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カムアウト

親へのカムアウトは、まだ扶養されている者として避けては通れない道として存在する。早くから治療を進めたい人にとっては尚更。
依然として、我々の目の前に大きな壁としてそびえ立つカムアウト。
『したいけど、拒絶されそうで怖い』
『受け入れてもらえるか心配』
などなど。
どんな理由でカムアウトを避けるのか。
トランスジェンダー(性同一性障害)らしい僕が
持つ、親へのカムアウトに対する気持ちは1つ。
『受け入れてくれるだろうが絶対にしたくない』

自分でも意味が分からなかった。




最近気が付いた、僕のトラウマ(と言ったら大仰すぎるけど)がある。
それは恐らく中学1〜2年くらいの出来事。

僕は信じられないほど他者とのコミュニケーションが苦手だった。なんとかパニクらないで他者と話せるようにはなったけど、あがり症とは今でもお付き合いを続けている。
上手く言葉が回らないのだ。頭の中がぐちゃぐちゃになってしまい、愛想笑いしか出来なくなる。
それを長年の経験で誤魔化しつつ、できるだけ他者との関わりの少なくしてなんとか今まで生きてきた。
それについて、母に打ち明けた。
「私は本当に人と話せない人間なんだよ」、と。
母も昔は人見知りというのは何度か聞いたことはあった。
だけれども、母の人見知り度は会話が終わったあとの脳内反省会すら経験がない程度のものだった。僕は脳内反省会を誰もが少なからず行われるものだと思っていたからまあまあの驚きだった。


後日、母から手紙が手渡された。
このような形で手紙を貰ったのは初めてだったので恐らく僕の話について、いつもの駄べりとは違うということは察していたのだろう。
問題はその内容。
要約すると、『私も昔は人見知りだったよ。でもみんなそんなもんだよ。気にしなくてもいいよ』
というものだった。
その手紙は、1度読まれて直ぐに僕の手によりゴミ箱行きになった。
ただただ、酷く絶望したのを覚えている。


僕は他者に自分の心を分かったようにされるのを嫌うのかもしれない。
今思い返せば、僕が望んでいたのは「なるほど、そうなんだね」と僕の他者との下手な関わり方を認識して許容して欲しかったのかもしれない。別にアドバイスなんていらないし、(本当は違う立場なのに相手を安堵させるための)共感なんてもってのほか。浅はかな知識や全く異なる症状なのに、「あー、わかるよ!」なんて止めてくれ。

簡単にまとめる。
このコミュ障暴露事件で僕が絶望したのは、
①雑に共感されたこと
②それを矮小化されたこと
(治るよ、そんな事ないよ等)
③変に僕の心の中に踏み込まれたこと
→ただ「貴方の人との関わり方はそんな感じなんだね。把握!」という感じでいいのに手紙まで渡されて大仰にされたこと

そんな感じに自己分析をしている。


もし、僕がカムアウトしたらどうなるのか。
「辛かったね。大変だったね。」
そんなことを言いながら涙ながらに抱きしめまでしてくれそうだ。
僕の痛みや辛さは僕だけのものであって、決してあなたのものでは無い。
今までの20年間、それを含めて僕のアイデンティティが形成されてきたのだ。
それを勝手に奪取されたように感じてしまう。

LGBTや性同一性障害の本を読みまくって僕のために勉強されるのも嫌だし、それで得た知識を分かったように振りかざされるのも苦痛。
僕の抱えているセクシャリティや性同一性は僕だけのものであって、他者に勉強されたり理解される謂れはない。
これは僕だけの気持ちであり、抱えている荷物である。だから、勝手に奪わないでくれ。

そしてここに潜むもう一つの理由。
僕がカムアウトすることで、『相手が涙を流し、キラキラした言葉を投げかけて来て、抱きしめられる』というような、一種のオナニー行為が嫌すぎるのだ。
もちろん、自身のオナニーではなく心の底から思っている人間だっていることは分かる。だけれども残念ながら、こう言う人間に対しての僕の感情は、上に書いたように「自分の気持ちを奪取されたように感じる」という気持ちに当てはまってしまうので、どちらにしても私はカムアウトをしないだろう。
なにこの袋小路。
少なくとも僕の親は前者である。そう、オナニー行為をする人間だ。
それはコミュ障暴露事件でも分かるし、実は幼少期の心に残っているもう一つの出来事がある。

それは僕が小学校に入りたての頃。
知っての通り、幼い頃の僕は今よりも断然コミュニケーションが苦手で、小学校入学にあたって新しい環境になることはとてもとても不安であった。そんなとき母が「1日〜2日くらい行きたくなかったら行かなくてもいいよ。お家で一緒に遊んだりしようね」と僕に語りかけてくれた。
その言葉は僕の大きな希望になった。
そして入学から1ヶ月が過ぎたあたり、僕は「今日はどうしても学校に行きたくない」という気持ちになった。だけど大丈夫だ、母は前に素敵な言葉を投げかけてくれたじゃないか。僕は学校に行きたくないと軽く駄々をこねた。すると母は軽くキレたような口調で僕をなんとか学校に行かせようとした(!?)。僕VS母。小学1年生なりたての僕が適うはずがなく、僕は学校に引きずられた。

もう絶対ウソじゃん!!!!
キラキラ言葉に酔ってるだけじゃん!!!!!!

小学1年の記憶で覚えているのは数少ないが、その中のひとつがこれだ。幼いながらに僕の心に結構なインパクトを与えたのだろう。

僕がカムアウトすることで、僕のカムアウトが母のオナニー行為として消費される。
そんなの、考えただけでゾッとする。


多分こんな感情を昔から抱えていたので僕の性質上、僕の中ではカムアウトという行為は最適解ではなさそう。僕以外の人にとっては僕の母はとても良いカムアウト相手なんだろうけど、僕にとってはダメであったみたい。
人間って、人生ってむつかしいね。
カムアウトしないと家族の助け(主に金銭面)は得られないので、ほとんど1人で生きていくことに繋がり人生ハードモードなのが笑えてしまう。


これは、僕が母にカムアウトをせずにどのように理想の性他認を手に入れるのかの奮闘である。
なんか大変そうだし自分の首を自分で締めてない?って思うけどまさにその通りである。

バイト三昧の春休みはもうすぐ終わり。
3年生になるけど、大学が始まったら学生相談にでも行って通称名使用のために動き出す予定。
先日、やっと受け取った診断書でも最後に記録として載せておく。
理想の性他認への素敵なパスポート。
そんな認識。

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ちなみにジェンダークリニックの様子はこれ。

大学を続けるか否かを迷っている今日この頃。
適当に頑張ってみるよ。




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