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【旅の記憶】長めの助走(Sydney 4)

しばらくの間、私はその小さな町でスーパーでの買い物方法を覚えたり、
教会や図書館を覗いたり、クッカバラ(ワライカワセミ)を目撃したり、
ペンキ塗りを手伝ったり、はっきり言ってぶらぶらしていた。

時にはオーナーを訪ねてくる友人たちや、同時期に宿泊していた日本人の方
たちと夕食を共にさせてもらったり、
ケーキやコーヒーをご馳走になったりもした。
(輝かしいピーカンナッツのケーキのことを、私は忘れないだろう。
 遠くなればなるほど、記憶が美しく改ざんされるとしても、だ)

それまで仕事のことや何やかやで鬱屈していたのが、
急に「やらねばならぬ」ことが特にない開放的な状態になり、
もちろん楽しい反面、そこはかとない不安もあった。
今後のこと、お金のこと、数え上げればきりがない。
時間が余ると、人は、いや、私は考えこみすぎる。
動かねば、と私は思っていた。

もちろんここに滞在中、電車でシドニーには何度か出た。
シドニーは整然とした美しい都会だった。
観光名所であるシドニーハーバー、オペラハウス、可愛らしいお店が並ぶロックスマーケットなど、見所はいくつもあった。
しかし、このシドニー近郊滞在中の日記を見返すと、
何だか焦りのようなものが感じられる。
未知の世界を一人で旅する、という勝手に想像していた理想と、
お膳立てしてもらえる、現状ののんびり観光ムードが、少しずれているように感じていたのだろう。
まったく、贅沢な悩みだぜ、と今なら思うが、30歳手前の私に怒っても仕方がない。
ゆっくりできるときはゆっくりせいよ、と言いたいが、このときの3週間は、少し長めに助走を取りすぎたようだ。

私はオーナーのパソコンを借りてメルボルンとアデレードの宿を見繕ってブッキングし、
シドニーに出た折に、メルボルンまでの列車の予約と、YHAセンターで西海岸の町、パースのユースホステルの予約を済ませた。
(YHAはオーストラリアのYH(ユースホステル)のこと)
これも今思い返すと、えらく先まで決めていたものだ、と思うのだけど、
私の中ではパースが旅の折り返し、という気持ちがあり、
そこまで諸々決めておきたかったのだと思う。
特にパースのYHAは、以前から泊まりたいと思っていて、早めに押さえておきたかったのだろう。
2月下旬(オーストラリアでは真夏)、私はオーナーに別れを告げ、
荷物を転がしてシドニーの駅舎へ向かった。
21時前のメルボルン行きの夜行列車に乗るためだ。
乗車時間は約10時間30分。

オーストラリアの地図を思い浮かべて、右下隅のちょっとした移動、
シドニー~メルボルン間の移動にこれだけかかると知れば、この大陸のデカさも実感できるというものだ。
(新幹線みたいに速い列車でないことも、もちろん大きいけれど)
列車は片側2列で、隣にものすごくガタイのよい白人男性が座った。
私は窓際だったし、夜行だから皆座席で寝るので、完全に通路に出にくい状況になってしまった。
いよいよだな、という感じが押し寄せる。
いよいよ私の旅が始まるのだ。


これまでの【旅の記憶】は、以下のマガジンにまとめています。


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