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ちょっと武勇伝⁉️実社会に生きた組手稽古•瞑想的な深みの効果(合気)

まさか50過ぎで絡まれるとは、、、反省してもあとの祭。

スマホに熱中していると周りが見えないし、知らない間に周りに迷惑をかけている場合がある。それもヤバい人種にご迷惑をかけていた、それも電車の中で。

混んでいる車内でスマホを見ていると、体をすり寄せてくる男がいた。何だ⁈  次の瞬間その男は私の目の前の扉のガラスを拳で叩いた!

(男)「シカトかよ!」

その瞬間に、私はその場の状況をすべて悟った。

スマホを納め、男の言う通り「シカト」を承認して「やられただけ返そう。」と肚を決めた! 幸いすぐに駅に着き、ドアが開いた。

すぐさま、人の波に乗り階段を上がって行った。とても混んでいる駅なので人を追い抜くことは不可能な状態です。 前の人々について上がっていると、

(男)「早く上がれよ!!」と、私を突き飛ばした。。相当強い力で突き飛ばしています。普通の人なら、この混雑状態で前の数人を巻き込んで倒れたでしょう。

しかし、この時の私の軸は崩れず、ビクともしないで階段を何事も無かったように上がり続けました。この段階で男は、ある程度私を感じたのだろうと思います。

そうなると群衆心理は面白いもので、あんなに混雑していた階段が、私の周りだけ程よい空間が生まれています。皆、巻き添いになるのは御免なのです。

その空間で、男は私の前に回り込み、通せんぼ。。

男は、「通せんぼ」したかったんだろうけど、私は「シカト」を承認して「やられただけ返そう」と肚をくくっているので、合気がかかったのでしょう。男の体は、私の横をスルーしていきました。

剣道の試合などでも、お互いが対峙したまま試合が終了する場面が見られます。このような状況では、瞑想的な深みに共鳴し、勝ち負けにとらわれない調和の世界が生まれます。
一方で、深みの差がある場合、より浅い修行者が賢者であれば、勝負の前に負けを認めることもあります。これにより、無駄な争いを回避することができます。
対峙する際に瞑想的な修練をしない者は、単に力やタイミングだけに頼った争いの世界に陥る可能性があります。

「日本の武道は瞑想をより深める手段となり得る」より

改札を出てから後を確認しましたが、男はどこへやら、、、

これ以来スマホは人混みでは控えています。すみませんでした。。

<合気> 合気道を力と関節技で理解することは万人向きです。気の合気道となると胡散臭さや、打ち合わせしたような演武などと言われることもあり、万人向きではありませんが、玄人の心が向き合うと間髪入れずに勝ち負けを超えて承認し合う場面が立ち上がってくるようです。万人が合気を身につけることが出来れば、とても平和な世の中になるでしょうね。



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