ODの人にとっての最大の敵、理解したつもりの人たち。安心し信頼できる大人の特徴!!
はじめに
今回は、起立性調節障害(OD)の人にとって、
・嫌だな、信頼できないな、と感じる人(親や先生)と、
・この人といると安心できる、この人は信頼できるな、と感じさせてくれる人
の特徴について、綴っていきたいと思います。
起立性調節障害のお子さんを持つ親の方はきっと、病院の先生から、「あまり口うるさくしないで我慢強く見守ってあげてください。」と言われたかと思います。
この背景にある小児心身医学や教育心理学など科学的な見解、また心理的安全性の重要性などの内容についてはまた発信するとして、今回は私の経験則を中心に、ODの子との安心・信頼の築ける関わり方について考えていきたいと思います。
起立性調節障害のお子さんを持つ親の方や学校の先生はぜひ参考にしてみて欲しいと思います。
また起立性調節障害の当事者は、生活しやすい環境を自分で築き上げるにあたって、どういった人との関係を大切にすべきかを考える際の参考にしてみてほしいです。
(前提として、全員の理解を得ようともがいたり、全員とうまくやって行こうという完璧主義的な考えは、非現実的でメンタル的にも良い考えとはいえないので、自分にとって良い関係を築ける人を大切にするように心掛けた方が良いでしょう。)
本題
今でこそ起立性調節障害(OD)の認知度が高まってきたものの、私が高校生の時(2014年入学)はまだその認知度は低く、五月病として扱われる方も多く存在していたかのように思います。実際に私も、ある学校の先生からは五月病として扱われたことがあります。
(語弊のないようにしたいのが、五月病が怠けとか、精神的なものだと言いたい訳ではありません。実際に自律神経の失調が原因でODと似た症状が出ます。)
そうなると、私の高校時代は今の中高生よりも理解を得にくく、生きづらい環境だったように感じるかもしれませんが、私はそうは考えていません。
その理由のひとつとしては、
確かに今はODへの認知度は高まったかもしれませんが、それが正しい理解だとは限らず、なんとなく理解したつもりの方が多くいるように感じるからです。
私の経験から、多くのODの方には理解してもらえるかと思うのですが、この「理解したつもり」の人が、私たちにとっては最大の敵に見えるのです。
ODの接し方:3タイプ
我々ODの人に対する大人の方々の接し方としては、主に以下の3つのタイプに大別できるかと思います。
① 理解を示してくれない人(理解しようとしない、できない)
② 理解したつもりの人
③ 理解しようと努めてくれる人
① の人に関してはODの我々も諦めがつくというか、、、
家族や担任、顧問など身近な人がこのタイプだと、理解をしてもらわざるを得ないと思いますので少々厄介ではありますが、そうでなければこのタイプの方とは付き合わないという選択をとってしまえばOKです。
私は一時期、この理解してくれない人にばかり目がいってしまい、メンタル的にしんどい時もありましたが、ある時、全員に理解してもらうのは不可能であると同時に、その必要もあんまりない。ということに気付いてからは、楽になりました。(そう思えるようになったきっかけや、心理学的なテクニック、またそういう人たちに理解してもらうための方法についても今後発信していければと思います)
問題は②の人です。
「理解したつもり」とはどういうことかを例をあげて説明すると、
例えば、「ODって午前中の調子が悪いんだよね。ということは午後からの授業は問題ないね。」とか「思春期だから周りの目も気になるだろうし、人間関係の悩みや将来への不安も色々あるだろうから、欠席や遅刻が続いていて学校に来にくいでしょ」など、、、
両方、大きくは間違ってはいません。
ODは確かに午前中の交感神経が優位に働くべき状況でも、その活性レベルが低く、午前中の体調が悪いことは多いです。
しかし、午後も体調が優れない人もいれば、いつもは午後に回復する人でも、なかなか回復しない日があることは想像が容易いことでしょう。
要するに、ここでいう「理解したつもり」の人とは、
ODの一般的な症状やその特徴を理解することで、目の前の個人にそのまんま当てはめて理解しようとする態度をとる人のことです。
本人に悪意はなく無自覚にそういう態度になってしまっているケースも多いでしょうし、私自身も、他のODの方と接する時は注意をしないと自分のODの経験を相手に当てはめて決めつけるような態度を取り、目の前の個人の理解を疎かにしてしまいそうになる時もあります。
実際は個々人によって原因も異なれば、症状も違いますし、重症度やODのサブタイプは季節や時期によって変動します。体調は1日の中でも1年の中でも大きく変動するが故に、お医者さんや本人でも自分自身の体について理解することが難しいのに、「ODね、知ってるよ、○○なんだよね」といったスタンスで接せられると戸惑うと同時に、この人には理解してもらえないのかなと感じてしまいます。
例で挙げた
「思春期だから周りの目も気になるだろうし、人間関係の悩みや将来への不安も色々あるだろうから、欠席や遅刻が続いていて学校にも行きにくいでしょ」
という発言についてですが、
これは私の経験談として、
発言者に悪意はなく、共感を示そうとしてくれていたのだと考えています。
しかし、数々の病院で体調不良の原因や登校できない理由を思春期や精神的なものとして扱われてきたODの人にとってこの発言は、
「私はあなたが学校に通えない原因はその「心理的な行きにくさ」にあるのではないかと思っているよ。」 と考えているんだと解釈してしまいます。
要するに、
「とにかくこの体調不良や登校できない状況をメンタルの問題として扱わず、身体的なものが根本にはあることを理解してくれ!」
というのが私を含めODの方のひとつ大きな主張です。
これらのことから、私にとって最も安心で信頼のおける先生や大人としては③の理解しようと努めて下さる方々でした。
今日の体調、今の体調を気に掛けて下さり、「大丈夫です」という返事の後も、気に掛け続けて下さり、頭痛や吐き気、動悸の症状が多かった私に対して別室を用意してくださったり、「君自身はどうや?○○についてどう考えてる?」を聞いてくれ、「そしたら先生はこういうサポートの方法ができるよ。」と支援の方法を提案して下さる。
こういう私個人を理解しようとしてくださる先生や大人が周りに居たから、私は高校を卒業することができ、大学受験で志望校に合格し、教師を目指して教員免許取得へと行動を進めてこられたのだと思います。
エジソンが「人間は考えるという真の労働を避けるためなら何でもする」と述べたように、人間は考えることが嫌いで楽を好む生き物ですし、分からないことや不確定なことに対して不安や不満を抱きやすいので、個と向き合い熟考し理解するよりも、カテゴライズ(分類)したり、早合点し決めつけてしまうことで理解したつもりになれば、思考するエネルギーを省エネできる。
と考えると、これは人間の性な気もします。
カテゴライズは複雑な物事を理解するのに欠かせない思考法の一つですが、
人間に対して使うときには特に注意しなければ、人種や障がいに対する差別が生じるなどの危険が伴うように思います。
エジソンの言葉に耳を傾け、その事実を受け入れ、意識して個人の理解に努めることが重要だと考えています。
今日のPOINT
ODの子との接し方
本人も自分の体で起きていることを理解することが難しく混乱しているのだから、ODの方と接する時は、目の前のその子個人を理解しようと努め、そのスタンスが伝わることで本人は安心し、その人へ信頼を寄せることと考えます。
この記事について
今日の記事は科学的なリサーチにかかった費用や時間はそれほど多くなく、私の経験をベースに綴らせて頂きました。
そのため有料記事とはせず公開致します。
もし今回の内容が参考になったという方や、今後の活動を応援してくださる方がいらっしゃいましたら、下記のサポートをして頂けますと大変嬉しく、励みになります。
よろしくお願い致します。
OD.naka🛤
ご覧頂き感謝申し上げます。ODの方やご家族などの不安や悩みを解決する手掛りを提供したい。世間の認知度だけでなく、理解が進み、ODの方が元気に充実した生活を送れることを祈っています。私にどれだけの貢献ができるかは不安ですが、皆さんのご支援が励みになります。よろしくお願いします。