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形、色、そして美と孤独

昨日、自宅の金柑で産まれたアゲハが羽化した。

ステンドグラスみたい。

しばらく羽を乾かして空に飛んでいった。


アゲハは…

何故あのような色をしているのだろう?

保護色にしては派手すぎるし、繁殖に利するところがあるのだろうか?

花はどうだろう?

花粉を運ぶ虫をおびき寄せるため、なのだろうか。

それならなぜ花弁は、花によって様々な形を成しているのだろう。

環境が彼らを作ったのだろうか?

必要な物なのだろうか。

ある人は言う。

「花は欲がない、与えっぱなしだから」と。

でも…

花は花でやはり次代に子孫を残すため、あらん限り貪欲に「美」を振りまいているのかもしれない。

わからない。

俺は20代の頃、ずっと尾崎豊を聴いていた。

俺は今40歳で、リアルタイムで聴いていたわけじゃない。

だから伝え聞いた話だけど…

尾崎は活動休止したことがあって…

自分の伝えたいこととファンとの意識に乖離があって…

自分の周りにもビジネスとして、彼を利用する連中が集まってくる。

孤独を感じていたのだと思う。

でも…

ここに孤独の本質がある気がして…

心を込めれば人が離れていったり…

誤解されたり…

神聖視されたり…

「ホントの自分はどこにいるのだろう」

好意とは?

相手の主観でしかない。

通じ合っているのだろうか?

本当に想いは重なるのだろうか?

それでは人はなんのために自分を表現し発信するのだろう。

愛されたいから?

でも…

その愛は、やっぱり相手の主観でしかなくて…

結局、孤独を感じてしまうんじゃないかな。

それなら…

なぜアゲハは美しいのだろう。

美しいと感じるのは俺の勝手か。

不思議だね。

それなら…

それなら俺は何で、こんな形をしているの?

俺はなんで、こんな声なのだろう?

意味はあるのだろうか?

人はなぜ言葉を発するのだろう。

生きていくための機能を、そこから差し引いたら何が残るだろう。

それが美なのだろうか?

尾崎は…

美しかったのだろうか?

俺たちは尾崎を美しいと思っていた。

それなのに…

尾崎は孤独を感じた。


人はなんのため…

一体なんのために生きるのだろう。

尾崎は自ら死を選んだわけではないけれど…

孤独を知ること、その先に俺たちがしなければならないことは、死に向かうことではないはずだ。

そして…

相手と気持を共有しようとすることでもないのかもしれない。

美を知ることかもしれない。

俺たちが自らの美しさを知ること。

今、俺は、そのことを少しだけわかりかけている。

でも…

そこまでしかわからない。

その先に何があるのか。

まだ、わからない。




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