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時を経てなお #1

 強大なるガノン。南方蛮人の生まれでありながら戦神せんじんの寵愛を受け、戦士として、指揮官として、そして王として名を馳せた男。
 彼の築いた王国はほぼ一代のみの国でありながら壮健を誇り、黒河から白江に至るまでのあらゆる民を尽く、その威光によってひれ伏させた。
 しかしながら彼の道は、決して平坦なものではなかった。幾多の挫折、敗北。出会いと別れ。そういったものが、彼の人生を彩り、更なる魅力を与えている。
 これは【赤髪の牙犬】、【大傭兵】と呼ばれていたガノンが、一敗地に塗れた頃の物語である。

***

 ログダン王国大武闘会――おおよそ四年に一度開かれる、腕利きの猛者たちが集う、大いなる華舞台。首都たる王都の中央部に建つ、煉瓦造り壮健なる円形武闘場コロッセオにて、国内有力者――八大公爵家の推薦を受けた、八人の戦士が勝ち抜き戦にて覇を競うのだ。
 無論、ただただ覇を競うだけではない。国王や軍部の目に適えば推挙――立身出世の足掛かりだ――も得られる。それどころか、歴代覇者の中には稀なる武勇を称えて姫を与えられ、王族となった者さえもいる。おおよそ大陸各国を見てみても、ここまでの栄誉が与えられる国はそう多くはない。男女の区別なく軍属を許し、武闘派国家でありながら攻めよりも防御を重視する、ログダンならではの仕組みであった。

「それでは、一の戦を始める。東門! ニザキア公爵家お眼鏡、セヌキス! 出ませい!」
「おおうっ!」

 歓声が闘技場に満ちる中、ドラの音とともに一人の闘士が東方の門より躍り出る。流麗なる長髪を持った戦士は長剣を縦横に振り、己の腕前を披露した。必然観客は湧き上がり、足を踏み鳴らす。戦場いくさばの空気は、最高潮と化していた。
 だがそれも、次なるドラが打ち鳴らされるとピタリと静まる。そう。この場は闘技場。戦いとは、二人の闘士がいてこそ成り立つもの。今一人の入場を、客は待ち構えているのだ。

「西門! パクスター公爵家お眼鏡、ガナン! 出ませい!」
「……」

 しかしながら、出て来たる男に観客が沸き立つことはなかった。ガナンと呼ばれた男は無言のまま、技を誇ることもなく中央へと歩み出たのだ。雑に括られた火噴き山を思わせる赤の長髪。良く焼かれた容貌魁偉にして半裸の肉体。そして黄金色にけぶる大きな瞳。そう。ガナンはどこからどう見ても、南方蛮人の特徴を備えていたのだ。

「蛮族だ」
「蛮人を我が国の衛士にしようなぞ、パクスターのお家は狂ったか」
「蛮族、倒されるべし!」

 観客席のそこかしこから、蛮族を罵る声が響く。やがてそれはガナンへの絶大なる憎悪の声へと変わる。そして。

「殺せー!」
「死ね、蛮族!」
「パクスター家に誅伐を! 我らが王国に栄えあれ!」

 おお、なんたること。礼法が重んじられるはずの円形武闘場に、聞くにも耐えぬ罵声が轟く。しかしながら、その中心に立つガナンなる蛮族に動揺の色はない。背に括っていた手頃な剣を手に、敵なる男と睨み合うのみ。そして。

「ローレンどの。なにを思って蛮人を推したかは存じませぬが、仮に弱者ともなればお家にも傷が付きまするぞ」
「存じております」

 パクスター公爵家女当主、ローレン・パクスターも、貴賓席にてニザキア公による嫌味混じりの言葉を受け流していた。その顔に、一切の陰りや揺らぎはない。栗色の髪をまとめ上げ、絢爛たる装いに身を包みながら、ざわめく周囲を尻目に闘技場を睨んでいる。かつて王女の近衛部隊の戦士長として鍛え上げたその報国の心根は、八大公爵家の一角となった今も揺らいではいない。一体全体、いかなる理由をもって蛮人を推したのか。それを語るには、今暫くの時が必要となる。

「……まあ、良いとしましょう。貴君の暴挙のおかげで、我が推薦闘士の株が大いに上がっておりますからな。かくなる上は、盛大に葬り去って華を添えましょうぞ」

 厭味ったらしくローレンをねめ回すニザキア公。しかし彼の言葉を証明するかのように、闘技場はガナンへの怨嗟で満ち満ちていた。裏。すなわち非公式、不正に行われている勝敗賭博は、セヌキスへの賭けのみが殺到して不成立に終わった。会場すべての空気が、ローレンとガナンを敵視している。しかし公爵も蛮人も、その程度の罵声で揺らぐほどの覚悟ではなかった。

「くくく。背を向けるのなら、今の内だ」

 おお、戦場では長髪の闘士が蛮人を見上げて嘲る。会場の空気を味方に付けた男子は、今や居丈高そのものといった姿勢だ。だが蛮人闘士は意に介さない。瞳にどこか空虚を浮かべ、表情を変えぬままに長髪の男を見下ろしていた。

「背を向ける意味がない。戦神の教えにもとるし、なにより、おれにはやらねばならぬことがある」
「やらねばならぬことがあるなら、なおのこと命を拾った方が良いだろうよ」
「それはそれとして、約定があるのだ」

 虚無をたたえた蛮人は、セヌキスの言葉さえもはねつける。今や客席の空気は高鳴り、皆が足を踏み鳴らしている。これを無視して開戦のドラを長引かせれば、思わぬ方向に飛び火しかねない状況だ。

「始めいっっっ!!!」

 だがドラを鳴らす者もまた、歴戦である。打ち鳴らされる足音を読み、適切なる機会で打ち鳴らす術を心得ていた。空気を引き裂く重い音が、足踏みを歓声へと切り替えていく。そしてまた、聞くに耐えない罵声も蘇った。

「ハッ!」

 先手を打ったのは長剣の男セヌキス。流麗な髪を風に流しつつ、横薙ぎの剣でガナンへと襲い掛かる。しかしガナンは、表情を崩すこと無く後ろへと退いた。そして次の瞬間には、手頃な剣を上段へと振りかざし――

 ガイイインッッッ!!!

 長剣めがけて、凄まじい膂力で振り下ろした。すると、なんたることであろうか。仕込み紋様も刻まれていたはずの長剣が、見るも無惨、真っ二つに叩き折られたのである。その衝撃たるや、いかばかりか。だが蛮人に揺らぎはない。彼は平然と剣を戻すと、そのままセヌキスの喉元へ切っ先を突き付けた。

「背を向けるなら、今の内だぞ」
「……参った!」

 切っ先を突き付けられたセヌキスが諸手を上げ、敗北の宣言を万座に響かせる。必然ながら、観客席には絶大なる動揺が訪れた。

「一体何が起こった!?」
「たった一攻防で!?」
「あんな手頃な剣で、業物を叩き折れるのか?」
「さては仕組み勝負か!」

 多種多様な声が各所より上がり、やがてそれはガナンとセヌキス、両者への侮蔑の声へと変わっていった。セヌキスは顔を伏せて早々に立ち去り、ガナンは平然としたまま勝ち名乗りを受けていた。

「な……な……」

 無論この戦が仕組み勝負――両公爵家で台本を組んだもの――ではないことは、ニザキア公の引きつった顔が証明していた。自身の推した闘士の無様ぶりに声を荒げるどころではない。あまりの惨敗に、彼の足は打ち震えていた。

「ニザキア公のお眼鏡、アレはダメだな」
「どうやら見目麗しきに、心を掴まれたご様子ですな」
「お眼鏡が曇ると、ああなるのですなあ」
「その一方で……」

 一方ローレンは、一切の表情を見せずに座り続けていた。ガナンが勝つのもさも当然と言わんばかりであった。醜態を晒すニザキア公に、追い討ちの言葉をかけるような真似もしない。まさしく、勝者のあるべき態度だった。

「蛮人を連れて来るとは何事かとは思いましたが、蓋を開ければ堂々たる戦ぶり」
「流石は武門の一族と言うべきか」
「しかしながら」
「次なる戦で、真価を問うべきかと」

 貴族たちの声が、ローレンの耳にも響く。しかしながら、彼女の表情には曇りというものが一切ない。なぜなら、彼女は誠の心をもって、この戦に蛮人を推したからだ。無論そこには、いくつかの理由が存在した。

#2へ続く

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