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やはり日陰がいい 散歩~仙台城跡周辺~

最後のレポートを終え、夏休みが始まった。課題の内容は四元数を複素行列表示するといったものだったか。それなりに苦戦を強いられたが、無事期限の17時までに証明を完遂でき、充実感はあった。やっと夏休みだ!と心の底から思った。

今年の授業は、例年より約一か月遅れで開講した。慣れないオンライン授業に少し戸惑いながらも月日は関係なしに進み、もう夏だというのだから早いものだ。そして、ギャップがあることに気づく。やっと夏休みだという思いともう夏かという思いだ。後者はいろいろな焦りだったりを含んでいそうだなぁとせわしなく鳴く蝉を傍目に、呑気に思う。エアコンがあるだけでだいぶ私は余裕らしい。

そんなわけで始まった夏休み初日。9時過ぎに目を醒まし、寝ぼけ眼でスマホを器用に操作。気づけば11時20分。昨夜買ってきた六枚切りの食パンにピーナッツクリームをまんべんなく塗り、ミルクで流しこむ。開放的な朝だなと我ながら思う。

食パンを片手に、ふとスマホで開いているツイッターに目を落とした。小学校から高校まで付き合いのある仲のいい友達がこんなことを呟いていたのだ。「今週どこか観光に行こうかな」と。珍しいと思った。私と私の友達はみな端的に言えば根暗なのだ。圧倒的インドア派なのだ。ましてや今は夏。熱線の遮るもののない灼熱の世界に自ら躍り出るなんて阿呆のすることじゃないか!

というのはほんの冗談であるが、珍しいと思ったのは事実だ。しかし、私たちの間にも変化が訪れていると薄々感じていたので、その結果私は突き動かされることとなる。

まず、その変化について話そう。目下、社会を混沌に貶めている例のウイルスの影響もあるだろうが、大きな理由はそれではない。おそらく、私たちが大人になったからというのが正しい。高校を卒業し、地元を離れると嫌でも大人になるようだ。高校までを過ごした地元が急にちっぽけなものに映る。本当に狭い世界だったなぁと中高の記憶を呼び覚まし自嘲する。それが根暗で幼稚な私にどんな影響を与えるかと言えば、もっと広い世界で生きようと思わされるのだ。辺境の学校で生徒をやっている人ができることなんてそもそも限られていた。インターネットで必要な情報を得ることもできるが、当然田舎には都会ほど広い情報は入ってこない。ゆえにインターネットのある特定の情報だけに執着し、少し歪んだ人格ができあがることもある。もちろんみんながみんなそうという訳ではないが、田舎から東京の私大に進学した子のほうが東京出身の子よりも遊んでいると聞いたときは、私はあまり笑えなかった。ただ憐れむことしかできなかった。根暗な私にも思うところがあったのだ。そうして私たちは大人になっていくのだなと今は思うが。ともあれそういう訳で根暗な私は家という狭い世界から脱出したがっているのかもしれない。大人になったことで普通の物差しをもって生きようとしているだと思う。


私は朝食兼昼食の食パンを食べ終えると、冷蔵庫で冷やしていた麦茶を水筒に注ぎ、必要最低限の道具をもって8月13日の真夏に飛び出したのだった。

地下鉄東西線で仙台から二つ、大町西公園駅に降り立ったのは時刻にしてちょうど12時だった。夏の陽射しが目を焼き、額に汗がにじみ出す。街の喧噪の中、幽かに蝉が鳴いている。まだまだ暑くなるらしい。スタート地点に立ったのだけなのだと意識させられる。私はバッグの外ポケットに手を伸ばし、冷たい麦茶を口に含む。ひとつ息を吐いて西に歩みを進めた。

直進してまず見えてきたのは、広瀬川とそれに架る大橋だった。広瀬川は仙台市のシンボルともなっている川らしい。思えば社会が通常だった頃は、地下鉄がトンネルを抜けると突如姿を現すこの自然にたびたび見入ったものだった。今こそ地下鉄に乗る機会が極端に減少したものの、久しぶりに見る広瀬川になんら変化はないようで自然は悠久の時を生きているのだと考えさせられる。大橋のほうは材質は分かりかねるが、全体的に白いのが特徴的で夏の日差しをこれでもかという具合に跳ね除けていた。眼前から攻め来る夏の陽射しに目を細めながら進む。歩道の幅は十分に保たれているため歩きやすいが道路のそれは存外狭く、すぐ側を猛り通る車には少し威圧感があった。

橋を通り抜けしばらく歩くと、案内地図がでかでかと佇んでいるのが目に入る。こういうのは本当にありがたい。現在地とマークされた赤い印をはじめに確認。ここからどこへ向かおうかと思案する。地下鉄の座席に腰かけながら目的地の候補は絞ってきた。目的地を一つに定めなかったのは成り行きで決めようと思ってのことだ。ちなみに大町西公園駅から少し行くと東北大学があり色々な施設が密集しているから困る心配はなかった。当然仙台の中心街から離れているためショップこそ弱いが。そこでマークされた現在地から各候補の示される箇所を目線で辿る。最も近いのは仙台城跡。もう一つの候補地である瑞宝寺に行くには、曲がりくねった広瀬川をまたもや超えねばならないようで距離もかなりありそうだ。よってまずは仙台城跡に行くことにした。

地図に従ってさらに西に直進すると国際センターが見えた。すぐ傍には国際センター駅があるので一駅分歩いたことになる。この駅で降りたほうがよかったかなと思いつつも通り過ぎる。すると大きな黒茶色の壁が目の前に立ちはだかった。高さが6、7メートル以上もありそうだ。近づいて見てみるとつなぎ目がない壁でコンクリートのようだった。しかし、周りを見渡せばやはりどこか歴史を感じる草花や木々の覆われ方をしている。この地で芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」と歌ったと言われても不自然でないような趣だ。そんなことを思いつつ、芝生の横にかけられた黒光する石畳みの階段を登っていく。大きく平らな石が一段となっており、負けじと歩幅を大きくして快活に足を運ぶ。登り終えるとまだまだ坂道が続いているようだったが、すでに少し充実感があった。

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信号のそばまで行くとまたもや案内地図板があった。再び確認してみるとちょうどこの信号を左に渡り、道に沿って進んでいけばよいようだ。信号が青になるのを待ち、その林道のような細い道に足を向けた。

覚悟はしていたがやはり、この辺りは急斜面で体力が持っていかれる。植生する木々の隙間から崖下を覗けば、小さな水流が遥か下にちろちろと流れていた。まさに仙台城に攻め込もうとしてる歩兵だなと汗を拭いながら夢想する。もちろん昔ならばこのように整備された道すらないだろうからなおさら大変だろうなと思う。足場の安全性が保たれているだけで違う景色が見えてくるというものだ。ちなみに歩道は木陰になっており幾分か涼しいが、夏の暑さはお構いなく攻め込んでくる。次第に下着が汗ばんで肌にくっつき始めたから少し気持ち悪い。そこで少し休憩しようかと考えていると上から二人の男女が自転車で下ってきた。並走する二人はとても楽しそうで晴れやかな笑顔を浮かべていた。その後も何人か観光客とおぼしき人たちとすれ違った。やはり仙台屈指の観光地とあってそれなりに繁盛しているのだなと歓心する。さらに進んでいくと休憩用に設けられたベンチが二つ置いてあり、そのうち一つはなにやら自転車に調整を施している男性に占められている。私もベンチに腰掛けようなぁと思いつつ、そのまま通り過ぎた。ふとすれ違った人たちの笑顔を思い出して先を急ぎたくなったのかもしれない。疲労は着実に溜まってきていたが心を強く保ち、ペースを上げた。

曲率の小さなカーブを曲がれば、仙台城跡の入り口が見えた。そびえる石垣が圧倒的だ。途中で見たそれとは比べ物にならない想定外の大きさだ。高さは優に10メートルを超えており、ブロック状の石が隙間なく積み重ねられている。まるでピラミッドだなと思った。人の営みが一目で感ぜられるという点で一緒だ。足場を確保しつつ石をより高いところまで運び重ねていく様子を想像しすぐに振り払う。そういえばマチュピチュには針一本通さない石垣があると聞いたことがあるが、それに比べれば劣るのだろう。なんせ当時の技術レベルでは考えられないらしいのだ。そんな無粋なことを考えながらも石垣にじっくりと目を向ける。それでも素晴らしいなと思った。

仙台城跡の入り口には大きな鳥居があり、私を出迎えてくれた。かなり大きなもので石垣に続いて圧倒されっぱなしだ。内に潜む神聖な気持ちを讃えながらゆっくりと階段を登る。そして、広場にでるとそこからは仙台市が一望できた。すばらしい景色だった。手前には木々が密集し、遠方には入道雲の浮かぶ青空を背景に仙台のビル群が望める。我ながら高いところまで登ってきたなと感心する。後ろを振り向けば馬に跨った伊達政宗像が仙台を見下ろしている。甲冑姿の政宗はまるで仙台に降りかかる夏の熱線をすべてその身に受け止めているようだった。まさしく夏の仙台は政宗の加護を受けていた。立ち去り際、伊達政宗は今の仙台市を見てなにを想うのだろうかと少し気になった。

敷地内にある宮城縣護國神社で参拝を済ませた後は、軽くお土産品などを見て回った。実は、ここには一度小学校の行事で来たことがあったため感動の再会があった。木刀である。ちょうど売り場を通りかかると、一人の少年が木刀を手に取って振りかざしていたのが見えたため微笑ましかった。多分に今の小学生の方が木刀を買いそうではある。~の呼吸とか言って。

牛タンの食べられるお店等もあったが素通りし、敷地内を一通り見て周った。そこで分かったのだが、仙台城跡まではバスが通っており、私のように駅から徒歩で来る人はあまりいないようだった。また当然車で来ている人も多い。そういうわけで仙台城跡から出て、どこかまだ見ぬ場所へ続いているであろう坂を登ろうかという思惑は断念せざるを得なかった。ただでさえ道が狭いうえに歩道がないのだ。なので仕方なく来た道を引き返すことにした。かなり嫌々であったが仕方ないと割り切り、坂を下っていく。もともと明確に目的地を決めてないかなりラフな散歩なのだと自らを慰める。そうしてとぼとぼ歩いていると案内板と森の中へと続く道があった。

案内板には「仙台市博物館」と書いてあるが、こんなところに博物館があるのだろうかと懐疑的にならざるを得ない。車は立ち入り禁止でまるで霊界へ誘う道である。私は訝しみながらもどこか心の浮つくのを抑えられずそちらに足を向ける。ただ引き返すよりも新たな道を開拓するほうがおもしろいに決まっているのだ。

進んでいくと木々の緑がいっそう深くなり、不気味さが増した。小鳥のさえずりも奇妙に感じる。しかし、そのままさらに進むと森から抜けられそうだったので少し安心した。緊張感が解けると今度は、今までに経験したことのないくらいの下り坂に差し掛かり、なんだかとてもおかしくなってしまった。足を滑らせないように気を付けながらも笑いが込み上げてきて声にだしてしまっていた。わははははと笑いながら坂を下っていく。すると不覚にも前方から人が歩いてくるのが見えたので理性で笑いを押し殺した。坂を下りきると本当に博物館らしいものがあったが、このときにはすべてがどうでもよくなっていた。森を抜けたらどこかの道に繋がっているのだからそっちのほうが重要だ。

開けた視界に浮かんだのは、どこか遠い夏に忘れてきたような風景だった。白線の引かれていないどこまでも続く道路、ガードレール脇に繁茂する植物たち、その側を流れる小川。そんな子供の時に幾度となく見てきた風景。最もありふれた風景のように思えるが、大学生になりほとんど見ることがなくなったらしい。いや、単に素通りすることが多くなったのかもしれない。たぶんそういう心の問題でもあるのだ。でなければこのような心の機微に気づけないだろう。それを今、なぜ気づけたかと言えば、なぜ気づけたかと言えば......。すると突然涙が溢れてきた。私はなにをやっているのだろう。夏の昼下がり、冒険家になったつもりで何をしたいのだろう。なにをそんなに一喜一憂しているのだろうか......。自分で自分が分からなくなる。そもそもなぜ散歩をするのか。理由がないとだめなのか。命題と反例がぐるぐると頭の中を駆け巡る。絶対に正しいことなんてないのかもしれないと分かっているのに止めることができない。なぜこんなにも激しい虚無感に襲われなければならないのか。嗚呼、私の心は空っぽだ、遠くの青空を眺めながらそう思う。ノスタルジーのある風景で心が清々しいと人ごとのように言えればこうもならなかっただろう。

それからは巡礼者のように歩き続けた。テニスコートでラリーをする親子やクマ出没注意の看板、私一人が歩いている道路に一列に並んでいるタクシー。そういう”発見”に心はいちいち反応したようだが、私自身ちゃんと楽しんでいたのかは分からない。心と肉体が分離しているようだった。こういう感覚は高校生の時もあった。会話に参加しているふりをしてひきつった笑いを浮べているあのときだ。そういえばそれが嫌で閉じこもるようになったのではないか。今更外の世界に出てくるからいけなかったのだ。家でゴロゴロしているのがやはり最適解なのかもしれない。

再び木々に囲まれたと思ったら次の瞬間には太陽の下にいた。ジリジリと太陽がうなじを焼く。最高気温を更新していた。喉が異常に渇き、水筒を手に取る。しかし、どれだけ傾けても雨粒ほどのオアシスも得ることができない。もう帰ろう。そう思ったその時、森の奥の方から鐘の音が聞こえた。優しく透き通るような音色だった。私のまだ見ぬところに教会があるのだろうか。目視ではその姿を確認できない。リンゴーンリンゴーンと鳴り響く鐘は太陽を打つ。少し熱さが和らぎ、私はその隙に帰路についた。

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あとがきという名の言い訳

暇だなぁと思い、仙台城跡まで行ってきたときのことを文章に綴りました。本当は最後までノンフィクションで日記として綴りたかったのですが、後半は本当になにもないところを目的もなしに歩き続けただけなので面白みがないなぁと思い、こうなりました。今では、文章にまとまりがないよなぁと少し反省していますが、部分部分であれ楽しんでくださった方がいたならうれしい限りです。


















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