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時を経てなお #4

<#1> <#2> <#3>

 時は再び、大武闘会へと戻る。戦を終えたガナン――否、ガノンは、再び西門をくぐり、他者と距離を取った位置へと腰を据えていた。他の戦士や、次なる戦――二戦目において、己の相手となり得る者どもの戦い――に、一切の興味はない。ただただ使命を果たすため、ローレンの願いを果たすためだけに、彼は在るからだ。しかし――

「また乱心か!」
「大武闘会への侮辱を許すな!」
「グシュ公爵家に誅伐を!」

 再びの罵声が門を越えて響き渡り、ガノンは閉じていた目を開いた。蛮人である己の他にも、この戦場を愚弄する存在がいるのか。彼の裡ににわかに、闘技場への興味が首をもたげた。のそりと腰を上げ、西門近くに陣取る。他の闘士がなにやら喋っているが、彼には聞こえていなかった。己と同じ存在にしか、目が行ってなかった。だが。

「なっ……」

 流石のガノンであっても、此度ばかりは驚愕した。口が大きく開き、こめかみから汗を一筋垂らしてしまった。さもありなん。大武闘会を愚弄する存在の正体は――

 ひっつめ髪のそばかす顔。
 庶民丸出しの白布の服。
 胸部には膨らみ、わずかに腰にはくびれ。
 手には武器もなにもない。

 つまるところ、『素人の女子おなご』だった。

「どういうことだ……」

 ガノンは思わず、言葉を漏らした。同じ乱心にしても程度が違うと、彼にもわかった。ローレンのそれは忠心と意地からであるが、グシュ公爵家とやらのそれは、明らかに異なる。このままでは――

「死ぬぞ」

 ガノンの口から、再び言葉が漏れる。しかし彼は動けぬ。正しく呼び出された時以外に、西門から闘技場に躍り出る。さすればその瞬間、『ガナン』は失格となる。そうなれば、すべてが水の泡だ。故に、門前、境界の前に立ち尽くす他無い。だが、その時。

『蛮族のお方よ、案ずるな』
「――!?」

 ガノンの脳に、響くものがあった。それは明瞭な『声』。世の人間の中には、話すことなく意志を伝える能力を持つ者がいるとは、彼も耳にしたことがあった。しかし、この『声』は。彼は、遠くに立つ女に目を合わせる。その瞳には、密かながらに力があった。戦神に愛されし己でなくば、見抜けなかったか。そう感じさせるほどに、かすかなものだった。

『見てなされ』

 またも『声』。罵声が足音へと変わり響き渡る中、再び開戦のドラが鳴る。ガノンは訝しみながら、戦場を見る。中央に立つ、無手の娘。その風体に似合わぬ、『声』の正体。果たして。

「キエアアアッ!!!」

 先手を取ったのは、娘の敵手の方だった。全身を鎧で覆い、頭と顔さえも防御の下に隠したいかつい戦士。背負っていた鉄塊じみた剣を、いとも軽々と振り上げる。あまりにも、あまりにもいかにもな重戦士だ。剣を振るう雄叫びたるや、覆面と反響して獣の如くである。そんな猛威が、図体と比して余りある速度で娘を襲う。紋様の効力かはわからねど、あまりにも早い。末は木っ端微塵か。あるいは剣の錆か。観客どもはそれさえも望み、声を上げる。娘を想う者は、ガノンばかりか。しかし!

「ハイイイッ!」

 娘の風体からは想像もつかぬ、清冽な声が会場を射抜いた。直後。誰もが思いもよらぬ光景が、闘技場に生まれる。武器装具に身を包んだ重戦士の男が。娘へと迫っていたはずの重防御の戦士が。逆方向へと、操リ傀儡の如くに吹き飛んだのだ! 必然、闘技場には轟音が響く。地面に衝突した重戦士が、大きな陥没跡クレーターを生み出す。もっとも。生み出した当人ですら、なにが起きたかを理解できていなかった。

「……」

 観客が息を呑み、常軌を逸した光景を噛み砕いていく。攻め掛かっていたはずの重戦士が首を左右に振り、自身に起きた出来事を飲み込んでいく。だが最後の最後、その光景を生み出した人間という一点でのみ。この場の常人どもは誰一人、今起きたことを受け入れられなかった。

「仕組み勝負だ」

 受け入れられぬ。そんな思いの吐露が、客席のいずこかから響いた。そしてその吐露は、闘技場に見える光景を解釈するに容易だった。あまりにも安直でありながら、常人がすがるにはあまりにも正論に近いものだった。

「グシュ公爵家! 愚弄に飽き足らず、たばかりごとか!」
「八大公爵家の恥! ログダンの恥!」
「今すぐ家を畳んでこの国を去れ!」

 故に、闘技場を再び罵声が満たす。聞くに耐えぬもの、言葉にするのも恐ろしいほどの罵詈雑言が闘技場に轟いていく。そんな中で、再び重戦士が雄叫びを上げた。

「ガアアアッッッ!」

 己が心を奮い立たせるような咆哮とともに、再び鉄塊じみた剣を振り上げ、突進していく重戦士。その鎧は、にわかに輝きを放っていた。今度ばかりは、ガノンでなくともはっきりわかる。重戦士は、紋様の力を解き放っている。先刻の突進よりも、遥かに速い。地響き蹴立てて、突き進んでいく。すわ、今度こそ乙女は、剣の錆へと変わるのか? 否!

「ハイヤーッッッ!!!」

 重戦士を煽るが如き歓声をつんざくように、再び清冽な声が会場を打った。そして今度は、身体の動きだけで重戦士を転がし、地面へと打ち倒したのである! またも操り傀儡の如くに、軽々とだ!

「……」
「…………」

 再び闘技場は、水を打ったかのように静まり返った。一度ならず、二度までも重戦士の進撃が容易くいなされる。一度ならば、仕組み勝負の台本とも受け取れたであろう。しかし二度、しかも重戦士は紋様の力までも放出していた。なれば。

「ま、まいった」

 天を仰ぎ見たままの重戦士が、力なくくぐもった声を上げる。彼もまた、八大公爵家の眼鏡に適うほどの武人である。これ以上の恥は、晒せぬということであろうか。静けさに満ちた闘技場に、その声はしかと響いた。そして。

「……」

 娘は一礼だけして東門へと去って行く。そこには勝者の奢りも、敗者への憐憫もない。ただただ庶民の風体に似合わぬ、奇妙な清冽さだけが残されていた。

***

「……」

 娘が去ってからもガノンは、闘技場を見つめていた。あの場でなにが起こったか。戦神の使徒である彼には、すべてが見えていた。一撃目はてのひら一つと足の踏み込みだけで重戦士を吹き飛ばし、二撃目は――

「戦士の突進力に合わせて、理合をもって見事にさばいた。恐ろしいものよ」
「む」

 ガノンの思考を知ってか知らずか。横合いから一人の男が割って入った。髪はボサボサ。鼻から下を無精髭で覆い、どことなく、すべてを諦め切ったような空気を纏っている。奇妙だ、とガノンは思った。風体に、纏う空気が噛み合っていない。この闘技場に満ち満ちる野心が、男からは感じ取れなかった。

「ガナン……どのでしたな」
「そうだ」

 ガノンの疑念をよそに、男は口を開いた。

「私はな、デルフィンという。貴君、強いな」
「……」

 デルフィンと名乗った男の賞賛にも、ガノンは口を開かなかった。蛮人と呼ばないまでは評価できたが、それ以上に疑わしさが勝っていた。

「まあいい。つれなくされるのも慣れている。だが貴君、次の相手は『アレ』になるぞ? 策はあるのかい?」

 しかしデルフィンは動じず、次なる問いをぶつけてきた。そして、ガノンに現実を提示する。そう。次はガノンが、あの娘と対峙するのだ。

「……これから考える」

 ガノンは短く、男に告げた。それ以上でも、それ以下でもない。ただ、今ある状況だけをデルフィンに伝えた。すると、髭面の男は笑みを漏らした。

「ククッ」
「なにがおかしい」
「いや。これはそそくさと負けていられなくなったな、と」

 髭面に似合わぬ乾いた笑いを、デルフィンは浮かべる。ガノンは、それだけで彼の意図を理解した。同時に野心のなさも、この闘技場における、三人目の異端であることも。すべてが手に取るように、わかってしまった。

「おまえは、負けるつもりだったのか」
「下手に出世しても、いろいろとつまらぬのでな。どうしてもと頼まれてお眼鏡になったが、早々に帰るつもりであった」

 髭面は、カラカラと笑う。つられてガノンも、表情を歪めた。歪めてしまった。微笑もうなどとは、『あの日』以来思ったこともなかったというのに。

「面白い男だ」
「私にしてみれば、貴君のほうが面白い」
「そうか」

 デルフィンの答えに、ガノンは憮然とした。この男の物言いには、一切の邪気がない。思ったことを、サラリと言ってのける。風貌からは不似合いな、一切を諦め切ったような境地。その思いが、彼をそうさせるのだろうか。少なからぬ興味が、ガノンの中で首をもたげた。

「さてさて。そろそろ私の出番ですな。貴君に、武神の加護やあらんことを」
「それはこちらが言うべきことだろう」
「違いない」

 カラカラと笑いながら、髭面の軽装備が戦地へと向かう。武具に一切の特徴はなく、ただただその空気と言動のみが。彼がこの場における異端であることを示していた。

「……見届けるか」

 ガノンが視線を、闘技場へと戻す。その先では戦が始まろうとしていた。そこに狼藉者への制裁を求める狂気はなく、ただ武技と死闘のみを求める声が満ち満ちていた。

#5へ続く

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