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「なんもねぇ町」にも誇れるものを 宮越寛さん

中里から車で10分ほど離れた場所には小川三知のステンドグラスが残る離れ「詩夢庵」があります。

大正9年宮越家9代当主正治がイハ夫人33歳の誕生のために建立したと伝えられます。大正浪漫あふれる空間は夫妻が詩歌を詠む場所として「詩夢庵」と命名されました。

「詩夢庵」廊下
「詩夢庵」涼み座敷の間

今回は12代目宮越家当主であり、宮越商店を営む宮越寛さんにインタビューさせていただきました。



こっちの人は対等なんですよ

――宮越寛さんの生い立ち、学生時代について教えてください。

ここ(尾別)で生まれで中学までここで育って、高校は弘前で下宿しながら通って大学は東京に行きました。

宮越商店では米を集荷して売る問屋業をやっていて、大学卒業したら家に帰って来るつもりだったんだけど。その時ちょうど国が減反政策を行っていて、この先どうなるか分からないからまだ帰ってくるなって父親に言われてしょうがなく東京で就職したんです。

――地元に帰りたいという気持ちがあったんですね。

んだな。東京にいるときはみんな凄すぎてついていけなくて、寂しい気持ちになって地元に帰りたいという思いがあったけど。でも就職してからは埼玉で働いたから東京より少し田舎で、まだ楽だったの。

埼玉の衣料スーパーで働いて初めは売り場に配属されて、婦人服売り場を任されて仕入れるほうを任されて一通り覚えてから帰ってきたんだけど。

そうしたら今度埼玉で身に着けたきっちりした礼儀は中里には合わなくて、ははは。もうこっちの人はずけずけ来るから。

妻は中里に帰って来た時は小さい子供を育てていたので店には手伝いに来てなかった。だから来た最初の頃は地元の人と話すこともなかったね。

こっちの人は勝手に言葉作ってしまうのでね。商品名でも勝手に変えちゃうしね。

――この前コロナのことをずっと「コロちゃん」って呼んでいるおばあちゃんが居て何言っているか分からなかったです。

本当に、ははは。

それと社会人としての基本が埼玉なんで、こっちで間違えて「いらっしゃいませ」なんて言うとお客さんに気持ち悪がられる。

こっちの人は対等なんですよ。仕事中であっても「おめ(お前)とか、な(あなた)」とか言ってる。

でもそれに慣れるとすごく楽。ゴマすらないでいいからね。

でも最近は全国チェーンの店が入ってきて、みんなちゃんと教育されているからそういう話し方も変わってきているけどね。

信頼されていると逆に嘘つけない

――米の集荷会社は創設何年目ですか。

戦争終わってからだはんで、父親が昭和23年から始めました。戦後昭和18年から地主制度がなくなって「政府登録集荷業者」になりました。米の集荷だけじゃなくて化学肥料・農薬販売をしています。

今でも米農家にはすごく信用されているから、昔からの付き合いがあるからだろうと思った。

米の集荷だけじゃなくて肥料や農薬も売ったりするんだけど、使う肥料とか農薬も完全に任されている。

「おめぇの言うこと聞いていればいいんだべ、おめぇどうすればいいと思う?」と信頼されている。そこまで信頼されていると逆に嘘つけない、裏切れない。

肥料とか農薬だけの話じゃなくて、今年は飼料米、備蓄米、加工米どれをやればいいかとか。法律や助成金とか値段の問題があるのでそれを考慮してアドバイスしている。

なんもねえ町

――以前寛さんとお話したときに、「みんな都会の人は田園風景がきれいだって褒めるけどそれはほかに褒めるところがないからしょうがなく褒めているだけだ」と仰っていたのが印象的でした。

いや今でもそう思いますよ。他に言うことがないからしょうがなく褒めている。

本当に何もない暗い中里の風景がずっと自分の心の底にあるので、今でも何もない場所と思う。冬は厳しいし。町長がよく「中里の人みんななんもねぇってしゃべって」ってよく言っている。

――私もいろいろな人と話していて「中里なんもねえ」って話す人にたくさん会いました。

農家やっている人ももうここに生まれたからしょうがなく田んぼ継いでいるという感じ。

自分が小学生の時には「今日と明日は田植えだから学校休み」っていう同級生もいっぱいいた。昔は一家総出で農作業をやっていたのが設備投資して一人か二人でやっているでしょ。

昔は一家総出して手作業で田植えとかやっていたけど、今は機械導入しているコストダウンが出来る。食べていけるから少しずつ明るくなってきた。

――昔は本当に貧しかったのですね。

貧しかった。昔は暗い光景しか思い出せない。

田植えして稲が緑色になって伸びてきて、それが秋に黄金色になってきて稲刈りをすると田んぼの土が見えて殺風景になるでしょ。

それで稲を出荷して米農家はみんな東京、愛知、遠いところだと沖縄とか冬に出稼ぎに行っちゃう。「早く出稼ぎに行かないと、社長待っているから」という感じで行っちゃう。

そうすると村がシーンとして静かになって。田んぼに稲がなくて、雪で殺風景になって寒くて、寂しい暗い雰囲気だった。

だから町外の人に「きれいな田んぼですね」なんて褒められても、無理して言ってるんじゃないかと思う。

肌で感じていた家訓

――以前新聞を読んでいた時に宮越寛さんが「宮越邸(離れ)を見せびらかしてはいけない『家訓』を守っていた」と書かれていたんですが、やはり人に見せることはなかったのですか。

家訓というか直接言われたわけじゃないんだけど、行こうとすると「そっち行くな」って厳しいおじいさんに言われたりして。

昔は今と状況が違うので、今よりも教育レベルが低かったから盗みに入られる危険性もあるから「見せびらかす物じゃない」ということになったのだと思う。でも価値がわかる人なら入れるということはあったみたい。

――じゃあ時々お客さんを入れることもあったのですか。

うん、写真を見るとお見合いとか結婚式の場所として使われていたみたい。多分地域の人が使わせてくれって頼みに来たんだろうね。

宮越邸が建てられたのは宮越正治の妻イハが33歳の時なんだけれど。イハは15歳の時に五所川原のイハの実家から馬車に乗ってここまで嫁入りに来て15歳だはんで、まだ体力がなくて居眠りしながら来ている。馬車だと朝に五所川原に出て、夕方に尾別についたみたい。

津軽鉄道がない時代だと歩くか馬車しかないから、そういう時代だと近くで結婚式を挙げるしかない。そうすると地元の人は詩夢庵みたいなところくらいしか結婚式を挙げる場所がなかったんじゃないかな。

結婚式をやるような厳かな場所だと感じて、子供ながらに入って行けなかったんじゃないかなと思います。だから行くもんじゃないというのが当たり前。

あと、子供の時はもう一つ行きたくない理由があった。

家から離れに行く途中に文庫蔵があって、親の言うことを聞かないとそこに入れられてた。

重い木の扉でガチャンと閉められてしまって、真っ暗な中に閉じ込められてすごく怖かった記憶がある。

扉が重たいから自分でいくら頑張っても開かないし暗いし。そっちの方向に行けば「怖い、行きたくない」という思いがあった。

――じゃあ家訓というよりもあっちに行ったら怒られるだろうな、怖いと感じていたのですね。

家訓というか肌で感じていた。

親も怖いし、おじいさんももっと怖いし。大正時代から道徳教育がすごいから今じゃありえないくらいに厳しかった。食事していてもお茶碗の持ち方一つで怒られたし。だから詩夢庵にも、口で言わなくても怖いから近づかないでおこうって思って。

なんもねえ町にも誇りを


――今まで離れを見せびらかすことはなかったのに、どのような経緯で公開することになりましたか。

ステンドグラス研究家の田辺先生、中泊町博物館の斎藤館長、濱舘町長の三人が来てからでね。

「ぜひ公開してほしい」と言われたんだけど、「そんなものわざわざ見に来る人いねぇべや」って思っていたんです。

何回も断ったんだけど町長が「いや、そんなことない」って説得してきて。じゃあわかった、協力します。ということになって公開することになった。

実は2004年に「美の巨人たち」に宮越邸が出ていたことがあった。ステンドグラスを公開したら放送してから16年も待っていた人たちが見に来てくれて。

高知県、愛知県、熊本から来た人も居たっていうから。

「ずっと待っていました」と言って涙流して帰った人が何人もいる。そういう小川三知のファンが全国に沢山いる。

――宮越家を公開してから地元の人にも何か変化はあったと思いますか。

最近は町外からくる人が「中里って活気あるよな」って言われるようになったし、最近は明るい話題が多くなってきた気がする。

宮越家だけじゃなくて道の駅の売り上げが一番だったとか、それは皆さんが頑張っているからだと思うけど。そういう良い話題があると町の人の気持ちが明るくなってくる。これからも明るい話題が増えていったらいいと思う。

それと地元の子供たちにもステンドグラスを見せて。まだ一回しか見せてないけど、地元の小学校と中学校一回ずつ。

「中里なんにもない」と思っている子供たちにも、中里にはこんな文化財があるんだって知ってもらえればな。

自分は誇りも自信もなかったのでね。

子供達には誇りを持ってもらえるようになってほしいですね。

ーー貴重なお話ありがとうございました。昔の中泊のことや宮越家の歴史について学べて面白かったです。



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秋の詩夢庵の写真

<宮越家の見学ついて> (中泊町文化観光交流協会ホームページより)

https://nakadomari-ctea.jp/archives/1501

宮越家では一般公開期間外の見学はできません。一般公開期間の見学日時については、都度ご確認をお願いします。また、宮越家および周辺に駐車場はありません。直接のご来場はできませんので、事前に予約入場券をご購入のうえ、指定された「宮越家行き」送迎バスをご利用ください。

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