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リーダーシップ小論〜IQに寄りかかるな〜

こんにゃちにゃ!GWは良い過ごし方ができたにゃか?
今週はおトヨの番にゃ。今回はテーマなしのサイクルなので、最近とある組織内でも同様の体験をしたこともあって、リーダーシップに関して、ゆる〜く、しかし要点をおさえて書いてみるにゃ。

リーダーシップについては、長年、さまざまな場所で研究されてきているテーマであるし、多くの書籍も出ていることから、いろいろと読んで考えたい方はそうすることをオススメするにゃ。けれども、シンプルに何が重要なのかを考えた時に、

① 組織に方向性を示し動かす
② 組織の内と外から信頼される

この2つのポイントを押さえておけば、自然と養われていくものにゃのではと考えているにゃ。おトヨの考えでは、この2つは簡単とは限らないが、誰でも身につけられる能力だと考えているにゃ。理由は、後述のとてもシンプルな原則に従えば実現できるものだからにゃ。
その前に、①と②はあくまで両輪でこそリーダーシップが醸成されるのだということを強調しておきたいにゃ。実際、①ができても②ができない人、②ができてるように見えるが①がない人は、客観的に見て強いリーダーシップを発揮できていないことをこれまで幾度となく見てきたからにゃ。その結果として、組織内の求心力は低下し、離職率も上昇するにゃ。そこで、できてない人たちの「あるある」事例を紹介するにゃ。

例えば、IQとEQという言葉があるにゃ。IQとは聞いたことがある方がほとんどかと想像するにゃが、いわゆる「知能指数」というもので、主に物事の理解、知識、課題を解決する力といった、認知能力を測定し数値化したものにゃ。これに対して、EQとは、「心の知能指数」というもので、自身や周囲の人達の感情を適切に察知し、うまく扱う能力と言われているにゃ。ここでは、各々の数値の高い低いを比べましょうと言いたいわけではなくて、①ができても②ができない人には、このEQが低いケースが多いように思われることがよくあるにゃ(※ 統計的に調べているわけではないにゃ)。そこには、論理性や俊敏性といった知能指数の高さゆえに本人に自信があるケースもあれば、後述の人を平等に扱わないケースもあるにゃ。こういう傾向のある方は、一言で言うと「好かれない」、「信頼されない」にゃ。それゆえ、②が不成立となってしまうにゃ。結果、マネジメント能力の評価を毀損してしまい、実損が発生することが多々起きるにゃ。

一方で、例えば、ポピュリズムや八方美人のように、人に聞こえの良い言葉を振りまいて好かれようとするといった行為は、一見②が実現できてそうに見えても実際のところは「逃げ口上」にも近いものがあり②すらもあやしい中で、本人の軸がブレやすいことから、砂上の楼閣になりやすく、①が成り立たないようなこともあるにゃ。結果、求心力はダダ下がりにゃ(以下、「にゃ」を省略するにゃ)。

夢みるアドレセンス  リーダーシップ
知らないし、何言ってるかわからないにゃ。
「セクシーリーダーシップ」ってなんだにゃ?
なぜタイトルから「セクシー」を外したにゃ?

なので、この時点で、自分の行いを振り返れば、人によっては行動変容につながるきっかけとなる可能性は十分にあるのではないかと思います。そして、こうした変化をもたらすことは何も恥ずかしいことではないし、言語化しているかは置いておいて、「できてない」ことを周囲がしっかり気づいているのと同様に、「できてきた」ことにも周囲は気づき始め、関係性が変化していくのだと思います。
では、本題に戻り、どういった原則に従えば、リーダシップが育まれるのかということについて話していきたいにゃ。その原則とは:

a. 自分に正直に高潔さをもって生きること
b. 人の話に耳を傾け、差別をしないこと

a.については、どんな組織でも成立する話ではないのだと思います。なぜならば、自分を押し殺して過ごしている組織に「正直さ」はないからです。一方で、「正直」といっても、非常に難しい言葉です。自分を理解できていなければ、何が正直なのかも明確たりえないでしょうし、そもそも自分を理解することができるのか?という問いかけも意味があるとすると、多少なりとも思い込みが入って仕方ない世界なのかもしれません。それゆえ、矛盾して聞こえるかもしれませんが、他者が創業した組織に共感して勤務することも、自分に正直にと思い込んで起業することも、それ以外のあらゆる立場において、成立しうる話ともいえます。但し、正直であることは、自身を見つめてこそ成り立つ言葉です。自分自身がどういうことに携わりたいのか、どうありたいのか、こうした考えが理念となり、組織の方向性の幹の部分を決定していくことになります。厳密には、ビジネスであればビジネス的な考え方でどういった方向性に進むべきかといった、戦略コンサルタントが得意とするような能力が関係ないとも言えません。しかし、ビジネス契約書の方向性は、弁護士ではなく事業体が決めるように、組織の方向性もそこに携わる従業員が「ありたい姿」と照らし合わせて決めていくのです。

「高潔さ」(または「誠実さ」「真摯さ」)についても同様のことが言えます。英語では、”Integrity” (インテグリティ)という言葉になろうかと思います。同義ではありませんが、近い意味に、「プライド」(または「自尊心」)という言葉もあるかもしれません。これは、他者からの目線を意識する「見栄」とは違うものだと認識してください。見栄は、むしろ高潔さを阻害しうるものであり、後述のb.にも反する意識ですので注意が必要です。どんなにIQが高くても、というか、むしろ高いがゆえに人を欺ける能力にも長けている可能性があり、Integrityが欠如していると不正を働いてしまうことがいつの時代もどの国でもあるのです。

b.について、話に耳を傾けることを「傾聴」といいます。IQが高い人は他者の話の先が読めると勘違いを起こしやすかったり、また、忍耐力がない人は自分の言いたいことを言えるタイミングがあると発言を遮ってまでコメントを挟みたがるといったことがよく起きます。そして、グループで議論をしていて、こうした人間が複数人いると、もはや手のつけようがありません。それぞれが、言いたいことを隙あらば言い放ちたい、それが目的、といった具合です。こうした組織では、言いたいことをしかるべきタイミングで発言することがごく一部を除いて難しくなり、組織の見解が偏りがちです。言い方を変えるならば、こうしたことをしっかりと扱える人こそが、リーダーとして素質があるといえます。加えて、差別をしない、これは人種差別のみを指しての意味ではありません。コミュニケーションを通じて感じ取れるような、自分と相手の能力的な優劣や、家柄を含めた社会的な地位や知名度、あるいは経済力、によって人を「判断」してしまうことで、相手によって言葉遣いや表情といった態度が変わるケースがあります。顧客には満面の笑顔で接し、部下には平気で罵声を浴びせるといった上司すら世の中には多数生息しています。そして、特筆すべきは、こうした行動のクセは、本人が気づいていることが少なかったり、気づいていてもその影響を軽視していることが多いことです。一方で、周囲からは見ていてあからさまな特徴であり、そういう人は、「裏表がある」、「手のひらを返す」といった特徴と結びつくことから信頼から程遠い存在となってしまいます。ひどいケースだと、関係性に嫌悪感が生まれ、二度と視界に入ってほしくないという言葉や、アレルギーが出てしまうといった症状まで訴えかけてくる状況にすらなってしまいます。こうした傾向を改善するのは非常に難しいことですが、周囲がやわらかく気づかせてあげることが功を奏する可能性もあります(この辺についてはまた別の機会にでも)。傾聴し、平等に、は簡単なようで、できてない方はたくさんいるのです。

さて、ゆる〜くと言いつつも、少々長くなってしまいましたが、リーダーシップ小論はここまでとしたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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