見出し画像

【第15回】人生を振り返る【高校2年】

約1ヶ月ぶりの人生振り返り。
今回は高校2年編。

僕が高校2年の頃は2000年4月から2001年3月。
当時の大きな出来事は、小渕首相死去、二千円札発行、2代目500円硬貨発行、シドニーオリンピック、USJ開業、など。

授業と部活は高校1年編(高校1年編①)に書いた延長線上な感じ。
なので1年編で書かなかったバンド活動について書きたいと思います。(2年編と言いつつ1年の時のことから書きます)

まず最初は中学生時代に遊んでいたバンド仲間とのバンドを継続してました。
中学生時代ベースだった友達がドラムに転向して友達の友達がベース弾いて、とかそんな感じで一応メンバーが揃ってハイロウズとかブルーハーツ、あとはスネイルランプとかのコピーをやっていたような。
一応オリジナル曲を作ったりオーディションライブみたいなのに応募したりとかしてたんですが本格的に活動した、というほどでは無く尻すぼみになっていって、結局それぞれ同じ高校の仲間と別のバンドをやったりする方が多くなっていったんだったと思います。

同じ高校のメンバーとのバンドは1年の秋の文化祭的なイベントに向けてコピーバンドをやろう、というのが始まりだったと思います。
高校1年編でもちらっと書いたと思いますがバスケ部に何人かバンドをやっている友達がいて、しかもやっているバンドメンバーが他の高校なので学校のイベントに出るためには同じ高校のメンバーを探さないと、じゃあ僕がギター弾こうか(ちょうどギターが足りなかった)、みたいな感じ。
当時通っていた高校ではバンド的な出し物はもう何年もやってない状態でノウハウも何も無く、自分達でドラムやらアンプやら手配したり顧問的な役割を請け負ってくれる先生を探したり準備用の教室の手配とか生徒会との打ち合わせとかけっこう面倒だった記憶があります。
ただその苦労が報われたと思えるくらいにライブは盛り上がって楽しかったですね。
僕がこの後ずっとバンド活動を続ける上での原体験のひとつと言っていいかもしれません。

2年の時にも同じような感じでライブをやって盛り上がったし、他のバンドも何組か出ていて、僕らがうちの高校の音楽シーンを育てた、みたいな自負があったような気もします。

その文化祭バンドのおかげで同じ高校のバンド関係の知り合いが増えて、中学からのバンドとも文化祭バンドとも違うコピーバンドを組んで出演したり(僕がメインで組んでいたのはミッシェルガンエレファントのコピーバンド)、他のコピーバンドのメンバーが足りなくてヘルプ的な感じで参加したり、とそれなりに充実したバンド生活を送っていました。

あとはバスケ部も続けていたし勉強もほどほどにはやっていたはずだし友達と服屋とかを見て回ったりマックでだべったりとかもしていたはずなんですがバンド活動ほど書くことが思いつかないので次回は高校3年編になります。

高校3年編では部活と受験について主に書く予定。
というわけで今日はここまで。

この記事が参加している募集

#振り返りnote

86,311件

もしサポートをいただけた場合はなにかしら記事に関連する活動費用にあて、記事にも購入したもの、用途などを書く予定です。(例えばギター動画に使うギター関連の消耗品、植物用の土や肥料、DIY用のネジや工具、などなど)