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時を経てなお #5

<#1> <#2> <#3> <#4>

 長いように思える四戦も、いざ始まってしまえば早いものである。闘技場はわずかに、その役目ならざる時間を迎えていた。もっとも、闘技場の上ではログダン王国軍の兵士たちが所狭しと駆け回っている。地に滴った汗や血の痕跡を、新たな土砂にて覆い尽くす作業に追われているのだ。

「三戦目は、デルフィンなる軽装髭面の戦士が敵を寄せ付けずに勝利。そして四戦目は……」

 そんな様子を貴賓席にて眺めながら、ローレン・パクスターは戦を振り返っていた。白布無手の少女が重戦士を沈めた後の二戦も、それはそれは圧倒的な勝負ばかりだった。デルフィンはパクスターが述べた通りに相手を寄せ付けず、身体各所に傷を刻み込んで勝利を奪った。そして。

「アンガラスタ公爵家のお眼鏡。王国武術指南役筆頭・パリスデルザどのが凄まじき剣閃で敵を圧した」

 パリスデルザの振る舞いは、まさに王の眼鏡に適うであろう戦士の振る舞いであった。敵を圧倒しながらにしてその矜持を叩き折るような真似をせず、むしろ一定の見せ場さえも与えていた。しかし見る者が見れば両者の差は明確だった。それほどまでに、パリスデルザの技量が勝っていたのだ。ともあれ、パリスデルザは速さと鋭さで敵を征し、確かな差を敵に刻み込んだ。現時点だけで見れば、ガノンとの差は。

「互角か、あるいは……」
「よろしいですかな、パクスター公」
「っ!」

 思考にふけるローレンに、掛かる声あり。すわ、八大公爵のいずれかと首を向ける。すると視線の先には、いかにも武人の出であることが見て取れる、鎧と剣に身を固めた壮年がいた。連れている配下数人も、ほとんど同じ出で立ちである。彼は――

「グシュ公爵どの」
「いやいや。我は末席。どうかそのまま」

 反射的に立ち上がらんとしたローレンを、グシュ公爵は押し留めた。たしかに、彼は戦場での功績と権力闘争のおこぼれで八大公爵家となった新参である。ローレンが立ち上がる理由はどこにもなかった。だが。

「……御家同士の会話が許されているとはいえ、次なる相手同士が語らうは、仕組み勝負を疑われかねません。お引取りを」

 思考を整えた彼女はまず不審を抱き、グシュ公爵を追い返さんとした。これは名目でもなんでもない。事実この場には周囲の目がある。なにげない会話の中に符丁や暗号、互いにしかわからぬ暗示、忍ばせた罠が潜むことなど、掃いて捨てるほどによくあることだった。そうした流れを疑われるような真似を働かぬことこそが、最大の自衛策なのだ。

「おっと。これは失敬。ではでは、語らいは控えましょうかな」

 男は己の迂闊を笑い、素直に立ち去っていく。ローレンは胸を撫で下ろした。ただでさえ、崇高なる大武闘会に蛮族を送り込むなどという真似を働いたのだ。この上に仕組み勝負の疑いまで掛けられては、覚悟の量が足りなくなってしまう。しかし。

「……」

 グシュ公爵の配下の一人が、ほぼ全員の死角をついて己へと動いた。ローレンは自身で隠す形を取って、それを受け入れる。すると配下は、ふらついたていを取って己にぶつかって来た。

「あっ!」
「これ、なにをしている! ……申し訳ない!」
「いえ。このような場ですから、身体も強張るのでしょう。……お気を付けあれ」

 グシュ公爵が振り向き、慌てて配下の粗相を謝罪する。ローレンはそれを受け入れ、同時に罪を免じ、配下に忠言する。すべてが通り一遍のやり取りだ。しかしこの間に、ローレンは配下が取りこぼした懐紙を拾い上げていた。すべては密事を隠すための小芝居である。両者ともに、この程度の腹芸には慣れっこだった。と言うより。このくらいのことはこなせねば、とても貴族の高位には名を連ねられぬのだ。

「……」

 密かに懐紙を手に入れていたローレンは、折を見て席を外し、厠へと向かう。そこで懐紙を広げ、文面に目を通した。そして彼女は、おののくことになる。

「なんと……『あの方』がお出ましになっているならば……ガノンは、勝てぬやもしれん」

 誰一人にとて悟られぬ厠の中で、女公爵の震え声だけが響いていた。

***

「……」

 闘技場、西門の先にある控えの間。ガノンは、彼には珍しいことに座り込み、瞑目していた。戦神に祈りを捧げ、気を整えていた。彼は、この後に控えた戦を思っていた。先に見た彼女の武技が確かならば、間違いなく厳しい戦いになる。彼はそのように見積もっていた。

「……」

 同時に彼は、その時に聞いた『声』についても思考を巡らせていた。武技の主は少女だというのに、『声』はひどく老成したものに見受けられた。この間隙ギャップ、違和感の正体は、なんであろうか? 彼には未だ、正体は見えていなかった。

「手合わせせねば、わからぬか」

 ガノンは目を見開く。己が『ガナン』を名乗っている以上、戦神の力は大っぴらには使えない。使えば最後、己がガノンと知れる確率が高まるからだ。とはいえ、敗北の憂き目に会い、行く道行く道で人目をはばかる羽目になるのもまた旅路を厳しく、生還する確率を低める要因となる。ならば。

「たとえ知れたとしても、使うべき時には使わざるを得ぬな」

 ガノンは、おもむろに立ち上がる。そこに、寄って来る声があった。先刻までは己を含めて四人の戦士がいたこの場にも、残されたのはもはや二人しかいない。つまり、声はデルフィンのものであった。

「お目覚めか」
「寝ていたわけではないがな」
「戯れよ。して、勝機は」
「わからん」

 ガノンは、極めて正直に言葉を返した。ここでふざける必要は皆無であるし、嘘をつく必要もない。相手が己をいかに見るかという問題はあるが、今のガノンにとって、そのようなことは些事である。ただただ現実だけを、彼は見ていた。

「……まあ良い。貴君の健闘を祈ろう」
「おま……貴殿こそ、だろう。相手は指南役筆頭だ」
「おお、そうだな。せいぜい抗い、盛り上げるとしよう。貴君がこうして、期待をしてくれていることだしな」
「期待ではない。だが、貴殿の強さは理解した。勝機は少なからずあるだろう」
「ああ」

 ガノンがデルフィンへの呼び方を改めたのは、一応、敬うに値するだけの素養があったからだ。この場に不似合いな奇矯極まりなさと、それでいてお眼鏡に相応しい強さ。この絶妙なバランスが、ガノンの興味を引いたのだ。事と次第によっては、デルフィンと最後の戦を戦うのではないかと思うほどに。

「ともあれ、おれは行く。貴殿の健闘を祈る」
「勝ち負けはともかく、健闘は保証しよう。……貴君もな」
「それでは、第五戦を始める! 東門、グシュ公爵家お眼鏡、ハク! 出ませい!」

 返事をしようとしたガノンだが、それは戦士を招く大音声に阻まれる。続いてまたも清冽な叫びがコロッセオに響き、会場に満ちる罵声を打ち消した。そして。

「西門! パクスター公爵家お眼鏡! ガナン! 出ませい!」
「応ッ!」

 陽に焼けた肌と火噴き山の如き赤髪を持つ男が、呼び声に応える。しかしその時、彼は得物を手にしていなかった。

「ガナンどの……?」
「無手に得物を繰り出すなど、戦いにもとる」

 疑問を抱くデルフィンに、ガノンは短く切り返す。それは彼の矜持。戦神を奉じるが故に曲げられぬものだった。なおも言葉を連ねようとするデルフィンを置き去りにして、ガノンは西門を出て行く。そこから先はもはや戦士たちの舞台。戻れるのは勝負が付いた時のみ。止められるのは本人たちだけだった。

「早く負けろ! 闘技場の面汚し!」
「どうせどっちが勝っても決勝でパリスデルザ様の剣の錆に変わるんだ! とっとと殺し合え!」

 あいも変わらず投げられる罵声にも、ガノンは動じない。それは少女――ハクも同様だった。だが彼女は、目を見開いていた。その対象は、ガノンである。

「剣は」
「置いて来た」

 つぶやくように放たれた問いに、ガノンは切って捨てるように応じた。しかし少女はうなずくと、即座に構えを取った。右半身はんみ。無手の者がよく取る、正対の構えだった。

「いざ」

 ガノンも同じく、構えを取った。無手の戦いに慣れているわけではないが、それでも獣を殺す際や敵将との一騎打ちの際、最悪の場合は無手に至ることもある。その延長で、多少の心得は備えていた。

「始めいっ!」
「ハイッ!」

 開戦のドラがけたたましく鳴るや否や、先に動いたのは白布の少女だった!

#6へ続く

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