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【旅の記憶】イミグレーション夜話

入国審査(イミグレーション)が大好きという人はそうそういないと思うけれど、私は入国審査が苦手である(二度目の宣言・・・)。
アメリカ入国時に滞在先を怪しまれたのは、先の記事にも書いたとおり。

オーストラリアの入国審査ではたいして何も尋ねられずにイミグレーションを抜けられたので、ラッキー!とほくほくしていたら
しばらくして後ろから女性の係官が追いかけてきた。
「ちょっと話を聞かせてほしい」と言われ、滞在理由や滞在期間などをかなりしつこく聞かれてしまう。
いやいや、もう私、入国してますよね?と思いながら、
「強制送還ないこともない」という噂も小耳に挟んでいたので、必死に答えたことを覚えている。
あの時も一人旅ということで、不法就労を疑われていたのだろうか。

私は観光ビザで入国していて、もちろん働くつもりはなかったが、旅の後半の細かい計画を立てていなかった。
そのときは「都市間を移動して旅するつもり」と言っていいのか、言うとしてどう話したらいいのかわからず
最初に宿泊する予定になっていた、日本人の方がやっている部屋貸しの家の住所にホームステイするのだと言って切り抜けてしまった。
噓じゃないし、とりあえずはそのつもりだし、と内心唱えながら。
きっと英語がもっと話せたら恐れることはないのかもしれないが、
何が正解なのか、結局わからないままだ。 

反対に、フランスのシャルル・ド・ゴール空港では、びっくりするぐらい何も聞かれなかった。
それはお国柄なのかもしれないし、入国時期によるのかもしれない。
当たった担当官の機嫌によるのかもしれない。

審査の列に並んでひやひやしているとき、
大体はいくつかの列の係官が見えているので、いつも観察しては
(あー、あの人が優しそうだから、あの人に当たりたいな)と目星をつけるのだが
決まって一番こわもての人に当たってしまう。
どうにかならないものだろうか? 

いや、でも初めての海外旅では入国審査より大変なことが待っていたのだった。
待ち合わせの失敗である。

私の最初の海外旅は学生時代、留学している友人に会いに行ったイギリスだった。
初めての海外で、初めて一人で飛行機に乗り、入国さえすれば彼女が待っている手筈。
私が恐れていたのは、当然入国審査だ。
「旅の英会話」的な本で一生懸命練習していった。
が、しかし。いざヒースロー空港のイミグレーションに着くと、
すごく優しそうなおじさんの係官が、「観光?」と日本語で尋ねてきたのでずっこけた。
向こうは日本語だが、こっちも日本語で返していいのか確証がない。
したがって練習してきた問答を反復するしかない。
「サイトシーイング。」
「何日?(日本語)」
「テンデイズ。」
という謎の会話をしたのだったが、
おじさんはパスポートにポーンとスタンプを押してくれたので、
私は想像よりずっと簡単に入国審査を通り抜けたのだった。

これでノープロブレムだわ、とターンテーブルに荷物を取りにいってゲートを出ると肝心の彼女がいない。
30分が経ち、一時間が経っても、彼女は来なかった。
これは完全な行き違いである。いや、ちょっと。私は震えながら一体どうしたらいいのか考えた。
順当なのは、空港内にアナウンスをかけてもらう作戦だ。
(我々の暮らしにすでに携帯電話は普及し始めていたが、海外で使うととんでもなく高かったから、怖くて置いていったのだったと思う)
そんな特殊な状況を英語で練習していないのは、ジェスチャーで何とかするにしても
そこへ移動している間に彼女が来るかもしれないと思うと、なかなか動けなかった。
最終的には警察へ行くことになるのかもしれない。
私は泊まる宿などの手配をすべて彼女任せにして、
何一つしっかり把握していないことを悔やんだ。

そのとき遠くから私の名前をフルネームで呼びながら走ってくる人があった。もちろん我が友人だ。
彼女はなんと、飛行機の到着ターミナルを間違えていたのである。
我々はひとしきり、泣きそうになったり謝ったり喜んだり、した。

何とか無事に出会えたので、この時は迷子のジャパニーズガールにならずに済んだが
一歩海外に出たら、やはり自分で自分のことはできうる限り面倒をみられる状態にしておかなきゃな、と思った次第である。

今は海外で使ってもそんなに高くない携帯電話があり、SNSがあり、当時とはだいぶ状況が違うと思うけれど、
万が一待ち合わせが上手くいかなかったときのことを考えておくのは、大事かもしれない。
その日たまたま携帯電話を水没させることだってあるかも、しれないし。 


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