孤独というもの。そして今の時代とは。
さっきまでKAB.のユーチューブ、「きゃぶらじお」を観ていた。
KAB.は以前、記事でも書いたが火沢にとっては初めて買ったCDのアーティストということで思い入れがある。
3週間前、デビュー24周年ということでリスナーの投票による44曲ライブという、大変な長丁場の生配信をされていて…
火沢はリアルタイムでは観なかったのだけれども、ふとKAB.の歌声が聴きたくなって、作業の片手間のBGMとして流させて頂いた。
今回の記事は、俺の音楽の趣味がどうこうというものでなく、もっと普遍的な内容…
つまり今の時代について感じたことを書こうと思う。
さて…
KAB.の切ない歌の数々に改めて聴き惚れた火沢。
リスナーの方たちが思い思いに寄せたコメントも読み上げられ5時間にも渡るライブも終わろうとしていた。
途中、KAB.が六十人にも及ぶリスナーを「好き」と語られたのが素敵で、暖かい空気感に火沢も励まされた気がした。
ただ…
少し考えてしまった。
俺はKAB.のプライベートを、知っているわけじゃないけれど…
動画の配信を終えたKAB.は風呂に入って酒を飲むと言っていたが、もしも俺だったら…
そう…
もし、俺がKAB.の立場だったら、この時どう感じただろうか。
歌っていた場所が自室だったのかスタジオだったのがわからないが、恐らくお一人で配信されていたのではないか。
俺は…
もしも俺だったら…
「少し寂しい」のではないだろうか。
もちろん、あくまで「俺だったら」、というだけの話。
当然、歌いきったという充足感もあるだろうしリスナーとの繋がりに元気をもらえたのは間違いないと思う。
でも…
部屋で配信していたのは終始KAB.一人。
一人で六十人もの方のために歌っていた、ということになる。
そして火沢は、そこに「孤独というもの」を考えさせられた。
今回書きたいのは「孤独というもの」が悪いということではなく、KAB.がライブ配信を終えた後の心境を勝手に推察するものでも決してない。
そうじゃなくて…
俺が言いたいのは…
もっと別の…
そう…
「今の時代らしい」な、と。
今の時代とはなんなのか、と。
少し火沢の話をしようか。
俺もnoteを初めて1年以上経つ。
俺も少なからず人とのご縁がありフォロワーさんと交流している。
しかし…
彼らは「友達」なのかな?
ふと、そんなことを考える。
そう…
俺は彼らの顔も知らないのだ。
もちろん公開されている方もいる。
けれど多くは顔を知らないのだ。
つまりフォロワーとは…
「顔を知らない顔見知り」ということになる。
これは、ずっとそう感じてきた。
会えるわけでもないし声を聞けるわけでもない。
どこまで行っても薄い繋がり。
しかし、大切な存在でもある。
不思議、ですよね?
しかし、noteだけでなくSNSというものは皆、そうなんでしょ?
火沢はつっぱねて長らくインターネット環境もない暮らしをしていたので逆に不思議に思う。
俺ね…
ネットでの顔を知らない人たちに生活の多くを費やすな、という世間の警鐘とは別次元の問題だと思っていて…
いや、「問題」ではなく、これこそが今の時代なんだ、というのを凄く感じるわけ。
そう…
承認欲求の話じゃない。
なかなか言語化しにくいんだけど…
これが、今の人間のコミュニケーションでありこれからのスタンダードなんだ、という感覚。
もちろんプライベートは別で充実させたほうがよいというのは最もだ。
けれど…
たとえばまさにユーチューバーは動画制作が生活の糧であり軸なのだから、当然生活の多くを割くことになる。
これからは「個の時代」ということに、さすがに火沢も受け入れるしかないと思っていて…
うまくいえないのだけれど…
一対複数の関係性が当たり前になる。
コロナ禍を経て人との繋がりが、つまり「距離感」が見直され、さらに俺は1年、心理学的な特に「生きづらさ」に関する記事を読んできた。
中でも一番認めざるを得ないのは他人との境界線について。
ここでは詳しいことは割愛するけれど、火沢は長らく(現在進行系か…)他人との距離感で悩んできた。
要するに遠すぎたり近すぎたり…
中間にいられないのだ。
いや、寧ろ依存が強いのでnoteでも他人のコメント欄に踏み込んだことを書いてしまったり…
なかなか苦いのだが(苦笑)。
どうも、今の時代が「個」を自立させ「他者」を尊重するように社会が変化しているように思う。
今までのような密な関係では、どうもいられない…
成熟した人間関係を求められる機会が増えた気がする。
それを年配の方は「冷たくなった」と表現し、火沢も今の時代を「ドライだな」と割り切れず随分葛藤してきた。
しかし、どうも俺もnoteでの活動で「今の時代を生きる」と言ってしまった以上は受け止めるしかないな、と。
話を戻すと、それならSNSでの人間関係って…
と、言う話にならないだろうか?
つまりこれが今後のスタンダード。
デフォルトに、なって行くのではないか、と。
もちろん、真逆に小さな共同体を形成して昔のような「互助の精神」を若い人が再構築していく流れも確かにある。
今後、さらに二極化していくのかもしれないけれど…
俺ね…
虎の穴のファンティアで成人向けの漫画の活動も並行していて、実は一つも投稿できていないのだけれども(苦笑)。
半年以上経つかな、ページを開設して…
今日初めてファンができました(笑)。
本当に火沢の活動に興味を示して頂けたのか自信はないけれど…
ファンティアというからにはファンであることは間違いないし…
なんか不思議な感じ(苦笑)。
それでせっかくなのでイラストを描いてお礼のコメントを描こうと。
それで今日はKAB.の歌を聴きながら描いていたわけ。
完成しなかったけど(苦笑)。
なんだかとりとめのない文章になってしまったね(苦笑)。
話を戻すと。
KAB.のライブ配信を観て、やはりファンとの交流は素敵だな、と改めて感じた。
そこに漂う寂寥感のようなものは、俺が勝手に感じたものだけど、これから人は本当の意味で孤独になっていくのかもしれない。
これね、結婚してたって、友達がたくさんいたって感じるものなんじゃないかな。
そう、「寂しい」。
でも繋がっているよね、という感覚。
その微かな連帯意識が今の時代の本質であって…
まあ、それでも寂しいのかもしれないけど。
noteでの活動も「正解」はないのだけれども。
本音を言えば物足りなさも感じているけれども…
もう少し、面白い形はないのか模索したい気持ちもあるし。
なんだか歯がゆいのだけれども…
俺が言いたいのは、それでもこれからもコメントするぞ、と(笑)。
おいおい。
失敗するのが怖くてコメント控えるのは違うと思うんで。
これからも、宜しくお願いしますという、よくわからん記事でした。
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