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時を経てなお #2

<#1>

 時は幾日か前に遡る。蛮人ガナン――否、一時は【大傭兵】とも呼ばれていた男、ラーカンツのガノンは、不機嫌を露わにしていた。とある成し遂げなければならぬ旅路のさなか、己が行き倒れたのは一生の不覚である。しかしあらましさえも明かされず、どこの、誰の持ち物かさえもわからぬ邸宅へと運ばれていたことには非常な不快を感じていた。

「も、もうすぐ主人が参りますので」
「わかっている」

 その不快の気配を、モロに味わっているのだろう。使用人の一人が、震えた声で頭を下げた。いかなガノンとて、不快さのあまりに力を振るうほどの蛮勇はない。しかも、今の彼はとある国家による賞金首でもある。妙な行動を示せば調べ上げられ、その国家へと送られてしまう恐れさえあった。そうなれば旅路は不首尾となり、首をもって詫びなければならぬ。己が手で討ち果たした戦友とも。その最期の願いを果たすためにも、不用意な行動は慎まなければならなかった。

「……身ぐるみもそのままとは驚いたぞ」
「主人の指示でございます」

 ガノンは己の手首を見ながら、感慨深げに呟いた。彼の手首には腕輪があり、そこには銀色の識別票ドッグタグが取り付けられている。これをある場所へと持ち来たることが、彼の旅路、その目的だった。そして今や、ガノンはそれ以外の生きる目的を持ってはいなかった。
 さもありなん。暫し前、彼は戦友、右腕、そして手勢。そのすべてを失ってしまったのだから。かつての如き漂泊の身に戻っただけではあるが、喪失の感情、後悔の想い、兵卒どもの怨嗟の声が、今なおガノンを苛んでいた。それらが彼に虚無をもたらし、生にませていた。目的がなければ、彼は己で己を弑していたことだろう。

「主人が参りました」

 部屋に入って来たもう一人の使用人が、嫋やかな仕草で頭を下げる。彼女にはおおよそ、ガノンに心乱される気配というものがなかった。故にガノンは水――無論、腹を下さぬ水は貴重品である――を一口飲み、立ち上がって姿勢を正した。

「遅くなりまして申し訳ない。わたくしが……」

 使用人に続けて、主人が入って来る。女にしては大柄の、武人然とした人物だった。今は平時故に貴族の装いに身を包んでいるが、甲冑などに身を固めてもそれなりの働きを示しそうな体格をしている。否。ガノンは、その面影に覚えがあった。そう。轡を並べ、共に闇の導師を討ち果たした女。

「……おまえは。まさか、かつての文明人」
「ローレン・パクスター。この屋敷の主人です。パクスター公爵家、当主を務めております」

 名を思い出し切れぬガノンに向けて、女主人が名乗り、頭を下げる。そして顔を上げた時、まさに両者が驚きの顔を見せた。

「……まさか。まさか本当に汝と出会えるとは。敗北と漂流の噂を聞き、手配を重ね、網を巡らせていたとはいえ……。これは、運命神の……」
「思し召し……とでも言いたげだが、おれは先を急ぎたい。用向きはなんだ。なぜおれを囲おうとしている」

 しかし両者の態度は、まさに対照的だった。奇跡めいた再会を喜ばんとするローレンに対し、ガノンは空虚を黄金色の瞳にたたえたまま、冷たく先を促さんとする。その態度に、ローレンは慌てて我に返った。

「これは失敬。当然ながら、私は目的をもって貴君をこの屋敷へと連れて来た次第。しかし……」

 口調を正し、配下――使用人に目配せをする。人払いの合図だ。ついで、部屋に仕込まれた紋様が光を発した。風神加護を応用した、『盗み聞き』防止のためのものであろうか。

「……おれは、まだなにも承諾していないぞ」
「存じております。ですが事は秘中の秘。こうしておかねば、いつどこで漏れることか」
「……お前たちでいう、蛮人とされる男に物を頼むのだ。余程、ということだな」

 こくり。ローレンは小さくうなずいた。そして流れるように、ガノンの向かいの席に腰掛ける。それを待ってから、ガノンも腰掛け直した。少しの沈黙の後、ローレンは決意の顔を見せて口を開いた。

「……ログダン王国大武闘会を、ご存知か」
「文明人が武器持ちて、戦の真似事に興じる祭りだな。名前だけは聞いたことがある」
「汝に再会できた奇縁に免じて願いたい。汝に、この大武闘会へと出場してもらいたいのだ」
「……なんだと」

 ローレンが机に深々と頭を下げ、ガノンは息を飲んだ。先程戦の真似事と嘲った、その大武闘会に出場せよなどとのたまうのだ。真実のっぴきならぬ事情があるのだろうということは、彼でなくとも、一端の者であれば勘付くことができる。だが。しかし。

「理由と、報酬による」
「報酬はともかく、理由を聞けば後には引けなくなります」
「では報酬を言え。おれは今や漂泊の武人。昔と同じ、ただのガノンだ。事に乗るには、報酬が要る」

 ガノンはあくまで情では動かない。ましてや今は、そのような些事よりも優先すべきことがあった。戦友ともの、末期の願いを果たすこと。今のガノンは、そのためのみにこそ生きているのだ。他はおしなべて、不要事である。

「……汝は、大陸西部某国より賞金を懸けられていると噂に聞いた」
「不覚ではあるが、その通りだ」
「やはり……。ならば話は早い。この私が身命を賭して、近辺数ヶ国の通行証を手に入れる。そして汝に渡す」
「なっ……!?」

 流石のガノンも、この報酬には驚きを隠せなかった。通行証はヴァレチモア大陸を行く者にとって命と水の次に貴重とまで言われる必需品。街道を大手を振って歩くには欠かせぬ物だった。

「……おれを、囲い込むのではないのか」
「汝を配下に組み込む。それはそれで、胸が踊る話だ。だが汝は、一つ所に留まるような男ではない」
「違いないな」

 ガノンは、自嘲気味に笑った。縁あってのこととはいえ組織を作り、一つの国に属した結果が今のザマである。いまさら同じ轍を踏むほど、彼は愚かではない。むしろ今は、とにかく追手をかわす必要があった。

「故に、通行証を渡す。腕に付いた銀の識別票。我が目が確かならば、それはタラコザ傭兵のもの。故郷へと持ち来る旅路の最中であろう。なれば、道中の安全を確保するが最善」
「……痛み入る」

 ガノンは、心の底から頭を下げた。己の旅路に敬意を払い、露払いをせんとする者がいる。その事実が、彼を一時とはいえ虚脱からすくい上げた。黄金色にけぶる瞳に、光が戻る。実に久方ぶりのことであった。

「引き受けよう。それが如何な難事であれ、おれは引き受ける。そして、勤めを果たそう」
「かたじけない。では、お耳を拝借」

 もはやガノンに、引き受けないという選択肢はなかった。報酬に釣られたのは事実だが、ここまでの報酬が差し出されるからには、旧知の人物はさぞかし大きな岐路に立たされているのだろう。その程度の推測もできぬようでは、傭兵団の長は務まらなかった。だからこそ、彼は身を乗り出し、ローレンに耳を貸した。そうでなければ、彼女の誠意には報いられない。しかしながら、そこにもたらされた言葉はあまりにも衝撃だった。

「我らの愛するログダンを、己がほしいままにせんとする公爵家あり。汝には、そのはかりごとを打ち破って頂きたい」

#3へ続く

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