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神は「沈黙」されているのか?隠れキリシタンの悲劇を描く衝撃作🌟遠藤周作の『沈黙』③

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7月第2作目には、遠藤周作の小説、『沈黙』を取り上げます。

近代文学じゃなくて現代文学じゃない?と思った方!

まあ、良いではないですか🤣🌸笑

『沈黙』は遠藤周作によるキリスト教文学の金字塔。
長崎の隠れキリシタンの迫害・棄教を扱っており、宗教的にも議論の分かれるテーマです。
2016年には、映画界の巨匠、マーティン・スコセッシ監督によって映画化され、世界的に知られる作品となりました。


【参考】

共作小説「白い春~君に贈る歌~」にも、「死」や「神」について思いを馳せる場面が出てきます🌸

どうぞよろしくお願い致します!

共作小説「白い春」全編まとめはこちら!↓↓




「沈黙」

―神の「沈黙」という命題に問いを投げかけた、キリスト教文学の金字塔


遠藤周作(1923~1996)

東京府(東京都)生まれ。小説家。
父の転勤で、幼児期を満州で過ごす。
十歳の時、両親が離婚。
母と日本に帰国し、神戸に住む。
十二歳のとき、キリスト教の洗礼を受ける。
洗礼名はポール。
1948年、慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業。
1950年、戦後初の留学生として、フランス・リヨン大学大学院に入学。
1955年、『白い人』で芥川賞を受賞。
1966年、『沈黙』で谷崎潤一郎賞を受賞。

代表作品:『白い人』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『深い河』など


【書き出し】


ローマ教会に一つの報告がもたらされた。

ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストヴァン・フェレイラ神父が長崎で「穴吊り」の拷問をうけ、棄教を誓ったというのである。

この教父は日本にいること二十数年、地区長という最高の重職にあり、司祭と信徒を統率してきた長老である。


【名言】


神は本当にいるのか。

この国は沼地だ。

「主よ、あなたは今こそ沈黙を破るべきだ」

踏むがいい。踏むがいい。お前たちに踏まれるために、私は存在しているのだ。(踏み絵)


※あらすじは、第1回(前編)・第2回(後編)をご覧ください♪↓↓


【解説】①


・棄教した神父の実話をもとにした『沈黙』

『沈黙』では、江戸時代のキリシタン禁教下の日本に潜入した青年司祭ロドリゴが、厳しい迫害の末に捕えられ、やがて踏み絵を踏むまでの苦悩が描かれます。

『沈黙』の主人公ロドリゴのモデルとなったのは、イタリア出身の実在の神父ジュゼッペ・キアラ。

彼は、棄教したあとに岡本三右衛門の名を与えられ、江戸小石川のキリシタン屋敷で生涯を終えています。

(※棄教とは、キリスト教の信仰を捨てることを誓うことです。)


また、作品の冒頭で描かれている、フェレイラ教父の棄教。

とてもセンセーショナルな始まり方ですよね。

この話も実話だとか。

イエズス会の日本管区長代理のクリストファン・フェレイラが、穴吊りの刑という拷問によって棄教し、沢野忠庵と名を変えた事件に基づいて書かれています。

フェレイラの棄教は、イエズス会やヨーロッパのカトリック教会に大きな衝撃を与え、実際に多くの宣教師が日本潜入を志願したそうです。



・遠藤周作が作品を書いた背景

作者の遠藤周作は、日本人でありながら、キリスト教徒であることに葛藤を抱えていたといいます。

遠藤自身は、伯母の影響で母とともにカトリック教会へ通うようになり、本人の意志にかかわりなく洗礼を受けました。

いわゆるキリスト教における2世信者だったのかもしれません。

その後は、作品を通して、日本という風土・文化のなかでのキリスト教の神と愛のあり方を探求していきました。


・日本人の信仰観とキリスト教の信仰観の違い

『沈黙』の作品内では、日本人の信仰観とキリスト教的一神教の違いが度々指摘されています。


「彼等が信じていたのは基督教の神ではない。日本人は今日まで」
フェレイラは自信をもって断言するように一語一語に力をこめて、はっきり言った。
「神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう」

遠藤周作『沈黙』より


「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力を持っていない。
日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない」

遠藤周作『沈黙』より


「日本は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。
人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。
だがそれは教会の神ではない」

遠藤周作『沈黙』より


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