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京大入学し即休学!なぜ合格後すぐに海外へ行ったのか

やっぱり。

3月10日正午、京都大学の合格発表を見た時の私の感想である。

結果は合格。


喜ばしいことのはずなのに、私は無感動であった。
将棋の駒を一つ進めただけのように思えた。



その後すぐに京大を休学。
入学式を迎えるよりも前に教務課に休学届を突きつけたのである。

諸々の手続きをこなし、4月末にはオーストラリア行きの飛行機のゲートをくぐっていた。

結果的にオーストラリアで一年間サバイバルするわけだが、そもそも一体なぜ私は京大での黄金のキャンパスライフを尻目に海外へ渡ったのか。

この質問は何度も尋ねられ、その度に私は適した言葉を求め右往左往しなければいけなかった。

オーストラリアから帰国し、新たな場所へ旅立つ今、その理由を記す。



余裕だった大学受験

私の京大受験はことごとく順調だった。

ゲームを攻略するように勉強し、模試ではA判定を連発。

結果的には100点以上もの差をつけて京都大学に現役合格した。

ゲームで遊びすぎた結果どうなるのか。当然、飽きるのである。

受験勉強の延長線上にある大学よりも、もっと違う世界で遊びたくなった。


海外留学では遅すぎる!

私には、かねてより海外留学への憧れがあった。旅行ではなく、留学である。その違いは一重に留学のほうがかっこいいからだ。

大学生が留学する方法は主に二つ。
①学部生で交換留学
②大学院で正規留学

どちらも入学後一年以上待たなくてはいけない。

せっかちな私は「こんなに待ってたまるかー!」と、入学後すぐに休学して海外に飛び出した。

最大の理由はこれ

「日本は窮屈すぎる」

皆さんはこのように感じたことはないだろうか。
一度も感じたことがない人は幸せである。

私は小学生の頃から、教師を筆頭とした周囲の大人たちの矛盾に悩まされていた(嗚呼、なんと生意気な小学生!)。大人たちだって完璧な人間ではないのに、完全無欠の人間のふりをして子供と接し、完璧になることを子供に求めるのだ。

さらに酷いのが教育制度だ。テストで点数をつけ、それが生徒の評価となり、順位となる。こんなに一元的なシステムなのに、教師は口先では多様性を認めろというのだ。

今考えると大人たちの都合もわかるのだが、このような矛盾に囲まれた生活は当時の私にとって受け入れがたく、息詰まるものであった。

こんな日々から脱出し、大人たちの言う通りに生きなくても幸せになれることを証明する、これこそが海外に飛び出した最大の理由だ。

窮屈さの一因となったものを解説している記事がこちらです。よければどうぞ。

悩める若者へ

オーストラリアから帰国し、私はもう一年世界を放浪することに決めた。

小説を書くという新たなことにも挑戦している。

昔の自分のように窮屈だと感じている人に「日本のスタンダード」の人生を歩まなくても幸せになれることを伝えたい、そう思って私は旅をし、それをもとにした小説を書くことにした。

私が日本の窮屈さに絶望せず、前向きな姿勢で海外に行けたのは、「ナイスな大人」がいることを知っていたからだ。幸運なことにオーストラリアにも「ナイスな大人」はいた。彼らには深く感謝している。

私の作品を読んで少しでも窮屈さがなくなり、新たな世界へ飛び出すきっかけになれば幸甚である。

そしてあなたにとって私が「ナイスな大人」になれたら超絶幸せだ。

追記

私の書いた小説です。ぜひ読んでみてください。



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