのツアーパンフレットを見ていると、あることに目が止まった。 三つツアーを申し込めばかなりの割り引きになって、しかも市内半日ツアーがついてくるというのだ。
フィリップ島とグレートオーシャンロードは絶対外せないと思っていたが、それなら迷っていたソブリンヒルという一種のテーマパークへ行くツアーも申し込めば格安だ。さっそく明日申し込もうと決める。

その後バスルームへ向かったが、これまた気が滅入る代物だった。バスルームといっても簡素なシャワーが付いているだけだが、髪の毛は沢山落ちているし、いつ行っても仕切りのカーテンやマットはじっとりと湿っていた。
もちろんユニットなのでトイレも一緒である。部屋には洗面台さえ付いていないので、日に何度もこの陰気なバスルームに来なければならない。
なるべくここに来る回数を減らすためにも、やはり目一杯外に出て歩き回らなければ、と思う。

まだ夜は始まったばかりだが、早々にベッドに入る。ちょうど頭の側にある窓から歩道の照明がまともに入ってくる。ブラインドを閉めてもその透き間から差し込んでくるのだ。
こんな状態で眠れるだろうか、と考えている内にあっと言う間に眠りの世界に引き込まれてしまった。


これまでの【旅の記憶】は、以下のマガジンにまとめています。


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