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チベット仏教が取り入れることができない阿含経の教義・四沙門果

このnoteでは、阿含経に記されたブッダに至るまでの霊的進化プロセスについて簡単に説明します。この霊的進化のプロセスを阿含経では四沙門果ししゃもんかと呼んでいます。
そして、これがわかると、この四沙門果ししゃもんかという霊的進化プロセスがチベット仏教にとても都合が悪いことがわかってしまいます。
そういうお話です。

悪因悪業・カルマを断ち切ると、輪廻転生の世界から解脱してブッダという存在になります。これが仏教における修行の最終到達点です。

多くの人は、何かの壁を超えることで、すぐにブッダになるという印象を持っているかもしれません。
しかしながら、人はストレートにブッダになるのではなくて、その中間的な状態として、シュダオン→シダゴン→アナゴンという過程を経て、最後にブッダに到達すると阿含経では説明されています。


四沙門果(ししゃもんか)

1. シュダオン -- きよめられた聖者、古来からの漢訳では「七来」
2. シダゴン -- 高められた聖者、古来からの漢訳では「一来」
3. アナゴン -- 次元を飛躍した聖者、古来からの漢訳では「不還」
4.アルハット -- 次元を超越した聖者、古来からの漢訳では「阿羅漢」で仏陀

普通の人は、六道輪廻の世界に生きていて、輪廻転生を繰り返しています。
仏道修行をすることにより、この六道輪廻の世界から、新しい世界に移行します。この最初の段階が「シュダオン」と呼ばれる段階です。

シュダオン

漢訳では「七来」と翻訳されています。その理由はシュダオンとなって死を迎えると、その後に7回くらいの転生を繰り返すうちに仏陀にいたることができると定義されていることから「七来」とされています。

シダゴン

シュダオンに到達した人が、さらに頑張って修業をするとシダゴンという境界に到達します。
ここまで到達して死を迎えた人は、あと1回、この世に生まれてきて、偉大なる仕事を成し遂げて、その過程において、アナゴンあるいはブッダにまで到達してしまうから「一来」という漢訳になっています。

アナゴン

アナゴンに到達して死を迎えた人は、もう物理的な人間として、この世に生まれ変わってくることはありません。
あとは霊的存在のまま、霊界にてブッダになるとされています。
この世界には、もう帰ってこないので「不還」という漢訳になります。

ブッダ(アラカン)

ブッダという存在は、悪因悪業・カルマを消滅させて、もう二度と物理的な存在として人間に生まれ変わってこない存在です。
その霊力によって人々を救うために、霊的エネルギーを送り込んでくることはあるけれど、もう人間として生まれてくる事はありません。
ですのでブッダの生まれ変わりを自称する人がいたら、その人は偽物であることが確定ですので、そういう人に騙されないようにしてください。

人のオーラが見える霊視能力者さんに向けて

六道輪廻を離れて四沙門果ししゃもんかの世界に入った人はオーラが変わると阿含宗開祖は語っています。
オーラが見える能力者さん向けの見極めポイントです。

ところで、わたくしは、シュダオンが「預流(よる)」とよばれ、「預流(よる)」とは新しく聖者の流れに入った者、という意味であることを知ったものの、どうしてシュダオンになると聖者とよばれるのか、その理由がわからなかった。まあ、そういうものなのだろうくらいに受け取っていたのである。ところが、霊眼を持つようになって、すぐにその理由がわかったのである。
それは、シュダオンの境界に入ると、特殊な霊光(オーラ)が生じるのである。あるいは、その特殊なオーラが生じたから、シュダオンになったということなのであろう。
シュダオンのオーラは、青い、すきとおったきよらかな光のもやである。やや力の弱い感じがするが、一見、きよらかさに打たれる感じがする。わたくしがシュダオンを「きよめられた聖者」とよぶのは、そこからきているのである。

輪廻転生瞑想法3 桐山靖雄 P.129

そういう人を見かけたことがありますか?
今のボクは霊視能力が無いので、残念ながらわかりません。
阿含宗開祖は、シダゴン以上のオーラについても言及されていますが、興味がある方は書籍をお読みください!という宣伝にとどめておきます。

チベット仏教の活仏との矛盾

四沙門果は都合が悪い

さて、この四沙門果を理解すると、これがチベット仏教にとって非常に都合が悪い教義であるということがわかってしまいます。

シュダオンという境界に至ると、多くても生まれ変わってくるのは7回とされています。そして、この四沙門果の世界に入ってしまうと、ブッダになりたくないと思っても自然にブッダに到達してしまうとされています。
繰り返しになりますが、ブッダになると、もう物理的な人間として生まれ変わってくることは無いのです。

では、何度も生まれ変わってくるというチベット仏教の活仏、具体的には現在のダライ・ラマ法皇は何回目でしたっけ?
という疑問が普通に出てきてしまいます。
現在のダライ・ラマ法王は第14世です。

ということは、チベット仏教では輪廻転生から解脱することができないんですね?14世という事は、最大7回生まれ変わるというシュダオンにすら到達していませんね?
となってしまいます。

チベットの人々を救うため、敢えて成仏せずに、何度も生まれ変わってくるという教義なのかもしれません。
しかしながら、四沙門果の世界に入ってしまうと自然とブッダになってしまうので、もう生まれ変わって来なくなるので「敢えて成仏しない」は出来ないのです。

ならば活仏とは何なのか?
という疑問に到達してしまいます。
ボクは、それに対する具体的な考え方を提示できますが、ボクが妄想を述べたところでチベット仏教が変わるわけではありませんから渇愛します。

ダライ・ラマ法王の選択した生き方(ただしボクの勝手な予想)

ダライ・ラマ法王は阿含宗開祖と交流がありましたから、当然、この問題も理解しているはずです。

ダライ・ラマ法皇は、思い切ってチベット仏教、そして世界の仏教の変革を阿含宗開祖とともに成し遂げるチャレンジをしてみよう!という人生の分岐点が何度かあったのではないか?とボクは思うのですが、ダライ・ラマ法皇の選択は現状維持だったようです。

阿含宗公式サイトより 1984年ダライ・ラマ法王との合同護摩法要を日本武道館で行った

本当に、その生き方で良かったのですか?とダライ・ラマ法王に対して、ボクは思う。
そして、阿含宗開祖はダライ・ラマ法王が立ち上がる決意をするのを、ずっと待っていたのではなかろうか?とも思っています。

今の阿含宗はブータン仏教と歩みを進めています

いつの頃からか、阿含宗とダライ・ラマ法皇を中心としたチベット仏教界とは没交渉になってしまいました。
その代わり、色々あって、現在の阿含宗はブータン仏教(チベット仏教のグループに入る)の中枢と非常に密接な関係にあり、ブータン仏教が日本に伝来しているような状態になっています。
霊感があると非常によく分かるのですが、ブータン仏教の仏像や曼荼羅は、とにかく霊気、霊力が強烈です。
チベット仏教に興味がある方へお伝えしたい。
これからはブータン仏教にもご注目ください!

変更履歴

初回版 2022年8月

盛り込みすぎて6000千字を超えてました。
まどろっこしい上に、過激でした。

第2版 2023年10月

いくらかマイルドな文章になるように頑張ったつもりです。
思い切って、大半を削除して、書き換えました。(初回版の文章は、ほとんど残っていないかも・・・)
これからはブータン仏教を!という内容を追加しました。


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