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時を経てなお #6

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「ハイッ!」

 開戦のドラが鳴り響いた次の瞬間には、白布の少女はガノンの視界から消え去っていた。

「ぐっ!」

 後手に回ってしまったガノンは、あえて動かずに腰を落とす。ここでつられて動いてしまえば、そのまま翻弄されるおそれがあった。動きを見極め、正確な一手を繰り出す。戦神の力を使い難い以上、相手に歩調を合わせるのは愚策極まりない。

「セイッ!」

 ガノンの背後から声が響く。振り向けばそこに、迫り来る少女の姿。ガノンは合わせて、拳を振るう。が。

「ハッ!」

 それは容易く腕で防がれ、素早い一手が腹部に入る。しかもそれは、筋肉にくをえぐるような一撃だった。

「ぐおっ!?」

 たちまちガノンの膝が沈む。不可思議に重い。内臓がきしむ。少女の身体からは、想定もできぬ拳の重さだ。だが。

「ぬんっ!」

 ガノンは気合で態勢を戻した。この程度で倒れていては、この先の旅路が思いやられる。これまでの旅路が、無為へと変わる。不可思議ではあるが、いかなる傷よりも重くはない!

「ふんぬぁ!」

 次なる一歩は、ガノンが動いた。少女を追って、歩調を進める。先刻とは異なり、相手の戦い方に踏み込む形だ。相手の一撃が重い以上、己が先手を取らねばならぬ。寄せ付けぬために、勝ち抜くために。ガノンは素早く、思考を組み替えていた。

「おおっ!」
「セイヤッ!」

 蛮声を上げつつ襲い掛かるガノンだが、ハクの清冽な気合に押し返される。ガノンの豪腕に比して、少女のそれはもはや柳のよう。だというのに、的確にさばき、押し込まれない。堂に入ったさばきぶりに、いよいよガノンは訝しむ。訝しむあまりに、それは小さく声に出た。そして、答える『声』があった。

「おまえは、何者だ」
『まだじゃのう』
「!?」

 攻防のさなか、思わずガノンは飛び退いた。第二戦の前、己が確かに聞いた『声』。同じものが今、脳裏に響いた。

『そう驚くなかれ。拳を合わせたことで、より伝えられるようになった。それだけじゃ』
「っ……」

 ガノンは構えを取る。この『声』によって、いよいよ彼は理解した。ハクという少女は、なんらかのすべによってこの場に送り込まれている。その正体こそが、『声』の主!

『蛮人どのよ、あなたは強い』
『わかるのか』

 ガノンは己に強いて踏み込み、少女に向かって仕掛けた。豪腕をもってではなく、確かな踏み込みと小さな連撃をもってである。その間、二人は声なき声を交わし合う。不思議なことではあるが、拳を打ち合う間に限ってのみ、ガノンも己の意志を敵手に伝えられた。

『わかるぞい。そしてあなたの底は、ここではない。そのことさえも、見えてきておる』
『……』

 打ち合い、さばき、避ける。無限にも等しい攻防のさなか、ガノンはわずかに歯噛みした。己が繰り出すわけには行かぬ底の底、戦神の使徒たる力の存在。敵手はそれを、見抜きつつある。それがガノンには心苦しい。見抜かれるのは苦ではないが、隠さねばならぬことが苦しかった。

『出さぬ、ということは出せぬ理由があるのじゃろう。無理は言わぬよ』
『っ!』
『出させるまでじゃからの』

 その苦しみを突いて、ハクからの攻勢が速さを増した。清冽な気合を添えて、手数でひたすらに押して来る。必然、ガノンは劣勢に追い込まれる。元より、ガノンは無手の戦に熟達していない。やがて有効打が、次々とガノンを削り始めた。

『くっ……!』
『ほれ。見せるが良い。見せねば、望みは果たせぬぞ?』
『ぬう……』

 もはやガノンは確信していた。少なくとも今のところは、己よりもこの少女のほうが強い。否。少女の身体を操る、『声の主』のほうが強い。打ち勝つためには――

「ぬんっ!」

 ガノンは声に出して、少女の拳を払った。技によるものではない。力ずくだ。しかしその力には、今までにないものがこもっていた。その身体に、わずかながら纏わせた暖かな光。そう。戦神の力である。あまりの勢いに少女はたたらを踏み、間合いを取った。

「戦神に詫びる。戦でありながらその力を振るわなかったこと。己の力を、大きく見積もったこと。戦神在りてこそ我は在り。我は戦神の愛し子、使徒である」

 呟くように誓いを告げて、ガノンはゆっくりと少女に迫る。彼らに観客の声は聞こえていない。『声なき声』を聴くために、全集中力を傾けていた。全精力が、この戦へと注がれていた。誹謗中傷、血湧き肉躍る戦いを求める声などに、耳をそばだてる余裕は皆無だった。

「ぬんっ!」
「ハイッ!」

 力を纏わせて振り放った拳を、少女は細い腕を重ねて受け止める。みしり、と響く骨の音に、ガノンは一つの確信を抱いた。手応えあり。腕の一つは、奪い去ったか。しかし。

『そうか。戦神の使徒じゃったか』

 脳裏に響く、『声』の質は変わらない。焦燥や動揺が、まったくもって感じられない。泰然自若。一切不動。これは、いかなる。

『なれば、そろそろこちらも名乗らねばのう。我が真の名はシサイ。ログダン王国王家・先代武術指南役筆頭である』
『!?』

 唐突極まりない名乗りの『声』に、ガノンの姿勢が思わず揺らぐ。その一瞬を逃さず、ハク、否、シサイは。裂帛の踏み込みを闘技場に打ち放った!

「セイイイッ!」
「むうっ!」

 おお、見よ! かさにかかっていたはずのガノンの巨躯が、細身の少女に押し返されている! いや、跳ね上げられている! これが第二戦で重戦士を征した、理合なるものの一端なのか?

「ハイイイッ!」
「おおおっ!」

 見るが良い! ガノンの身体が浮き上がり、吹っ飛ばされる! 放物線を描いて大地に打ち付けられ、陥没跡を残す! しかし真に見るべきは今一つ! 少女の踏み込んだ痕跡が、凄まじい地割れとめり込みを生み出していた! 実質一本の腕しか利かぬというのに、ここまでの力を生み出せるのか? まさに恐るべし!

「ハッ!」

 続けて少女の脚が、闘技場の大地を蹴る。その速さは、それまでに見せていたものとは比にならぬほどのものだった。消えては現れ、と見まごうほどの勢いで、彼女は飛ぶようにガノンへと迫る。しかしガノンもさる者である。その姿を見るや否や、即座に立ち上がった。

「ハイヤッ!」
「フンッ!」

 見よ、少女の繰り出した右足を、ガノンの太い腕が見事に受け止める。しかしその腕には濃ゆい痣が残る。彼は心底より驚嘆していた。シサイなる者の技、あまりにも練り込まれている。

「ぐうっ!」

 それでもガノンは、踏み込んでいく。軽やかに大地を蹴り、巨躯に似合わぬ跳躍を見せた。少女に対して、上から攻める。体躯の差を生かした選択だ。

「ハイヤッ!」
「遅い!」

 少女から迎撃の拳が飛ぶ。ガノンはかわす。返して拳を繰り出す。少女は飛び退く。かがまずに退いたのは、ガノンとの間合いを取らんがためか。ともかく、判断が早い。しかも、正確だった。

『蛮人どの。あなたはなにを望んでこの場に来たるか?』

そして再び、『声』。シサイが、ガノンに問うて来ていた。ならば、答えねばならぬ。口に出さぬのであれば、真の名を明かしても良いだろう。

『我が真の名は、ラーカンツのガノン。目的は近辺数ヶ国の通行証。そして』

 間合いに飛び込み、拳を振るう。それらはシサイにさばかれる。片腕を折られたにもかかわらず、その技に衰えは見られなかった。なんたる練り込み。なんたる熟達。されど。

『アンガラスタ公爵家による、王家簒奪を防ぐこと』

 ガノンに少女を打ちのめす意図はない。この場での選択は、少女に潜むシサイの意志と言葉を交わすことだった。いかなる技かは不明だが、シサイは間違いなく、この少女を通じてなんらかの話を持ち掛けてきていた。

『……なにかと思えば、意志を同じくする者であったか』
『なんと!?』

意外な告白に、ガノンの手が思わず止まる。その隙を縫って、少女の身体が雷の如く動いた。ガノンの懐に、鋭い踏み込み。

「ハイナーッ!」
「うぐおっ!?」

 鳩尾みぞおちに差し込まれた、短くも速く、重い一撃がガノンの巨躯を穿ち抜く。その身体は「くの字」を描いて吹き飛び、地面に叩き付けられる。しかし少女に容赦はない。一直線に、ガノンへと迫って来た。

『なれば。なればこそ。我程度は踏み越えてもらわねば、のう』

 脳裏に響く『声』には、曲がらぬ意志が込められていた。

#7へ続く

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