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時を経てなお #8

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 攻防が始まった。
 互いが一手を繰り出す度に、それ以上の返礼が成された。
 それを受ける度に互いがたたらを踏み、しかし踏み止まって殴り合った。
 もはや観客の嘲る声、蔑む声は皆無となっていた。否。あまりの戦いに、誰一人として声を上げられなかった。

「オオオオオ!」

 ガノンが蛮声を上げ、少女を手酷く殴り付ける。少女の身体はわずかに浮き、地面へと打ち付けられた。

「ハァッ!」

 少女が変わらぬ清冽さを帯びた声を上げ、ガノンに掌を叩き込む。ガノンは数歩ほど吹き飛び、そして倒れた。
 しかし、互いは笑っていた。立ち上がり、また殴り合った。倒れてもなお、互いを傷付けあった。

 後世の史家は、この戦いを以下のように記している。

【後にも先にも、いと残酷なる観客どもを静謐に陥れしは、この戦のみ。奇矯極まりなく、それでいて最も凄絶なる戦なり】

 ともかく、殴り合いは永遠を思わせるかの如く続いた。誰一人としてその数を数える者はなく、それでいて誰一人として目を離せなかった。
 だが、物事には終焉というものがある。永遠にも似た、という表現があるが、真の永遠というものは存在しない。すべてのものには始まりがあり、終わりがある。故に。

『良かろう。腕一つで抗うにはそろそろ疲れた。踏み越えるが良い』
『……っ』
『なに、この身体はきちんと治してから返す。そういう術も心得ておる。行くが良い、【大傭兵】どの』
『……わかった』

 濃密な殴り合いの隙を縫って。ガノンの拳が、少女の頬を手加減なく撃ち抜いた。少女の歯が数本吹き飛び、闘技場の地面へと落ちていく。二歩、三歩とたたらを踏んだその身体はとうとう崩れ落ち、立ち上がることは叶わなかった。その姿を確認したガノンは少女に背を向け、声もなく西門に向かって歩み出した。
 勝者も、敗者も。そして観客も。誰一人として声を上げぬ決着だった。

***

「勝った、かい」
「勝負には、だ」

 デルフィンとガノンが、門の彼方で短く言葉を交わす。

「おみそれしました」
「いや。こちらも冷や汗しか流れませんでした。素晴らしい戦士を、見出されたようで」

 貴賓席で、グシュ公爵とローレンが互いを讃え合う。

「どうすんだ、蛮人が最後まで残っちまったぞ」
「次で勝った方を応援する。それしかねえだろ」
「さすがに、パリスデルザ様ならやってくれるだろうよ」
「そうだそうだ」

 観客どもはざわめき、偉大なる王家、その武術指南役筆頭へと思いを馳せる。思いを委ねる。だが。

「それじゃあ、行くかい」
「勝つつもりか」
「そうさなあ。貴君と戦えるのなら、諸々を突っぱねる価値はありそうだ」
「なるほどな」

 その前に立ちはだかるは、髭面の謎めいた剣士。前戦において、敵を寄せ付けずに打ち勝った者。そのいきさつは謎なれど、侮り難しとガノンは思う。

「行って参るよ」

 男が、飄々と戦場へ歩み出す。ガノンは声なくそれを見送る。だが少なくとも、両雄は決戦の刻を想っていた。それが両者の絆であった。されど。ああ、されど。

「参ったなあ。ああ、参ったよ」
「……良いだろう」

 半刻後。示されたものはあまりにも率直な決着だった。剣を打ち落とされたデルフィンが両手を上げ、調子を崩さぬままに降参を口にしたのだ。それはほとんどの者にとって、まったく予想通りの決着だった。
 しかしそこに至る過程は、まったくもって想定とは違った。むしろ最初は、デルフィンがパリスデルザを圧倒してさえもいた。早さで上回り、手数で押し、鋭さでも優位に立っていた。だが見る者――すなわちガノンを含む強者たち――が見れば、気付いたことだろう。パリスデルザは。

「最後の一手を、決して食わせなかった。押されているにもかかわらず、冷たさを保っていた。……デルフィンは」

 そう。押されながらもとどめを刺させないパリスデルザのさばきに、デルフィンは徐々に心を乱してしまった。心の乱れは、剣の乱れに繋がるとも言われている。彼の剣は少しずつ大振りになり、一撃でもって仕留めんと試みるようになり、やがて隙が生まれた。強者同士の戦いにおいては、わずかな隙一つが致命的なものになる。そこを突かれたデルフィンは、あっという間に守勢に回り。

「あえなく降参となった」

 西門の向こうで見届けたガノンは、小さく呟いた。デルフィンが底を見せたかという疑問があるにはあるが、そこには敢えて触れないことにした。己も底を隠していた人間である。他人のそれを、つつくことはためらわれた。

「負けたか」
「ああ、負けたよ。縁あらば、また会おう」

 デルフィンは変わらず飄々と、しかしどこか足早にガノンの前から去っていく。そこから読み取れるものは少なく、ガノンは慮ることしかできない。ともあれ時は戻らず、また決着を覆すこともできない。ならば、進む他――

「従来であれば一刻後に最終戦を行うしきたりなれど! 公平を期すための闘技場修復が適わぬとのお沙汰が下った! よって、最終戦は明日、朝の十刻より執り行うものとする! 両家お眼鏡の戦士よ。観客たる民草よ。今宵は戻り、休むが良い!」

 ガノンの思考を打ち切ったのは、仕切りの者からの拡声器を使った大音声だった。

***

 そうして、本来ならばあり得なかった夜が訪れた。そしてこの世には『蝶が西で小さく羽ばたいたらば、それはやがて東に大風を生む』という言葉がある。この言葉自体は実際には起こり得ぬことであるが、小さな動きが大きな事象をもたらすことは、往々にしてあるものだった。

「……」

 夜も更けた頃、ガノンは星々の下に身を晒していた。従来であればローレンの用意した部屋に籠もり、他公爵家による策謀――彼らが権謀術策の中で生きる以上、有り得なくはないものだ――をやり過ごすのが定石である。だが彼は、その部屋では眠ることができなかった。敗戦の将であり、友を故郷に送る旅の最中である彼にとって、豪奢な部屋はあまりにもの重圧だった。彼は星々の下で眠ることを望み、ローレンは天幕と守護の兵士をもってそれを許諾した。それゆえガノンは今宵天幕を出、隙だらけの肉体を夜風に晒していたのだ。無論、警護の兵士は気を張っている。張ってはいるが、その気配を微塵たりとも見せてはいない。さすがは、パクスター家の用意した最精鋭の兵士たちだった。
 しかし今宵ばかりは、その戦士たちに動揺があった。天幕の外周、一面の草原で騒ぎが起きていた。ガノンの耳にも、その声が入ってくる。彼は気の赴くままに、その方角へと向かった。

「どうした」
「ガナンどの、お下がりを!」

 出て来たガノンに、兵士の一人が告げる。その向こうには、一人の男が立っていた。いと涼やかな剣士。金髪を夜風に靡かせた、いと壮麗なる鎧に身を包んだ戦士である。その姿には、かすかほどの陰りもない。ガノンは直感した。この男こそが、パリスデルザだ。しかし、だからこそ違和感が惹起する。一目見ただけでこれほどの輝きをうかがわせる男が。あからさまな敵地に、たった一人で乗り込んでくるような男が。何故に王家簒奪の謀に加担しているのか。

「おお、ガナンどの。この兵たちをどけてはくれぬか。貴君と一献、酌み交わしたいだけなのだ」

 涼やかな男が、こともなげに言う。その右手には、かめが掲げられていた。葡萄酒か。あるいは果実酒か。それとも。とにもかくにも、嘘はないように見える。ならば。

「退いてやれ」
「ですが。……承知しました。」

 ガノンは告げる。兵が不満げに言葉を返すが、ガノンは無言の圧を掛け、反論を封じた。目の前に立つ男と、言葉を交わしたい。己がそう決した以上、この兵たちは邪魔者にしか過ぎなかった。渋々ながらも兵士たちが脇に退き、ガノンはパリスデルザとの正対を果たした。

「お初にお目にかかる。ログダン王家・武術指南役筆頭。パリスデルザだ」
「……ガナンだ」

 威風堂々にして眉目秀麗。ガノンは、言葉を交わしただけで気付きを得る。目の前に立つ男は、強く、輝かしい。しかし、その根幹は見えぬ。強さか。地位か。あるいは武芸の極みか。彼の行く先のみが、ガノンには見えなかった。

「……我、己が欲望のために王家参入を志す者。引いて、くれぬか」
「……断る。仕組み勝負を望むのであれば、なおさらだ」

 パリスデルザの第一声を、ガノンは取り付く島もなく退けた。なんのことはない。最初から決まっていた話である。ガノンもまた、己の欲望――通行証の獲得――のために、この武闘会に参加している。引けぬのは、道理であった。

「我は常に高みを目指す。すでに武芸は位を極めた。なれば」
「王位を望むのみ、か」

 パリスデルザが、流れるように草原に座り込んだ。敷物などなし。ただただ当たり前の如く男はそうした。ガノンはその姿を一瞥した後、兵士に告げた。

「器を二つ。その後、この場より去れ。パクスター公にはなにも告げるな」
「……。ははっ」

 兵は再び、抗弁の声を上げようとする。だがガノンの顔を見て取りやめた。先刻以上の圧力が、ガノンの顔に備わっていたからだ。それは殺意にも近い圧力。『告げたら殺す』。そういった重圧が、兵士たちへと降り注いだのだ。
 やがて、草の擦れる音が辺り一面に響く。五十は下らぬ兵どもが、一斉に去っていく足音だった。それでも密偵の類はいるやも知れぬ。されどそれらは、ガノンの預かり知らぬことであった。

「……どうぞ」

 ややあって、一人の兵士が器を持ち来たった。瓶の中身を注ぐに相応しい、白塗りの椀。二つ。見る限りでは、対となる一品物である。そこから、見て取れるのは。

「おまえは」
「御身大事なれば。主も、承知されております」

 ガノンの圧にも、兵は引かない。そしてガノンとしては不本意ながらも、ローレンの承認は得られている。なれば、もはやこの会合を妨げるものはない。ガノンはうなずき、器を手に取り、兵を引かせた。言い争う道理など、もはやどこにもなかった。

「飲もうか、パリスデルザどの」
「そうしてくだされ」

 ガノンが椀を手に取ると、パリスデルザが瓶をガノンへと差し向けた。これは異なことである。起きてはならぬことである。常ならば、下位――無位にして蛮人であるガノンから酒を注ぐのが礼法であった。まったくもって、礼儀が異なる。余人に見られたならば、たちまちに批難を浴びる行動であった。

「手酌で構わん」

 さしものガノンも、これには異を唱える。しかしパリスデルザは動じない。

「いえ。対等に戦う、戦の相手ならばこそ」
「ならば、おれからやる」
「否」

 パリスデルザの目が細くなる。秀麗さの中に、険が生まれた。

「このような面倒を持ち込みしは我。不躾なる願いに、応じてくださればこそ」
「……わかった」

 ガノンにしては珍しいことではあるが、この時、彼はいともあっさりと意志を曲げた。無論、ただ曲げたのではない。目の前に座る男――パリスデルザの、パリスデルザなりの意志を汲み取ったのだ。
 ともあれ、二人は互いに酒を注ぎ合った。両者ともに椀になみなみと酒を注ぎ、目の前へと掲げた。一瞬、互いの視線が交錯し直後、パリスデルザが口を開いた。

「二人の出会いに、祝杯を」
「む」

 掲げた椀を、わずかに動かす。なみなみと注がれていたゆえに、打ち合わせるまでには至らなかった。しかし二人は口角を上げ、競うように椀の中身を飲み干した。そして、ガノンが口を開いた。

「クガナチの葡萄酒か」
「ご明察」

 パリスデルザがニコリと笑う。その姿に、蛮人への嘲笑、蔑みの気配は微塵たりとも読み取れなかった。二人は再び、酒を注ぎ合う。ややあって、パリスデルザが口を開いた。それは、驚くべき提案であった。

「ダガンタ帝国の大侵攻に貢献せし【大傭兵】、ラーカンツのガノンどのに申し上げる。貴君がここで引いてくださるのであれば、我が国は貴君への手配には加担せぬと約定しよう」

#9へ続く

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