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家族だって救われたい! 依存症患者を抱える家族が自分の人生を生き直す道とは

◉家族の苦悩や生きづらさは存在しないのか?

YouTubeなどを見ていると、依存症当事者の方や、患者の方の苦しみに寄り添う支援者の情報発信の場が増えてきているように感じます。

どうして依存症になってしまったのか、生い立ちや自分ではどうにもならない苦悩、これからの希望。

そんな思いを自らの言葉で、また支援者の言葉で、赤裸々に語られることが増えてきました。

長い間、日の目を見なかった依存症当事者の思いが、共感を持って多くの人たちに受け入れられる時代がやってきました。

その一方、その依存症患者を支える家族の苦悩や生きづらさは、世の中にどれだけ届いているのでしょうか。

今回は社会福祉士という専門職としての立場、そして依存症患者の家族という当事者としての両方の立場から、家族が抱える心の闇ついて、そして少しでもご家族の苦しみを和らげる方法を、お話ししたいと思います。


◉あやうく、泣いてしまうところだった

わたしの父親は重度のアルコール依存とうつ病を患っており、長い間さまざまな病院を渡り歩いていました。

さんざん苦労した母や家族を支えた兄に替わり、社会人となったわたしは父の事務的な面倒を見ることになりました。

仕事の最中にかかってくる電話、病院や施設に父親を連れて行く日々。

たくさんの自分の将来の可能性や希望を一つずつ過去に置いて、失望と絶望と虚無を抱えて生きていました。

そして治療から10年ほどが経ったある日、通院していた精神科の診察でそれは起こりました。

わたしが心を殺して、父のかたわらで医師との様子をぼんやりと眺めていた時、父の症状が(一時的に)安定したと判断した主治医は、優しい笑顔で父にこう語りかけました。

「〇〇さん(父の名前)、あなたがここまで頑張ったからですよ」と。

・・・いい話だと思われたでしょうか?

たしかに家族が深い愛情でつながっているのなら、少しはいい話だと思えるかもしれません。

しかし、こちらは子供の頃から父親のアルコール依存による問題で、辛酸を舐め尽くしてきた身です。

家族が人生を潰して父の命をつないできたのに、「あなた(患者)の回復はあなた(患者)の頑張りのおかげ」だと。

「家族は何の役にも立たなかったということなのか」と、わたしは不覚にも、あまりに悔しくて泣いてしまうところでした。

医師の言葉を聞いた瞬間の、悲しみとも、怒りとも、屈辱とも、無常ともいえる絶望を、わたしは忘れることができません。

患者を第一に考えている医師は、その家族にはチラとも視線を向けることはありませんでした。

◉依存症患者を支える家族は『資源』であるという呪い

それから更に時が経ち、父が亡くなって数年後、わたしは社会福祉士になるために福祉大学で専門教育を受けることになりました。

しかしそこで学んだ4年間では「家族を主体とした、家族のための支援」を学ぶことはできませんでした。

福祉の世界で「社会資源」と言う言葉があります。

ざっくり説明すると「支援が必要な人を支えるために活用できる制度や、施設や、人」のことです。

そして、依存症当事者の家族も「社会資源」と位置付けられています。

冷徹な言い方をすると「家族は依存症当事者の回復のために活用する存在」という考えです。

あくまでも「依存症患者が回復することが、家族の幸せにつながる」という考えなのです。

福祉の大学でその概念を学んだとき、心からの怒りがふつふつと湧き上がりました。

ふざけんるんじゃない。

わたしにだって、わたしの人生があるんだよ、と。

依存症からの回復には、本人の取り組みや周囲の人間関係、それぞれの目標など個人差が大きく、明確に「これで回復しました」と言えるものではありません。

年月も年単位という期間で進んでいきますので、先が見えない毎日の繰り返しです。

そんな先が見えない、いつになるのかわからない毎日を、毎時間を、毎秒を生きていくのは、家族にとってもあまりにも過酷です。

とても精神がもちません。

幸運にも福祉や医療機関につながれた依存症当事者には、いろいろな支援がありますが、その家族そのものへの支援については、あまりにも貧弱と言わざるを得ません。

実質「家族会」くらいしか確立されていないのではないかと感じることもあります。

結局、家族が抱える苦しみから救われるのは「家族が適切な支援者になって、患者が回復することで、結果家族が救われるというプロセス」しかないのかと。

これではとてもやりきれないと、苦しむご家族の方も多いのではないでしょうか。

◉決して自分の人生を諦めないために

依存症を支える家族が自分の人生を生きるのは、思うほど簡単なことではありません。

家族が公的機関などに相談行った時に、精神科のカウンセリングなども当たり前に選択できるような仕組みがあればと思います。

家族が気づかないうちにボロボロに痛めてしまっている心を癒して、「自分の人生を生きる道」を落ち着いて考えることが、どうしても必要なのです。

現時点で、家族が救われるにはどうすればいいのでしょう。

1 家族会に参加して近い境遇の家族の方々と交流する

「結局、家族会なのかよ」と思われた方。

「なぎのは家族会を否定しているのではないか」と思われたかもしれませんが、決してそういうわけではありません。

家族会以外の有効な家族支援が少ないことに苦しさを感じているのです。

家族会の意義は非常に大きく、そこで今まで誰にも言えなかった思いを吐露したり、参加する家族間で思いを共有したり、情報を交換することで精神的に救われることもあるでしょう。

もし家族会につながることができれば、大きな心の支えになるかもしれません。

2 信頼できる友人や親族に相談する

アルコール依存症患者を抱える家族の方の多くは、どんなに過酷な状況であっても、周囲に悩みを打ち明けることはなかなかできません。

体験があまりにもひどいので話すことそのものが屈辱だと感じていたり、話したところでどうにもならないという諦めもあるかもしれません。

わたしにも、父方の親族に相談しても何の足しにもならなかったという苦い経験も一度や二度ではありませんでしたし。

それでも今にして思えば、今の自分の状況を認識してもらうという点でも、自分の狭い世界の中に閉じ込めないことが、少しでも苦しみを和らげる可能性を広げることにつながると考えています。

3 精神科などメンタルクリニックを受診する

心が疲れ果ててしまっている家族は、まず自分の心を整えることが最優先だとわたしは考えます。

「患者のために家族が心を整える」のではなく「家族が自分の人生のために心を整える」ことを優先する。

福祉の世界はアルコール依存症患者を優先して物事を進めるため、家族の方への支援はあくまでも患者のためであることが多いです。

「CRAFT(クラフト)」という家族支援プログラムがあります。

「家族が本人との悪循環のコミュニケーションを分析する過程を通し、本人との対等なコミュニケーションを学習し、家族自身の生活の再構築を目指す」というものです。(引用:僕らのアディクション治療法 楽しく軌道に乗ったお勧めの方法)

そのプログラムの有効性が注目されていますが、「家族が変わることで、依存症患者本人に変化を促す」という側面があり、家族には自分が変わる今まで以上の努力をする覚悟がいるのです。

かつてのわたしのように、「依存症の父に対してポジティブな感情はとうに枯れ果ててしまったけれど、縁を切って路上に放置するわけにもいかない」という強いジレンマに今も苦しんでいる方には、なかなか辛い選択なのではと感じています。

ですので、そのプログラムを提案されたときには「それが自分の人生にとってプラスになるのか」ということをじっくり考えてほしいと思います。

まず、苦しんでいる家族の方が「自分のために」心のケアをする必要があります。

状況が改善されるまでひたすら耐え続けるのではなく、今この時から「自分のための人生を生きること」を大切にしてほしいと思っています。

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