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主体性が無い私

幼少期の記憶ははっきりと覚えているのは無くて
あるとしたら断片的な記憶ばかり。

祖父とお月見のススキをとりに河原へ行ったとき
ものすごく大きいバッタを見つけて驚いたことや
母の漕ぐ自転車の後ろに乗って、チューリップの歌をずっと歌っていたこと
叱られて蔵に閉じ込められて怖かったこと
(すぐに出してもらった気がするけれど)それくらいかな。

それから、友だちと遊んだ記憶がほとんど無いことに気付いたの。

数か月前に母に「私はどんな子どもだったの?」と尋ねたことがある。
母が言うには「今日は幼稚園で何をして遊んだの?」の問いかけに
私はいつも「〇〇ちゃんと〇〇ちゃんが砂場でトンネルを作っていたの
〇〇ちゃんはクリーミィマミが好きって言っていたよ」と答えたらしい。

母は直感的にこの子は「私が」という主語が無い。
おかしいな、、とは思ったようだ。
でも、仕事や育児や家事で忙しくて
子どもの話をちゃんと聞く時間が無くて、そのままにしていたと。

薄っすらと覚えているのは、誰かが遊んでいるのを遠くから見ていたこと。
自分から遊ぼうと声をかけたりしたことも無くて
誰かが「なぎちゃん、遊ぼう」と言ってくれるのを待っていた。

その状態を、自分という主体性が無い
自分軸でなく他人軸で生きている、と言うのだろう。

そうなるのも当たり前だよね。
喋らないって決めた日以来、幼稚園で一言も発しなかったのだから。

卒園文集の先生からのメッセージ。
「もっと、わっはっは!と笑ってみようよ。
先生はなぎちゃんの笑顔がもっと見たかったなぁ。
たくさん笑って過ごしてね!
そうしたら、もっともっと毎日が楽しくなるよ!」

卒園式で子どもの成長に涙する、ではなく
この子は喋らないままで、ずっとこのまま行くんだろうか、と泣いた母。

喋らないという呪いは
自分だけでなく周りの人も苦しめ続けてきた。
自分でかけた呪いなのに。。。

幼少期の記憶があまりないではなくて
本当は思い出したくないだけだ。。。





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