劣等感と惨めさ

どうも、こんにちは。お久しぶり……になりますかね。これまでの記事に”いいね”やコメントをくださった方々、本当にありがとうございます。色々書きましたが、私はなんとか生きていました。でももう、無理かもしれないです。なんというか、少し、自分の先が見えかけてきたので。逃げるようにして文章を書いています。本当は、次々迫り来る面接の対策をしなければならないのですが。そんな気力は、ちょっともうないので。

それでは本題に。これを書いている数時間前、実は私、お祈りメールを食らいました。まあ、就活をしてたら当然、経験することなんですが。ただ、その段階が問題というか。ESの段階で落とされたんですよ。これは非常にキツかったです。第一志望とかではないんですけど(そもそも第一志望自体ない)、そこそこいいなと思ってた企業でしたし。それで絶賛、精神状態悪化中ということになります。だからこうやって、脈絡のない文章を書くしかない。そうしないと、自分が保てなそうだから。ふとした衝動で、死んでしまいそうだから。

そうやって、悶々とベッドの上で目を閉じていたのですが。その中で私は、自分が死ななければならない理由を考えていました。

私はどうして、就活で死ぬのだろうか、と。

ありきたりな回答としては、「何社も落とされる中で、自分が否定されるように感じたから」とかだと思います。確かに、選考に落とされるのは辛いですよね。でも自分の場合は、これが原因ではないなと考えました。そもそも、まだ落とされたの三社ですし。その数倍の企業の選考が進んでいますし。

ではなぜ、私は今回のように、たった一社からお祈りを食らっただけで、ひどく落ち込むのでしょうか。

答えは案外、すぐに出ました。劣等感だ、と。

当たり前ではありますが、就活の成否によって、その後の生活はガラリと変わります。具体的には、年収に数百万の差がついたり、福利厚生が天と地の差だったり。そこからさらに派生して、好きなことにどれだけお金をかけられるかとか、結婚できるかだとか、子供にどれだけの教育をしてやれるだとかも。就活の成否は、私たちの人生をあまりにも簡単に操作してしまうのです。

そして、恐ろしいことにその就活の結果というのは、たった数千文字と数字間で決まります。これまでの人生で何をどれだけ努力していようが、そんなものは関係ありません。大事なのは、ESや面接で、いかに上手いことを言えるかです。それを言えたものが、お金も幸せも手にし、その舞台で失敗したものは、それらを手にすること自体がひどく困難になります。

自分で言うのもなんですが、私は少なからず、これまでの人生で努力をしてきた人間だという自負があります(前の記事でも言ったと思いますが)。その一つの成果が、学歴というものです。大学の名前に固執するな、と思われる方もいるでしょう。当然ですし、その意見は正しいと思います。しかし、それが私の、十数年間の努力の証であることもまた確かです。私はそれを、評価してほしい。そうやって、いろいろなものを犠牲にして生きてきたのだから、お金とか幸福とか、そういうものを人よりも少しだけ、多く得てみたい。そう思うことは、傲慢でしょうか。阿呆の考えでしょうか。そうした望みを、数千字と数時間のみで判断され、踏み躙られることに対して、惨めさを覚えてはならないのでしょうか。

私は無能で劣等な人間です。だから選考に落ちるのかもしれません。でも、そうした人間だからこそ、これまでの人生をかけて努力を積み重ねてきたのです。少しくらい報われてほしいと思うことも、ダメなことでしょうか。

さらに、私の周囲には優秀な人間ばかりです。そのほとんどが、良い会社に入り、多くのお金をもらい、愛するパートナーと結ばれ、幸せに暮らしていくでしょう。でも、私にはその資格がありません。そうやって幸福を抱え込んだ人々を、指をくわえて眺めるしかないのです。女々しいとか、ダサいとか、そう思われる方もいるでしょう。でも、たとえば。100人が一つの部屋にいたとして、あなた以外が4億円をもらう中、あなただけが100万円しかもらえなかったら、どう思うでしょうか。少しは怒りとか虚しさとか理不尽とか、そんなマイナスの感情を覚えるのが普通なんじゃないでしょうか。このお金の話はあくまで例えですが、なんともタチの悪いことに、就活はそれが終わった後の人生全てに影響を与えてきます。私は、強い劣等感と惨めさを、事あるごとに感じて生きねばなりません。友人から連絡が来た時。SNSを見た時。自分の給料額を見た時。周囲の人間が結婚していく中、自分はいつまでも一人きりである時。街を歩いている最中、楽しそうにあるく友人連れやカップル、夫婦を見た時。

そんな人生の中で、私はまだ、前を向いて生きていけるでしょうか。何かの希望を持って、生きていけるのでしょうか。楽しさや幸福が手に入らないと分かりきった人生の中に、何か、生きる意味を見つけられるでしょうか。私には、無理だと思います。狂うでしょう。そうして狂ったまま、しかし狂いを発散することもできず、死んだように日々を過ごしていくでしょう。

どうしようもない劣等感と、そこに付随する惨めさ。これが、私が死ななければならない、唯一の理由です。

今日はこれを書いているうちに、少しだけ落ち着いてきました。まだ精神状態は落ち込んだままですが、なんとか、明日の朝を迎えられるかと思います。正直、ここ数週間は毎日、このまま死にたいと思いながら眠りについていますが。眠っている間だけは、全てを忘れられるから。朝なんて、二度と来なければ良いのに。

思うことをありのままに書いたので、脈絡もなければオチもないです。なのでまあ、ここら辺で終わりにしておきたいと思います。そういえば、死にたい日まであと70日くらいになりましたね。それまで耐えられるかどうかも、ちょっとわからないですが。とりあえず、もう少しだけは、生きていけるような気がします。

それではまた。次の記事で。


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