見出し画像

負の感情が生まれたときに思い出したい、「あたりまえの壁」

先日、久しぶりに「採用面接において圧迫される候補者」の気持ちを味わいました。私は、これまでの経験を元に分析して消化したのですが、「これは20代前半の若者にはキツイなぁ...」と実感したので、その消化法や克服法について書いてみようかと思います。


ことの経緯

圧迫される候補者の気持ちを味わったと言っても人材募集に応募したわけではなく、提供しているウェブサービスについての問い合わせのあった企業に、その説明をしに行ったときのこと。

先方7〜8名、こちら1名の狭い会議室の中。いつものように、まず担当者の方に「なぜ問い合わせてきてくれたのか、どこにどんな課題があるのか」をヒアリングしていきました。
すると、開始から3分。一番年長とみられる方が「この話してたら一日終わっちゃうから、さっさとどんなことができるのか説明して」と口を挟みました。

私は一瞬カッとし、瞬時に「この企業はただの情報収集で私を呼んだんだな」「なのに自分たちの情報は一切渡すつもりがないんだな」と理解しました。それなら長居は必要ないので、ご要望通りサービスの説明を一通りし、想像通り特に詳細な質問も出ず、30分弱でミーティング終了。こちらからしたら「搾取された」感だけが残る30分。「移動時間を合わせた2時間を返してくれーーー」と、正直そのときは思いました。

まぁこういった話は、ベンチャー企業やフリーランス界隈では良く聞く話です。
しばらくして、私も数年前はよくあったなぁと懐かしくなって、このモヤモヤと似たの感情は何かと分析してみると、「採用面接において圧迫される候補者」の気持ちに近いな、と思い当たりました。


「想像力の欠如」と「あたりまえの壁」

私がこの30分間で感じていたのは
・自分がただYes/Noの選別をされるだけの存在
・こちらに選択権はなく、なぜか「仕事欲しい」という立場に立たされてる(いや欲しいんですけど...ね...)
・選ばれないということは、相手にとって役立つスキルがない=自分には価値がない
・選ばれることが最上級の承認だと思い込んだ
こと。

文字にするとちゃんちゃらおかしいですね。。
でもこれ、就活でも婚活でも起こりがちじゃないかなと思います。

この感情構造、「想像力の欠如」と「あたりまえの違い」に起因しているものなんだと思います。
前述の企業の方々はまったく悪気がなくそういう態度を取ったわけで、私がそんな風に感じているだろう可能性すら思い至らないでしょう。基本的には皆良い人で、自分の職務にまっとうに生きているだけなんだと思います。(でもこういう企業とはお仕事しません。悪気がないから良いわけではない。きっぱり)

ただ、「あたりまえ」が違うんです。

1000名以上の社員がいて、新卒から10年以上働き続ける人もたくさんいて、あまり社外の人と接しないような部署で成果を出して部長まで上り詰めた人と、30代で起業して、それまでも何社も転職していて、フリーランスとしてやってきた後にろくに知識もないのにウェブサービスを何百万もかけて作っちゃったような人とでは、普段意識していることも、時間への意識具合も、これまでの経験からの常識も、異なって当然。

この「異なって当然」というところまでたどり着けると、怒りの感情はほとんどなくなっていることが多いと思います。
そうすると、「選ばれない=価値がない」という認識が、ほんと変なのー!!!っていうことが理解できてきます。誰にでも選ばれることが良いわけではないと思うから。

ちなみに、怒りのピークは6秒、持続は1~3時間と言われています。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO06712260R30C16A8000000/

さて、ではなぜ「異なって当然」と頭ではわかっているのに、そこまでたどり着くのに時間がかかるのでしょう?
私はそれが「あたりまえの壁」だと思います。


立ちはだかる、あたりまえの壁

何があたりまえで何があたりまえではないか、普段意識することは少ないのではないでしょうか。というか、脳の処理スピードを高めるために、考えなくても動くことができることが「あたりまえ」の一種なので、人間はもともとそういう風に作られてます。

先日バズったTweetで、あたりまえが人によってどう違うのか、端的にあらわれている例がありました。
https://twitter.com/hkKUET20VybKgx8/status/1132361627045515264

リプライ欄まで見てもらうと、候補者の「あたりまえ」と面接官の「あたりまえ」に、かなりの違いがあることが見て取れます。
このTweetにおける
候補者のあたりまえ= こんなに長い間バレエをやってるんだから、プロ目指して当然だし、ここにいるってことは挫折したってこと。挫折は本当につらいものだった。
面接官のあたりまえ=バレエにはまってたんだな、ハマってたけど諦めた理由は何だろう(深刻なものだとは気が付かない)。仕事に対する姿勢がこの経験から垣間見えるかもしれない。

このように、両者の中にはあたりまえの壁があり、両者ともその壁の存在に気が付かず、お互い反射的に感情で対応してしまう...。このような状況になっているのではないでしょうか。そしてこれって日常生活でよくあることだと思います。

誰かがバツイチだということがわかると「その若さで!?何で離婚したの?」と気軽に聞く人を良く見ます。聞く人は「結婚までしたカップルが別れる理由を聞いて自分がそうならないように気をつけたい」くらいに思っているだけなことも多い気がしますが、「前のパートナーがDVで...1週間入院させられたんだよね...」とか「実は宗教的な理由で...」なんて答えが返って来たらどうするんでしょう。聞く側にとって、DVや宗教などの話題は「あたりまえ」の範囲外です。深刻な理由があるかもしれない、という想像が及ばないのです。

さて、あなたの「あたりまえ」は、どういったことがあるでしょう?


あたりまえを越えるには

自分の「あたりまえ」を超えるには、自分の想像力を使うしかしかありません。

「この人がこういったのは別の理由があるかもしれない。」
「この人が伝えたかったのは、これではないのかもしれない。」
「この人がこうしたのは、こういう可能性もある。」

そこまで思いが及べば二重丸。十分です。それが難しければ、「自分の想像に及ばない何かがあるのかもしれない」と一歩謙虚になるだけで、脳みそはその理由を探し始めます。

とくに、自分が負の感情を抱いた時に「こうに違いない!」と決めつけその前提のもとコミュニケーションをするのと、違う前提があるのかもしれないと自分を疑いながらコミュニケーションをするのとでは、世界の見え方が全く変わってくるはずです。

「あたりまえの壁」を越えるために、まず自分を疑ってみましょう。もっと想像してみましょう。

私は炎上と呼ばれる案件の多くが、このことに起因していると思っています。誰かの思い込みで誰かを糾弾したことが話題になる。それをPVを稼げれば良いだけのメディアが取り上げ、さらに伝播する。傷つけられた!と騒いでいる人が実はパワハラの常習犯だったり、この企業はなぜ沈黙を保っているんだ!と言われている会社が実はその社員を守っていたりする、そんな可能性もあるのです。


コミュニケーションを諦めない

弊社の行動指針のひとつに「コミュニケーションを諦めない」という言葉があります。
私はここに書いたように(https://note.mu/naho/n/nc988b479e93a)「情報の発信と流通を良くすることで、人生が良くなる人が増え、その結果世界の幸せの総量を増やすことに貢献したい」という思いで会社を創ったので、そもそも情報を介して繋がることが会社としてのミッションだと思って仕事をしています。

生きていれば嫌なことはあります。発注元と受注先、上司と部下、面接官と候補者といったように、一方的にジャッジされてどちらかが「上」に感じるようなこともあるかもしれません。

でも、私はどんな仕事も、誰かの何かを助けることだと思っているので、初対面の打ち合わせや面接の時間はお互いのメリットを探り合う時間ではなく、お互い何を与えあってどんなものを創っていけるかのブレストの場であって欲しいと思います。(だから前述のような企業さんとはお仕事しません。<--しつこい)

相手が発注元でも上司でも面接官でも、自分がここにいることで相手と一緒に良い何か、良い時間、良い仕事を創って行く。それを念頭に置いて、たとえ傷ついたと思っても、ふてくされて引きこもったり攻撃的になったりしないでコミュニケーションしたいなと、常日頃意識しています。

一緒に創ろう、という思いのある相手からNoと言われたら仕方ない。それは、先方にとって最適な相手が他にいただけです。そして、それは自分にとってもさらに最適な相手が他にいるということです。

コミュニケーションを諦めずに、て、あたりまえの壁を軽々乗り越えていきましょう!

サポートありがとうございます!これからも良い情報を提供できるようがんばります!